第6話 お姉さんと不屈の生存者

 日曜の夜。自室で黙々と筋トレに勤しんでいると、ピコンと通知音が。立て続けに鳴り、スマホが震える。


 誰だろう。もしかして水萌さんからのメッセージ?

 ……まさか、また飲み?


 でも今は夜の十時過ぎだ。加えて明日は月曜日。バリバリ社会人の水萌さんが今から飲むはずがない。

 じゃあ、別の誰かからのメッセージか。

 少し残念に思いながら、オレはスマホを見る。


『助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて』


 水萌さんだった。てか怖っ! 


「え、なに、呪い?」


 思考が回る間もなく、着信。

 ビビって出るのをやめようと思ったが、万が一のこともある。

 助けを切実に欲しがっているみたいなので仕方なく応答する。


「も、もしもし。水萌さん?」

『出たの!!』


 迫真の第一声が脳天を貫く。


「……なんですか藪から棒に。出たってなにが?」

『ヤツがよ!!』

「ヤツ? ヤツとは」

『分かるでしょ!?』

「いや、分からないですけど!?」


 言葉足らずにも程があるだろう。

 だがそんなことすら考えられないほどに、電話越しの水萌さんの様子は切迫しているように感じられた。


「説明してください。ヤツって?」

『だから! ゴキブリよ!!』

「あ、なんだそういう……」


 妙な安心感に胸を撫で下ろす。

 なんだゴキブリで騒いでいたのか。

 マジのホラー展開じゃなくて良かった。


『ちょっと晴翔くん謎に安堵しないで!? やばいの! めっちゃデカいの!! 無理なのっ!! お願い、至急来てっ! なんでもするからぁ!!』


 ん? 今なんでもするって言いました?


「わ、分かりましたから落ち着いてください。今そっちに行きますね」


 部屋を飛び出したオレは、隣の水萌さん家へ。

 鍵は開いていた。


「水萌さ──」

「うわーーん! 晴翔くーーーん!!」

「ぐぇっ──!」


 扉を開けるなり、キャミソール姿で露出度高めの水萌さんが殺虫剤片手に突進してきた。


「ちょっ、いきなり抱きつかないでくださ──っ!?」


 細い腕が首に回され、全体重が預けられる。

 キャミソール越しにむぎゅっと、その柔らかさを容赦なく伝えてきて。心臓の鼓動は一気に加速する。


 近すぎるんだが……?


「ムリムリムリムリぃ! あんなの絶対ムリっ!」


 叫びながら、胸元に顔をうずめてくる水萌さん。

 お風呂上がりなのか髪はまだ少し湿っていて。

 ふわりと香るシャンプーの匂い、ぴったりとくっついた温もり。

 耳元で響く水萌さんの悲鳴は、叫んでるはずなのにどこか甘ったるい。


「わ、分かりましたから! とりあえず一回! 一回離れてください!!」


 全力で叫ぶも、返ってくるのは「むりぃぃ……」と情けない声のみ。


 無理じゃない。無理なのはオレのほう。


「こ、このままじゃ退治できませんよ」

「あっ……ご、ごめんなさい!?」


 冷静に指摘すると、水萌さんはようやく我に帰り、オレから身体を離す。

 少し名残惜しいと感じてしまう自分を、理性をもって制する。


「ふぅ……それでヤツはどこに?」

「う、うん。案内するね……この震える足で」


 ぎゅっとオレのシャツを掴んだままの彼女に台所へと導かれる。


 そこには確かにヤツがいた。


 黒く光る装甲に、絶妙なサイズ感。

 どんな環境にも順応し、音もなく現れて人類を試す影の戦士。

 古来より競争を勝ち抜いてきた、まさに不屈の生存者。


「手っ取り早く済ませましょう。睨み合いっこしても変わりませんから。とりあえず、これ借りますね」

「え、あ、どうぞ……?」


 水萌さんの持っていたゴキブリ用殺虫剤を構え、躊躇いなく噴射する。

 生存を脅かされたそいつは、本能の赴くままに羽を広げた。


「ぶふっ! 羽っ!? 飛んだっ!? ひゃあああああああああ!!!」


 その動きは水萌さんにとって想定外だったらしい。

 ビックリして背後からオレに抱きついた。

 この人は抱きつき癖でもあるの?

 こっちもいろいろ限界だよ?


「ちょっ、だから動けないんですって!!」

「で、で、でかいぃぃ!! 飛ぶのむりぃぃ!! 倒してぇぇ!!」

「倒しますからまず離れてください!!」

「うっ、ごめんねぇぇぇぇ……!」


 そんなドタバタ押し問答の中、運良くヤツは冷蔵庫の上で立ち止まった。

 油断している? なんでもいい。

 今がチャンスと見て、二度目の噴射。


 ──プシューーー!!


「……ふぅ。倒しましたよ水萌さん」

「う、うそ……晴翔くん……英雄……」

「じゃあ袋と消毒液持ってきてください」

「う、うんっ……!」


 やっとオレから離れた水萌さん。

 トテトテと小走りに袋を取りに行って、申し訳なさそうに戻ってくる。


「ありがとね、晴翔くん……ほんと、もう無理かと思った……」

「オレも……」

「晴翔くんもビビってた? そんなふうには見えなかったけど」

「いやそうじゃなくて」


 退治自体はこれまでに何度かやっていること。

 それよりも……オレにとってはお姉さんのスキンシップの方が脅威だ。


 その後ヤツを新聞紙ごと処理して部屋を消毒。

 すべてが片付いた後、水萌さんがそっと冷蔵庫の方を見て──暗黒微笑を浮かべた。


「ふふ……悪く思わないでね? この世は弱肉強食。人間のお姉さんのお家に、勝手に入った君が悪いんだから……!」

「……あの、虎の威を借る狐やめてもらえます?」


 こうして、思いがけずやってきた日曜夜のドタバタは幕を閉じたのだった。

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