第25話 「私の心はここにある」


《※ルーク視点》



 漆黒の闇が続く。


 視覚を失ったエマに成り変わったことで、初めて聖女かのじょたちの痛みを思い知った。



「こんなにも……苦しいものなんだ」



 永遠に感じる、孤独の中。


 研ぎ澄まされた聴覚が音を拾う。


 馴染みのある声が聞こえた。


 


「……あの、記憶がなくなってしまって。あなたのこと、何も覚えてないんです――」



 それが何を意味しているのか。


 瞬時に理解したルークは、心の底から安心したんだ。


 

 良かった……。


 やっと、君の痛みを背負うことが出来た。



 温かく灯った心に浮かんだのは――



「ルティアス様の加護がありますように」



 君から最後に贈られた、祈りの言葉だった。





 目の前が暗転して――


 気付けば、鉛色なまりいろの世界に立っていた。


 いつの間にか、視覚を取り戻している。



 地平まで広がる、虚無の空間。


 足元に張られた水面に、自分の白い輪郭が映っていた。



「久しいなぁ、ルーク。100年ぶりだ」


「……!」



 目の前に少女が立っていた。 


 頭から足の先まで、真っ白な姿。


 愛しい声。でも、彼女じゃないことは態度から分かっていた。



「聖女と入れ替わるなんて、愚かなことを考えたものだ。何故、私に背くようなことをした?」


 包み込むような口調の中に、責め立てる刃が潜んでいる気がする。


 息をひとつ飲み込み、ただ真っ直ぐに神を見つめた。



「神の裁きがあるなら、僕が受けるから。どうか、彼女のことは……見逃してくれないか」



 深々と頭を下げたルークを見て、ルティアスは声を出して笑う。



「愛というのは……本当に美しいものだなぁ。君のそんな姿、初めて見たよ。それに彼女も、本当に君を愛していたんだねぇ」


「え……」



 その言葉に唖然としていると、ルティアスから告げられたのだ。


 『聖女制度はもう廃止にしたのだ』と。


 ルークにとっては、頭を撃ち抜かれるほど衝撃的な出来事だった。



「ど、どうして……」


「何故か。彼女の髪色だけが変わった理由わけを、君はちゃんと理解しているのか?」


 

 ルティアスに言われて、思い出した。


 エマの髪色が変わった理由。


 どんなに調べても分からなかったことだ。



「それは――あの子だけが君に心を開き、愛したからだ。……歴代の聖女たちとは違う。一番近くにいた魂に共鳴し、純粋な愛に染まったからさ」


「……そう、……なのか」



「私はずっと探し求めていた。この世界を浄化するに相応しい……『愛に満ちた器』を」



 嬉しそうに笑う女神の姿に、ルークはエマを重ねて見ながら微笑んだ。


 聖女の選別がなくなれば、彼女は本当の意味で自由になれる。


 良かった。……本当に報われる気分だ。




「ただし……神を騙した君にはそれ相応に働いてもらうよ。数百年は解放されると思わぬように」


「ああ……僕は、今までの罪を償うつもりでここに来たんだ」


 

 何百年も聖女を捧げてきた『死』を司る自分が、すぐに天界へ行けるなんて思っていない。


 それにエマは、これから長命種のエルフとして生きていく。 


 君と出会うまで、もう何百年も生きたんだ。



 数百年先になっても――


 君を待ち続けられる自信があるよ。




***




 女神、ルティアスの神託が降りてから――三日後。


 『聖女の選別制度の廃止』の知らせは、国土の末端まったんまで瞬く間に広がった。


 数千年前から続けられていた。国民にとって当たり前だったことが無くなることに、反対する声も上がったが――


 聖老院の迅速な対応と、教皇の『神の御心に従う』という進言もあり、事態は混乱へ向かうことなく急速に沈静化されていった。



***



 制度廃止から、一年後。



 シェリアル皇国の『カーロ』という街。


 青空に映える、黄色の街並み。街道のあちこちに、青いフラッグが吊り下げられていた。


 麻色のマントを着た青年が、ひとりで路地裏を歩いている。


 その隣を、ばたばたと駆けていく子供たち。


「……」


 白髪を靡かせて、彼はその景色を噛み締めるように見つめている。




 今日は――『星祭り』の日。


 一年に一度。神の祝福に感謝する催しが、シェリアル皇国全土で行われている。


 聖女制度の廃止を受けて、開くようになった祭りだった。




 露店から漂う、香ばしい匂い。


 飛び交う人の声。


 その中を、青年はとある場所を目指して進んでいた。


 彼の美しい容姿は多くの人の目を引いたが、足を止めることなく人波をすり抜ける。


 

 穏やかで陽気な音楽が流れつつも、その雰囲気には乗り切れないまま。


 ふと視界に入ったフラッグには、真っ白な七芒星ヘプタグラムが描かれていた。


 それを見て、青年は固く口を結び――また前へと進んでいく。




 目的の場所に辿り着くと、彼は一呼吸してから扉を開いた。



 ……リリンッ!


