第十四話 黒衣の魔術師

 蟲人ハーシャレフの砦は、地下にある。

 それは、蟲人の習性である。

 彼らの建造物は、地下に作られるのだ。

 だから、傭兵モズドールたちは、迷宮のような地下へと潜っていかねばならない。


 カーバーザルト砦は、山脈から平原への出口に作られている。

 緩い斜面の中央に、盛り上がった小山がある。

 その壁面に、鉄製の扉が付けられていた。


(なんか、肌に粟立つ感じじゃけん)


 砦に近づくにつれ、ザーミーンは不快感を覚える。

 それを、キミヤーは素早く感じ取った。

 ザーミーンの手を取ると、そっと握りしめる。


「大丈夫。これは、黒炎珠アルナール・サウドが神脈の魔力を変質させているの。本当なら、もっと気持ち悪くなるのだけれど」


 あなたのお陰で、そこまで影響を受けずに済んでいるの。

 キミヤーの説明に、納得はした。

 毛が逆立つのは収まらないが、我慢はできる。


 砦の扉の前には、十人の蟲人と二人の黒衣の魔術師が立っていた。

 蟲人は、十人が一小隊なのだろう。

 先ほど遭遇した集団と構成人数が同じである。


 突破に時間をかけるわけにはいかない。

 マージアールの指示は、べバール、ザーミーン、キミヤーの三人が先行し、フォルーハルの部隊が援護。

 その間に、ティグヘフ、バーバクの部隊と神官団が砦に侵入するというものであった。


 ザーミーンを囮に使うことにキミヤーは反対したが、べバールとザーミーンが承諾し、作戦が決定。

 キミヤーの心配はわかるが、自分を狙う魔術師たちを放置するのは性には合わなかった。


 フォルーハルとキミヤー、それにフォルーハル隊から五人が分かれる。

 道の脇にある崖の上から、弓で支援する部隊だ。

 キミヤーの弓の腕は達人級であったが、フォルーハルは王国一と言われる弓の使い手だと言う。

 さほど大柄には見えないが、鍛えられた筋肉で誰にも引けない強弓を容易く使いこなす。

 フォルーハルの弓は、力付くで引いても使えないらしい。

 瞬発力で引くのよ、とキミヤーが言っていた。


 あまり接近すると、魔術師に感知される。

 ザーミーンには、魔術師の魔力の領域が視えていた。

 物陰に身を隠しつつ、キミヤーたちの準備を待つ。


 気温の上昇とともに、砂が焼けるように熱くなってくる。

 渇きを覚えたザーミーンは、唾を飲み込んだ。

 風も、ない。

 その方が、嗅覚に優れる蟲人に察知されないのでありがたい。

 だが、いまは涼を感じたかった。


 額から汗が流れる。

 だが、隣にいるべバールには汗がなかった。

 鋭い眼差しで、じっと先を見つめている。

 ザーミーンの視線に気づいたべバールは、にやっと笑った。


「暑いか? 汗なんてもんは、集中すりゃ止まるさ。傭兵を長くやればそうなる」


 そういうものだろうか。

 そうなのかもしれない。

 数十年も戦場を往来したつわものの言葉には、学ぶべきものがある。


「──来るぞ」


 何を察知したのか。

 べバールの目がすっと細くなる。

 ザーミーンの耳に、砂漠鴉カラーグサーラの鳴き声が届く。

 あれは、フォルーハルの合図だ。

 

