第十一話 勇敢なる牝獅子

 出陣は、一週間後となった。


 その間に、神殿マブドは出陣の準備を始める。

 砦までは、片道一週間強かかる。

 そのための食糧を運搬する必要もある。

 フォルーハルの部隊はそういう役割も担っているようで、神殿で副神殿長と打ち合わせを行い、買い出しなどを進めている。

 なぜかティグヘフも一緒に打ち合わせしていたが、彼の顔の広さを考えたら妥当なのだろうか。


 ザーミーンは、キミヤーに指導される日々である。

 神殿の仕事はだいたい教わったことであるが、百年前も王都と現代のティラーズでは細部で差異がある。

 それを学び直さねばならない。


 そういうときは、大抵ボルールと一緒である。

 むろん、下級神官に過ぎないボルールと、上級神官であるザーミーンとでは、学んできた積み重ねが違う。

 すらすらと答えるザーミーンに対抗心を燃やすボルールだったが、どう頑張っても全く歯が立たない。

 さすがのボルールも、ちょっと元気がなかった。

 だが、キミヤーと一緒に料理を作ったときに、それが変わった。


 キミヤーは、家事も完璧にこなす。

 掃除、洗濯、料理、裁縫、どれを取っても隙がない。

 家事道具はキミヤーの手にかかれば魔法のように動き始め、最上の結果をもたらした。

 その弟子であるボルールも、家事に関しては徹底的に叩き込まれており、熟練の腕前である。

 だが、ザーミーンは、家事は苦手であった。


 大麦のスープを作れば塩が入ってないし、サラダのために野菜をカットすると板まで切る。

 サフランライスは焦げ、デザートの砂糖入りサフランヨーグルトはローズウォーターが入っていない。


 惨憺たる結果を見て、ボルールは下げていた頭を上げ、宣言した。


「大丈夫、あたしに任せなさい。この程度、いくらでも修正できるわ」

 

 それ以来、家事に関してはボルールがザーミーンの先生になった。

 幼少時から学問と武芸に打ち込んできたザーミーンは、その方面での教育が全くされていなかった。

 というか、母親のイラも、家事はしていなかった。

 王都の神官長カンパネザムに、古代種の巫女という特殊な夫婦である。

 神殿の下級神官が何でも世話してくれていたので、自分でやる必要がなかったのだ。


 だが、ティラーズの流儀は違うらしい。

 上級神官のキミヤー自ら家事を行う。

 彼女は、むしろ楽しそうに行った。

 そしてその料理は、誰が作ったものより美味しかった。


 ザーミーンは、今まで恵まれた環境で育てられていた。

 ボルールが易々と家事をこなすのを見て、つくづく思い知らされる。

 キミヤーの段取りが大事という言葉も、こういう日常の積み重ねから出てきたものなのだろう。

 自分があの領域にたどり着ける未来が、想像できない。


 ボルールに弟子入りしたザーミーンは、連れ立って市場に買い物にも行く。

 その朝も、必要な食糧を買いに市場に繰り出していた。

 払暁。

 目覚めたばかりの街が、ゆっくりと身体を起こして動き始める。

 商人たちは、朝早くというのにもう品物を売り出し始めていた。

 食堂の店主などが、仕入れに大忙しのようだ。


「高い、高いよ! あたしら大喰らいなんだ! そんな値段じゃ十分な量が買えない。そうしたら力も出やしないじゃないか!」


 威勢のいい女性の声が、朝の澄んだ空に響き渡る。

 どうやら、羊の乾し肉を値切っているようだ。

 たくましい姿に感心したザーミーンであったが、後ろで買い物の荷物を持っている男性を見て目を丸くした。


 あの、バーバクである。


「ボ、ボルールさん、あれ……」

「ん? ああ、アーシエフさんじゃない。勇敢なる獅子シール・ショージャの副隊長、バーバクさんの奥さんよ」


 あの二人、すごい仲がいいのよ、とボルールが耳打ちする。

 普段は勇ましいバーバクだが、アーシエフには勝てないらしい。

 いつも尻の下に敷かれているようだ。


「へええ、あのバーバクさんがねえ」

「バーバクさん、ああ見えて部隊の部下には慕われているのよ。面倒見いいから」


 感情的な面が、部隊の掌握ではいい方向に出ているらしい。

 意外な一面を見て、ザーミーンは彼の評価を大きく修正した。


 値切り倒したアーシエフが、夫を従えて歩き始めた。

 向きを変えたバーバクは、ザーミーンたちが見ているのに気づき、ばつが悪そうにそっぽを向く。

 それに気づいたアーシエフは、不思議そうに首をかしげた。


「ボルールちゃんじゃないか。買い物かい?」

「はい! 朝食用に野菜を買おうと」

「モラードの屋台でいい葉物が並んでたよ。──そっちのお嬢ちゃんは……」

「あ、新しく来た上級神官のザーミーン様です! 市場を案内しようと思って連れてきたんです!」

「ああ──あんたが……」


 アーシエフは、ちらりと夫を見て、合点がいったかのように頷いた。

 そして、いきなりバーバクの頭を殴りつける。


「なにそっぽを向いてんだい! ほら、あたしを新しい神官様に紹介しな! 隊長の役目だろ!」

「殴ることないだろおよお。痛えなあ」


 荷物を抱えて防ぐこともできないバーバクは、ぶつぶつ言いながらもザーミーンに向き直った。


「あー、こいつが、勇敢なる獅子の副隊長のアーシエフだ。うるさいやつだが、宜しく頼む」

「うるさいは余計だよ!」


 もう一発アーシエフが殴りつける。

 ザーミーンは、くすりと笑った。

 バーバクにうるさいと言われては、アーシエフもたまらないだろう。


「うちはエスファンディアルの娘のザーミーンです。以後、お見知りおきを」


 ぺこりとザーミーンが頭を下げると、アーシエフは頬に手を当てて大きく息を吐いた。


「はあ……本当に守護者ハーファザートなんだねえ。話を聞いたときには、まさかと思ったけれど……」

「本物かどうかなんて、わかりゃしないじゃねえか」

「莫迦だね。目を見りゃわかるよ。こんな真っすぐな子が、嘘なんかつくもんかい」


 にっ、とアーシエフが笑った。

 その笑顔に、思わずザーミーンの顔もほころぶ。

 この女性は、口調は乱暴だが人を安心させる力を持っている。

 キミヤーとは別方向だが、尊敬できる人生の先輩かもしれない。


「まあ、たくさん食べて頑張んな! あんたも、ボルールちゃんも細い、細い! そんなんじゃいざというとき力が出ないよ! あはははは!」


 ぽん、とザーミーンの頭を叩いてアーシエフが去っていく。

 慌てて、バーバクがその後を追っていく。

 ザーミーンは、ボルールを顔を見合わせ、大きく息を吐いた。

 なんというか、圧倒されたのだ。


「勇敢なる獅子隊って、ああいう人が多いの?」

「みんな、あんな感じだよ」


 ボルールの言葉に、唖然とする。

 ティラーズの住民たちは、王都の育ちのいい騎士サバルカール神官ケシシュたちとは、かなり違うようであった。

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