第5話 怪物

 関西大会一回戦を無難に勝ち上がった俺たち、塚口ブレーブスは、次の対戦相手となる岸和田のチームの試合を偵察しに来ていた。

 試合前の練習を観察していると、ある打者が視界に入ってきて、思わず息をのんだ。


 四番。岸原。


 ああ――この時代だったんだ。

 この男は、やがてPF学園の黄金時代を築き、西武、そして巨人で四番を張ることになる、大打者だ。


 そうか、俺は今――岸原と同じ世代にいるのか。


 じっと素振りを見つめていると、相手の監督が何かを言い、岸原がこちらに気づいてニヤリと笑った。

 あの余裕は、こちらの情報をある程度掴んでいるということだろう。

 今の時代、リトルの情報網なんてあってないようなもので、県内ならともかく、県外のチームの戦力なんてほとんど手に入らない。

 非対称な情報戦は、地味にキツい。

 うちも偵察や情報整理をもっとやりたいけど、なかなか人手が足りない。頼める相手も限られてるし。


 それにしても――さすが大阪府内屈指の強豪チームだ。

 ピッチャーがしっかりしてる。フォームのブレが少なくて、球種ごとに丁寧に指導されているのがよくわかる。

 遠目からでは判断が難しいけど、スライダーのモーションだけはやや甘い。そこが狙い目か。


 サインも驚くほど徹底されていた。

 リトルリーグの多くのチームは、サインは固定式で回してる。覚えるのが大変だから、仕方ない。

 でも岸和田のこのチームは、おそらく回ごとにサインのパターンを変えている。何らかのローテーションルールか、試合状況に合わせた分岐方式か……詳しくは読めないが、少なくとも“盗まれる”という前提で備えている。


 サイン盗みはルール違反だし、まして小学生では難しい。だから大半のチームは無警戒だ。

 俺も塁上で分かることはあるけど、もちろん伝えるようなことはしない。

 二塁で妙な動きをしたら、すぐに審判に怒られるしな。


 リードは意外と普通だった。

 でも、目を引くのは、やっぱり――ピッチャーのコントロールと、ストレートの伸びだ。


 ……あれは、ウチのチームは打てないかもしれない。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 四回裏、岸原の二打席目が回ってきた。

 一打席目は得点圏に走者を置きながらも、勝負を避ける形での四球。

 結果的に後続が倒れて無得点に終わり、試合は今もなお0-0で進んでいる。


 そして――その初球だった。


 スイングは一瞬だった。

 けれど、打球はものすごい弾道を描いて、フェンスの遥か向こうへと消えていった。

 リトルリーグ用のフェンスどころか、そのさらに奥の球場本来のフェンスすらも、軽々と越えていく。

 あのフェンス――俺はまだ、一度も越えたことがない。


「同じ学年、なのか……?」


 そう思わず呟いていた。

 あれはもう、ただのホームランじゃない。“化け物”の打球だった。


 ネット裏では、俺たち以外にも他チームの関係者や、明らかにそれっぽいスカウトらしき大人たちの姿もあった。

 誰もが一斉に身を乗り出して、グラウンドを回る岸原の背中を目で追っていた。


 最終的にこの試合での岸原は、四打席で三安打一本塁打。

 もちろん優秀な成績だが、あの一撃の飛距離と衝撃だけは、数字じゃ語れない。


 目を閉じれば、まだあの打球が頭の奥に焼きついている。

 これは、ちょっと、次元が違うかもしれない――。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 2回戦は豊中で行われた。

 移動にはチームの中型バスを使わせてもらった。

 その車中、珍しく運転手さんから声をかけられた。ずっと専属のドライバーだと思っていたけど、実はシニアチームの監督だったらしい。言われてみれば、今までそんなにバスに乗る機会がなかったから、知らなかった。

