5
「なんで、ここにいるんですか」
防犯ブザーの音が響いている中、十条寺は九重にも聞こえるくらいの声量を出す。九重はその言葉を無視して、パネルカバーに近づき、テープを外して紐を回収する。同じようにパネルからも、防犯ブザーを取り、紐をブザーに差した。すると、ブザーのけたたましい音は止み、空調の音が響く書庫に戻った。
一連の動作を十条寺は眺めていたが、九重が十条寺の方を見ると、後ろに一歩、二歩と距離を取った。
「カウンターはいいんですか」
「藤沢さんに三十分だけ代わって貰った。どうしても、十条寺くんと大事な話がしたい。そういったら、渋々だったけど代わってくれたよ」
「なんですか、それ」
十条寺は防犯ブザーを指差している。
「十条寺くんがパネルを開けるのかどうか。それを確認したかったから、出勤した時につけておいた」
十条寺は閉館作業対応の遅番だ。出勤は九重の方が早く、仕掛ける時間はいくらでもあった。
「九重さんがいってたことが気になったから、開けたんですよ。ホームズを出し抜こうとするワトソンなんて、相棒失格ですよ」
「君が本当にホームズならね」
「どういう意味ですか?」
十条寺の丸い眼鏡の奥の、大きな目が鋭くなる。
「犯人は君だよ。十条寺くん」
「根拠のない推論は名誉棄損になりますよ。九重さん」
九重が十条寺の目を見ると、十条寺も見つめ返してくる。二人の視線がぶつかる。
「根拠はある。三十分しかないから、もう話すよ」
十条寺は黙っている。
「事件の日、被害者は匿名のメッセージが送られてきて、そこの電動書架で待ち合わせをしていた。彼を呼び出す内容はなんでも良かったんだろう。重要なのは、時間と場所だった。十八時に、この電動書架にいること、それが犯人の狙いだった」
同意を求めるように九重は一瞬口を閉じたが、十条寺はなにもいわない。
「被害者は呼び出しに応じて、律儀に電動書架を動かし、中の付箋を発見した。付箋は被害者をなるべく、書架の中央に誘導する為に必要だったんだ。被害者は成人男性の中では、肥満体形に入る部類で、素早い動きは苦手に見えた。電動書架の移動速度はそれほど早くないから、細身で機敏に動ける人は、電動書架が動き出しても悠々抜け出せたと思う。安全バーが効かないことに気づいた後でもね。でも、被害者が書架の中から通路に抜け出すには、致命的な距離だった。死体を発見した時、頭部は通路をはみ出していたから、そこまでは抜けれたんだ。だけど、身体がつっかえてしまい、電動書架に挟まれてしまった」
十条寺は沈黙したままだ。九重は続ける。
「そもそも、どうやって犯人は電動書架を移動させたのか。現場に来ていないことは、防犯カメラが証明している。ともすれば、方法は一つ。遠隔で操作したとしか思えない」
「地下には電波が来てませんよ」
「その通り、地下は圏外だ。でも、WiFiがある。ちょうど君の真上にもルーターが設置されている」
九重の指の先には、天井に取り付けるタイプのルーターが設置されている。こんなにあからさまなヒントがあったのに、天井には目を向けていなかった。
「インターネットに接続したから、どうだっていうんですか」
「正直にいうと、詳しくはわかっていない」
九重が首を振ると、十条寺は嘲笑うかのような表情になる。
「根拠がある、といってそれですか」
「一番大事なところを僕は詰め切れていない。ただ、全く考えがないわけじゃない。工学部の研究室がWebサイトにアップしてる研究紹介の動画を見たよ」
十条寺の顔色が変わる。
「その中にスマートフォンが着信を受けると、外付けのアームが動くという動画があった。これを応用したんだろう。パネル裏にスマートフォンと外付けのアームを取り付けて、アームをボタンの上に設置する。着信を受けている間は、アームがボタンを押し続けるという仕組みだ。地下は圏外だけど、今は通話できるアプリがある。WiFiに接続しておけば、カウンターからでも地下のスマートフォンに電話をかけることができる。通話ボタンを押すくらいなら、ポケットの中でも難しくない。時間を指定してるから、時計を見てボタンを押すだけでいい。そうやって、君は被害者を押し潰した」