 風を切る。

 飛来した矢が、一人の蟲人の頭部を貫く。

 だが、貫いた矢の勢いは衰えず、隣の蟲人の胸に食い込み、吹き飛ばして地面に縫い付けた。


「走れ!」


 べバールが、立ち上がる。

 ザーミーンも、身を起こした。


 フォルーハルの強弓で、蟲人は恐慌状態に陥っていた。

 キミヤーの矢がもう一体を射殺し、残りの五矢でさらに一人を倒している。


「敵襲!」


 素早く蟲人たちが抜剣する。

 奇襲への対応能力が高い。

 だが、混乱していたため、まだ隊形が整っていなかった。


「ニザール様に知らせろ!」

「待て、あの女、ザーミーンだ! 確保を優先しろ!」


 蟲人の小隊長が部下を伝令に走らせようとする。

 それを、黒衣の魔術師の一人が止めた。

 指揮系統が割れている。

 これは、好機である。


 追撃の矢が、蟲人を襲う。

 走り出そうとした蟲人が二人、さらに倒れる。

 残る蟲人は四人。

 そして、魔術師が二人。


影よ、縛れスキア・デステメ!」


 魔術師の呪文が唱えられる。

 すると、ザーミーンの影から黒い腕が現れた。

 影の腕に足を摑まれ、ザーミーンが横転する。


光を奪えパレ・トフォス!」


 もう一人の魔術師の呪文が飛ぶ。

 ザーミーンをかばおうと前に出たべバールの周囲が、いきなり闇に包まれる。


「今だ、隻目かためを殺し、巫女の娘をさらえ!」


 魔術師を侮ったわけではないが、使う魔術がマージドの部下と違う。

 それで、意表を突かれた。

 この黒衣の人間は、マージドの手の者ではない。

 預言者アルンナビハダスのしもべだろう。

 だけど。


「なめるな!」


 ザーミーンの魔力が、膨れ上がる。

 黄金の光が、周囲を照らす。

 影の腕が震えたかと思うと、破砕音とともに砕け散った。


「光の魔術!」

「あの女、巫女と同じ術を……!」


 魔術師に動揺が走る。


「行け!」


 そのとき、暗闇に包まれたままのべバールが叱咤の声を上げた。


 砂まみれになりながらも、立ち上がる。

 魔術師が、剣を抜くのが見える。

 ザーミーンは、魔術師を見据えたまま右に進路を変えた。

 釣られるように、魔術師がその後を追う。


 蟲人四人は、べバールに向かっていく。

 心配ではあったが、フォルーハルの部下が追いつくはずだ。

 ザーミーンは、追ってくる黒衣の魔術師に神経を集中させる。


遅くなれアルゴー!」


 再び、魔術師の呪文が放たれる。

 違和感が強くなり、身体が重くなった。


弱くなれジニアディナモス!」


 さらなる呪文。

 闇の魔術は、相手に対する呪詛が多い。

 さらに重くなる身体を支え、ザーミーンは心を奮い立たせた。


立てよ女神のつわものバルフィード・サルバザーン・アレイエ!」


 口に出るは、戦いの歌。

 一言歌うたびに、ザーミーンの身体が軽くなる。

 ザーミーンの身体から溢れ出る魔力に、黒衣たちも顔色が変わる。


「させるか!」


 電光のような二筋の斬撃。

 それを、ザーミーンは両手の聖爪パンジェフ・モゴダスで受け止める。

 だが、威力に押され、後退せざるを得ない。


 黒衣の男が踏み込んでくる。

 右の男が横薙ぎ。

 左の男が、唐竹。

 頭上の斬撃は受け止めたが、横薙ぎは止められない。

 胴に一撃を食らい、ザーミーンが吹き飛ばされる。


「どうだ?」

「だめだ。竜の鱗レピア・ドラクールだ」


 ザーミーンの身体が輝き、聖鱗モギアス・アレイエが発動する。

 無傷の結果に、黒衣の男が舌打ちした。

 扼腕した魔術師は、剣を掲げて呪文を唱える。


侵食せよアズ・ディアブロソーメ


 剣が、黒い輝きに覆われる。

 だが、一瞬できた時間で、ザーミーンも次節を歌い上げる。



進めエダメヒード心に旗を立てパルシャーミ・ダール・ガルバム上げよバランデシュ剣持つその腕をバゾケ・シャムシール・ラダールダルド!」


 ザーミーンの身体から放たれる光が、周囲の大地に広がっていく。

 鎖から解き放たれた感覚に、ザーミーンは跳ね起きた。


 だが、最後の節を唱える隙を、魔術師も与えない。

 黒い剣が、ザーミーンに迫った。








 

 


 

 


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