 「あ、いらっしゃいませ!」



 懐かしい鈴の音と男性の声。


 そこは、甘い匂いが満ちている製菓店だった。


 お菓子が陳列された明るい内装を、緑硝子のランプが照らしている。


 青年が入り口で立ち尽くしていると、カウンターから男が話しかけてきた。



「見ない顔だなぁ! その髪色は、生まれつきかい?」


「……はい、そうです」


「綺麗な色だなぁ! なぁ、エミール!」



 男が妻の名前を呼ぶと、ふわっとした雰囲気の女性が奥から現れた。



「あッ……」


 思わず漏れ出した声。しかし、誰もそのことに気付いていなかった。



「まぁ!本当ね、ノーラン。綺麗な星の色だわ」


 二人の空気についていく事が出来ずに、青年はそっと拳を握り締めていた。



「今日は何をお求めで?」


「えっと…………じゃあ、これを」



 陳列されていたクッキーの包みをひとつ渡すと、ノーランの世間話が始まった。


 『どこから来たのか?』『この街は初めてなのかい?』と当たり障りのない内容だ。

 


「聖女制度が廃止なんてびっくりだよなぁ。最後に聖女に選ばれたのは、うちの娘だったんだ」


「そ……うですか」


「ほんとになぁ……。もう少し早ければ、エマは――」



 その名前に、どきりと心臓が跳ねる。


 青年は奥底から沸き上がる震えを抑え、迷いながら音を探した。



「……ノーラン、お客様の前よ」


「……ははっ! すまないね、知らない人だったからつい、な。今のは忘れてくれ!」


「……」


 会計済みなのにも関わらず、そのまま立ち尽くしている客を見て、二人は不思議そうにしていた。


 そんな彼らに、青年は乱れそうになる息を殺して尋ねる。



「娘さんが……聖女に選ばれて、お二人はいま幸せですか?」



 ただここには、見に来るだけと思っていた。


 ルークの姿を借りて、自分のいなくなった家がどうなっているか見たいなんて……。


 それだけで心が壊れそうになったとしても、聞きたくなってしまったのだ。



「……それとも、娘さんの幸せを――」



「――そんなの、娘が一番に決まっています」



 ノーランは涙をぽろぽろと溢しながら、声を殺して言った。



「娘の幸せを願わない親が、どこにいます? たくさんの幸せの中でッ……エマには、長生きして欲しかったですよ……」


「……ッ」



 顔を俯かせて、涙する父。その後ろで、口元を押さえている母。


 かつて神官の前で見せた印象とは違う、温かな両親が映る。


 ……父も母も、国に逆らえなかっただけなのかもしれない。


 家族を守るために、私を差し出した両親。


 同じく守るために、自分を差し出した私。


 ……ダメだ。




 ……ここにいては、泣いてしまう。


 クッキーを奪い取るように掴み、急いで扉へ向かうと――




 ……ドンッ!


 賑やかな鈴の音とともに、小さな影とぶつかった。



「ご、ごめんなさい!」


「こら、リーナ。前を見ないと危ないだろ、お客さんにぶつかるなんて!」



 ヘーゼル色の髪をした子供たち。


 ネイサンがリーナの事を叱っている。



 ……二人が、元気そうで良かった。


 こんな当たり前の光景が、なんて愛おしいんだろう。



 思わず二人の頭を撫でると、彼らはとても驚いた顔をして息を呑む。



「……。きっと、娘さんは幸せだったと思います」


 ノーランたちを振り返ることなく――



「……ルティアス様の加護がありますように」


 子供たちに魔法の言葉をかけて、青年は夢幻のように店をあとにした。



***



 晴れた空。住み慣れた街を背に、歩いていく。


 カーロにやってきたのは、思い出の場所をルークに見せたかったからだ。



 ここはエマが育った街であり、二人が初めて出会った場所だから――



 持っていた包みから、クッキーを取り出して口に放り込む。


 軽い咀嚼音。味も、鼻から抜けるこの香りも大好きだった。


 もう食べれないと思っていたから、その懐かしさだけで涙が出てきそうだ。



「……!」


 エマの頭上を、小さな祈りが舞う。


 振り返ると、街からたくさんの紙灯籠ルーチェが飛んでいくのが見えた。



「ねぇ……次はどこに行く?」


 いつものように語りかけた。


 あの灯籠のように、私達はどこまでも自由に飛び立っていける。


 

 ルーク。今日もあなたは生きているよ。


 あなたの姿を借りて、私も生きていくから。


 いつまでも、あなたとともに――




 私の心は、ここにある。



(完)


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る