十条寺は簡単な工作ができるくらい、といっていた。それぐらいの技術はあるのだろう。それに同じ工学部である藤沢に聞いたが、工学部には工作できる設備があるらしい。工学部の人間なら誰でも出入り可能らしく、材料さえあれば、自由に工作して良いのだという。条件は揃っている。
「本当にそんな方法が可能なんですか?」
「わからない」九重にはこれが可能なのか判断できない。実際やってみたら、上手くいかない可能性だってある。「でも、君は夏休み中、ほとんど毎日シフトに入っていた。テストする機会はいくらでもあったはずだ。何度もテストを繰り返して、実行に移していてもおかしくない。それに警察に調べて貰うこともできる」
「警察に?可能かどうかですか?」十条寺は馬鹿にしたようにいう。
「違う」九重がいうと、十条寺は真顔になる。「十条寺くんが材料を購入した記録や、スマートフォンの通話履歴を調べれば、なにかわかるんじゃないか」
「曖昧ですね」そういった十条寺の顔色は良くない。「そんな不確かな根拠で警察が動くと本当に思いますか?」
「ボタンの押し方だけじゃ無理だろう。でも、調べるに値する根拠がもう二つある」
九重は指を一本立てる。
「一つ目は強制移動ボタンに点のような跡があったこと。僕はアームがボタンに当たった跡だと思っている。メーカーが調べてやっとわかるようなものだから、犯人はそれに気づくこともできなかったはずだ」
九重は二本目の指を立てる。
「二つ目は被害者のダイイング・メッセージだ」
「ダイイング・メッセージ?」
十条寺が静かに復唱する。
「ダイイング・メッセージの内容は、[11 ono]だった。前にカモフラージュしているかもしれない、そんな話があったけど、今回は正にそうだった。残された時間で、被害者は自分が知った事実を懸命に伝えようとしたんだ」
十条寺はわからないようだ。
「WiFiの規格だよ」
九重がいうと、十条寺はハッとした顔になった。
「11はそのままだった。一見、請求記号にも見えるからそうしたのかもしれないし、変にいじらないほうが伝わると思ったのか、真意はわからない。だけど、後半はちょっとだけ変えた。onoは斧、axを示したかったんだ。[11ax]、これは今のWiFiの規格とされている。恐らく、このまま書いていたら、犯人に気づかれた時に消される、そう思ったんだろう。実際、インターネットで検索したらすぐに出てきたよ。被害者はなぜ、WiFiの規格をダイイング・メッセージにしたのか。恐らく、通路に頭を出して誰もいないと気づいた時、遠隔操作に思い至ったんだ。天井にはルーターが設置されているし、被害者の頭は天井が見える向きだった」
被害者は誰もいない通路とルーターを見て、インターネットを使った遠隔操作であることに気づいた。同時に、自身が助からないことを悟ったのだろう。最後の抵抗で、ダイイング・メッセージを残したのだ。犯人はここに来ていない。そう伝える為に。
十条寺が突然、手を叩く。それが拍手だとわかるには、時間がかかった。
「素晴らしい推理です。九重さん。しかし、ここまでの話からすれば、私が犯人というのは、いささか性急ではありませんか?だって、そうでしょう?WiFiは学内の学生や職員なら誰でもアクセスできるんですから。あの日犯行が不可能なのは、九重さんだけ、他の人間は全員が容疑者になり得る。違いますか?」
「違わない。君のいう通りだ」
九重が認めると、十条寺は満足そうに頷く。
「だけど、君が犯人なんだ」
十条寺はキッと九重を睨む。九重は引かない。
