第8話 お姉さんと浮かれ気分

「「「かんぱーい!!」」」


 ジョッキがぶつかる心地良い音と、どこか下品な笑い声。ざわつく居酒屋の空気の中、オレは友人たちと前期課程の試験とレポート提出を終えた祝杯を上げていた。


「いや〜やっと終わったなぁ……地獄から生還した気分だわ」


 そう言ってビールをグビグビと一気に呷るのは、同じゼミに所属する友人の酒井。そして隣で焼き鳥を食ってるのが同じく同期の上原だ。


「酒井くん、西洋文学のレポート締め切り前日まで一文字も書いてなかったよね。八千字をよく書き切ったなぁ……」

「ハハ、底力ってやつよ。あの時の俺はマジで覚醒してた」

「僕は地道に書き溜めてたからなんとかなったけど、一日で八千字はキツイなぁ」

「だろー? 風間は?」

「オレもギリギリだったな。興味自体持てなかったし、いかに文字数稼ぎできるか考えてた」

「ハハハ、やっぱ最後はそこの戦いだよなあ!」


 レポート、試験の苦労話は絶えない。

 そんな調子で始まった飲み会。酒が入るたびにテンションは徐々に上がっていき、ディープな話も増えていく。


「最近、癒されたい欲がすごくてさ〜……」


 酒井がビールを片手に愚痴るように言い出したのは、二杯目も空きかけた頃だった。祝杯のテンションがちょうど緩んだタイミング。


「別れた元カノとさ、まあいろいろあったんだけど……ぶっちゃけ相性は良かったんよ、身体の。癒しって意味では、最強だったな」

「お◯ぱいデカいんだっけ?」

「おう、Gカップだ。いろんなプレイしたなぁ……はぁ……まあ要するに、最近その癒しがないから、こう……枯れてんのよな」

「なるほど、理解した。僕に任せて、酒井くん」

「お?」


 上原は得意げな顔でスマホを取り出す。


「彼女と別れて、癒しが欲しい。そんな酒井くんにオススメしたいのが──コレ!」


 ビシッと画面を見せられる。


 表示されていたのは、癒し系コンセプト全開の耳かき専門店のホームページだった。

 ふわふわのルームウェアに身を包んだ女性が、優しく微笑んでこちらを見ている。


「あなたの耳と心、ほぐします……って、すげえキャッチコピーだ」

「最初はネタで行ったんだけどさ、案外すごくて。照明はオレンジの間接照明で、音はヒーリングミュージック、そしてなにより──お姉さんがヤバい」

「……ヤバいって?」

「超美人! 声は優しく、話し方も丁寧! あの時ばかりは産まれてきてよかった……って本気で思ったね。そして真髄の膝枕! 耳かきされながら、柔らかい太ももに頭を乗せるんだ。至福以外の何者でもない! そして……耳かきの時、結構当たる! 何がとは言わないが、結構当たる!」

「ま、マジか!!」


 酒井大興奮。さすがはお◯ぱい大魔神。


「ちなみに僕のおすすめはシズクさんだ。写真もある」


 酒井は頷きながら写真を覗き込む。どうやらかなり興味を示したらしい。

 シズクさんは色気のある癒し系お姉さんという感じで、まさにお店のコンセプトにピッタリという雰囲気だった。


「やべぇ……めっちゃ美人じゃん。好きだ……」


 一目惚れか、一瞬で落とされた酒井を前にオレは絶句する。面食いすぎないか。


「興味出てきた? シズクさんに耳かきしてもらいたいなら指名料込みマッサージ付き超至福コースで一万二千円だね」

「これは……あり!」

「ガチか」

「風間も気になるだろ? お前、たしか年上のお姉さん系がタイプって前に言ってたよな」

「まあ……でもオレは別に」

「なんだよつれないなぁ〜」


 たしかに美人だしタイプ寄りの顔だけど──食指は動かない。

 ふと脳裏に浮かんだのは隣に住んでいるお姉さんの顔。


(水萌さんの方がずっと綺麗なんだよな。それに……)


 あんな至れり尽くせりを経験したらな……。

 わざわざ金を払う価値も感じなくなる。

 

 お礼という意味での、一度限りの献身的な行為だったとはいえ、オレはかなりの幸せ者なのかもしれない。


「あーあ、こんな美人なお姉さんと付き合えたらなぁ。耳かきも膝枕も、毎日タダでしてもらえたらもう最高じゃん!」

「理想を言うとね。けど無理だよ……美人な癒し系お姉さんなんて希少も希少、超レアだし。万が一いたとしても、そういう人に限って彼氏はいるし……」

「それなぁ……」

「はは……」


 苦笑するしかなかった。


 二人の考えている美人癒し系お姉さんって、もちろん水萌さんも該当するわけで……。

 耳かきと膝枕、なでなでまでしてもらったなんて話をしたら、嫉妬で狂ってしまうんじゃないか。


(バレたら絶対めんどくさい……)


 なんとしてもこの秘密は隠し通さねば。


 そう誓ったとき、ポケットが震えた。

 スマホを見ると、そこには水萌さんからのメッセージ。


『見て!!蚊に刺されたとこ!』


 ……蚊? 


 疑問符を浮かべると同時に、添付された写真に気づく。

 鎖骨が見えるラフな部屋着、ほんのり覗く谷間、そして異様に赤く腫れた……首筋に見える蚊の刺し跡。

 どこに目をやればいいか、困ったものだ。

 とりあえず保存しとこ……。


『デカいよねww世界記録更新したかもww』


 吹き出しそうになるのを必死に堪える。

 オレは飲み会そっちのけでメッセージを返す。


『めっちゃデカいですね。蚊に献血しました?』


 すぐに既読が。


『献ww血ww』


 なんかめっちゃウケてる。嬉しい。

 あの人、笑いの沸点が低いのかなんなのか、変なとこで笑うんだよな。

 そこもまた面白いんだけど。


(……おっと、しまった)


 つい友人たちを差し置いて、水萌さんとのやり取りに興じてしまった。

 マズいと思いふと顔を上げると、酒井と上原がじとーっとした視線をこちらに向けていた。


「……なんだ?」

「いや〜、ニヤけてたなって」

「え、オレ?」


 心当たりはありつつ、それでもとぼけてみる。

 だが酒井はビールを一口飲んでから、にやにやと笑いながら言った。


「完全に彼女からのLIMEを見てニヤけてる顔だったぞ」

「へえ、風間くんもやることやってるんだ」

「いや……違うが? たまたまちょっと面白いやり取りしてただけだ」

「誰と?」

「……知り合い」

「女の?」

「一応な」


 根掘り葉掘りな酒井に対し、曖昧な返事をして逃げる。

 知り合いというのはそうだし、彼女ではないから嘘はついてない。


「ふーん、まあいいけどさ。良い女知ってたら紹介してくれよな」

「ハイハイ……酒井は相変わらずだな」


 あくまで平静を装いながら、オレはジョッキを口に運ぶ。


(あぶねぇ……あんなの見たらニヤけもするって)


 ふざけたLIMEのやり取りひとつで表情に出るほど気分が上がるって、オレも大概というか。


(浮かれすぎだな…………)

 

 変に気を遣わないで話せて、知らぬ間に心を許してしまう気さくなお姉さん。単なる隣人とは呼び難いだろう。これまでに、短い月日の中でそれだけ濃密なことがあった。

 一緒に笑えるってだけで、その時間がなんだか特別に思えてしまう自分もいることは事実だ。


 ──でも勘違いは禁物。


 膝枕も耳かきも、急な飲みの誘いも。

 あの人にしてみればその場のノリだったのかもしれないし、単なる気まぐれかもしれない。

 たぶんオレは特別でもなんでもなくて。

 ただの「おもしろいやつ」くらいかもしれないし、話し相手がたまたま隣にいたってだけのこともある。

 あんなにも綺麗で、ちゃんとしてる人が、平凡な大学生相手に本気になるわけないから。


 そう、だから──。


 思考がクリアになっていく。

 冷静に考え始めて、意味もなく浮かれてる自分を少し情けなく感じてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る