 でも、いつもちゃんと挨拶しておいてよかったと、ちょっと思った。


 俺はこのまま今のチームのシニアに上がるつもりでいる。

 他にも何校かシニアから声はかかっていたけど、ここは徒歩圏内に練習場所があって通いやすい。

 練習時間が確保できるというのは、やっぱり大きい。

 高校は、もう少し強いところに進まないと、甲子園は遠いかもしれないけど。


 豊中球場は、正直あまり好きじゃない。

 理由は単純でうるさいからだ。

 近くの伊丹空港にジャンボジェットが離着陸するたび、窓ガラスが震える。

 当然、外でプレーしてるときに静かなわけがない。

 地元の住民はずっと騒音に怒っていて、ようやく関西空港の建設が決まって廃止される事が決まったばかり――なんて時代だ。

 もっとも、結局この空港は廃止されないんだけど。


 ちなみに、前世では「伊丹空港」でも「大阪空港」でも通じるけど、「大阪国際空港」って正式名称で言うと、地元民には通じなかった。国際線なんてほぼ飛んでないから。


 集中力が削がれるので、できればこの球場以外で試合したかったけど仕方がない。

 ちなみに大阪のアマチュア野球でよく使われる舞洲の球場は、この時代ではまだ海の底。人工島すらできてない。


 試合は岸和田の攻撃から始まった。

 うちのエースは一番、二番を抑えたが、三番にレフト前へクリーンヒットを打たれる。

 そして、打席には岸原。

 ……守備位置から見ても、やっぱりデカい。

 まるで小学生の中に、高校生が一人だけ混じってるような感じだ。

 案の定、あっけなく三塁打を打たれ、先制点を許した。


 ピッチャーが何か言いたげにこっちを見る。

 まぁ、インローが苦手っぽいから、そこから入るようにアドバイスしたけど、見事に打たれてしまった。

 仕方がない。球が遅いし、1試合だけの分析には限界がある。

 結局、1失点で抑えた裏の攻撃。相手のピッチャーは偵察時と同じ、背番号1のエースだった。


 1番があっさりゴロで倒れる。

 ネクストから見る限り、原因は明らかだった。ストレートがかなりシュート回転している。

 本来ならすぐに修正すべき欠点だけど、場合によっては武器になる。

 ブロックサインを使っているあたり、監督の指導もなかなか先進的かもしれない。

 ……これは、ちょっとやりづらいな。


 2番はカーブで空振り三振。

 今まで対戦した投手の中では、もっとも完成度が高い。

 お、俺への敬遠はないのか?

 堂々とした顔でこっちを見てくる。


 初球。明らかにカウントを取りにきたストレートだった。

 フルスイングで振り抜く。


 ベースを回る間、ピッチャーの顔を見ると、あからさまにショックを受けた表情。

 キャッチャーがマウンドに駆け寄る。

 もしかしたら、俺のデータを持っていたのかもしれない。

 初対戦では初球を見送って、粘って、相手を観察する。それがいつものやり方だから。


 でも、この試合は違った。

 多分、うちの他の打者じゃ、このピッチャーを崩せない。

 アドバイスする意味もあまりない。


 ホームランで追いついたベンチは大盛り上がりだったけど、監督と目が合い、互いに小さく首を振る。

 ――まぁ、そうだろうな。


 試合はそのあと、かなりひどい展開になった。

 5回表が終わった時点でスコアは7対1。

 俺の第二打席、第三打席は、どちらも敬遠。


 一人だけが突出していても、野球は勝てない。

 全国級のエースと対戦できたのは貴重な経験だと思うしかない。


 岸原は3打数3安打。

 俺は1打数1本塁打。

 ……これは、俺の勝ちでいいんじゃないか?


 やたらと岸原と目が合うので、手を振っておいたら、監督に頭を軽く叩かれた。

 ――体罰ってやつだな。


 最後のバッターは平凡な内野ゴロ。

 無理なヘッドスライディングをしたけど、余裕でアウトだった。


 リトルリーグではヘッスラはアウト宣告されるルールがある。

 けれど、スコアには普通のゴロとして記録されていた。

 ……温情、ってやつかな。優しい。


 これで俺たちの関西大会は、幕を閉じた。

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