「このやり方で田中を殺害した場合、彼を最初に発見するのは、誰になるか。これが鍵だ。考えられるのは、田中が閉館まで見つからなかった場合。その時は、十条寺くんが閉館作業で地下書庫に入ることになる。僕は責任者としてカウンターにいなければならないから、僕が行くことはない。君は第一発見者となることができる」
「最初に見つけたから、なんですか」
「鍵、だといったよ。今回のトリックは遠隔で殺害できるという大きなメリットがある。おかげで、防犯カメラに映ることもなく、君は容疑から外れた。だけど、デメリットも大きい。それは現場に証拠が残ってしまう、ということだ。警察が来れば、必ずパネルカバーを開くことになるだろうし、なんなら警察が来るまでに職員の誰かが、パネルカバーを外して中を見てしまうかもしれない。指紋などの証拠を残していなかったとしても、製造過程を追えば、きっと犯人に辿り着く。だから、仕込みの回収は必須だったはずだ。逆にいえば、それができる可能性が高いから、君は実行に移した」
「でも、私以外が死体を見つける可能性もあったはずです。犯行計画の要を担う部分にしては、かなりリスキーじゃないですか?」
「リスキーだけど、十条寺くんは回収できる可能性が高いと考えた。僕も同様の考えだよ。何事もなければ、閉館作業の時に十条寺くんが発見することになるのは、さっきも話した。もし閉館作業の前に書庫に入った利用者が死体を見つけた場合、どういう展開になるか」
九重はそうなった場面をイメージしながら話す。
「利用者は見つけてすぐに、カウンターに声を掛けてくるだろう。事務室の存在はそもそも知らないだろうし、定時後で人がいなかったりする。それならカウンターにいる僕らの元へやってくる可能性が高い。死体を発見したと伝えられたら、警察や救急に連絡する必要がある。でも、それよりまず現場を改めて確認すると思う。見間違いや勘違いだと困るからね。そして、現場を見に行くのは、やっぱり十条寺くんになる」
「責任者の九重さんではなく?」
「そうはならない。なぜなら、僕は正規職員じゃないからだ。君はきっと、こういうはずだ。『私が現場を見に行きます。確認したらすぐに、九重さんに連絡を入れます』ってね。これでは、地下でWiFiが使えることがバレてしまうけど、そこは割り切るつもりだったんだろう。夏休みで人が少なく、かつ地下書庫二階には人の出入りが少ない、そこを狙っても利用者が立ち入る可能性はなくはないが、今の時期は今回の犯行計画にベストな時期だ。リスク込みでも、今の方が成功確率が高い。実際、君が閉館作業に行くまで、死体は発見されなかった。話を戻すと、君が現場に行きますといえば、僕は従うしかない。君はインターネット経由で僕に連絡を取れるけど、逆は出来ないからね。地下に降りるのも、君一人だろう。第一発見者が犯人の可能性もあるなんて、こっそり僕に伝えれば、報告しにきた利用者を僕がカウンターで見張ることになる。そうやって、思うままに人を動かした君は、地下で堂々と仕込みの回収をする。パネルカバーに入るくらいの仕込みなら、きっとポケット隠せるんだろう。現に地下から戻ってきた君に荷物を持っていた様子はなかった」
十条寺は首を振っている。
「利用者じゃなくても、他のアルバイトや職員が見つける可能性はありますよ」
「ないよ。そうならないように、君はシフトを僕に被せてきたし、職員の定時後である十八時に犯行時刻を設定したんだ。定時後の職員が地下書庫に入ることなんて、まずあり得ない。夏休みで利用者が少なく、職員の業務もそれほど切迫する時期でもない。君は全て織り込み済みなんだ」
「でも」十条寺はそう発して、俯いて黙り込んだ。必死に考えているのだ。自身が逃れる道を。
「十条寺くん。ここは図書館だぞ」
九重の言葉に十条寺がゆっくり顔を上げる。
「人を殺すな」
「私は」
十条寺は唇を噛み、強く強く拳を握っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます