未来の先に

@nauta061

第一章 この国について

日本-大倭史 其の一

YE2500。これは国から僕に与えられた番号だ。今は2090年で僕が生まれる少し前までは現在僕たちたちがいるこの国は「日本」という名称で呼ばれていたらしいがその時、僕はまだ生まれていなかったので知る由もない。この国は「復古政策」と呼ばれる政策を経て今は「大倭」という名前になっている。僕の名前は遼一で2065年6月生まれの25歳で企業勤めの会社員だ。高校生の時に両親から「復古政策」について教えてもらったことがあった。それによるとこの国では21世紀に入った頃から合計特殊出生率が顕著に減少し始め、2050年を過ぎた頃にはその値が1を切ったらしい。一般的に合計特殊出生率は2を切ると人口が減少してゆくとされている。そして人口を維持するためにはこの値が2.06~2.07程度である必要があるとされている。21世紀に入ったころにおいてもその当時、人口の減少については不安の声があったのだが当時の政治の長であった内閣総理大臣はこのことについて「この国の安定的な成長、存続のためにはもちろんこの値を気にする必要がある。しかし、ものごとには順序がある。それをしっかり見定める必要があるだろう。」というような答えになっているのかどうかすらわからないような発言を度々してこの課題を未来に先送りにした。そしてその結果としてこの国では2050年には人口が一億人に満たなくなり、総人口に占める高齢者の割合も3割を超えた。労働人口が減り、食べ物も本格的に輸入に頼るようになっていった。2053年3月15日、この国が大きく転換するその始まりの日、後に大倭の歴史の最初の一ページを作ることとなる山内祐実が第130代内閣総理大臣に就任した日である。彼女はまずそれまであった日本という国家とその枠組みを徹底的に見直すことに注力した。現在2090年では彼女のこれらの政策はまとめて「復古政策」と呼ばれており、彼女自身もこの名を用いた。この名称は文字の意味通り以前の日本に立ち返るというものであり、その代表的な政策として国家の名前を「日本」から「大倭」に変更したというものがある。これは古墳時代の史料に見られる国家の名前から借用しており、過去の強かった時代を思い返し、手本にし、目指すべきであるとの思いから名付けられた。また国家の名称変更に並ぶもう一つの中心政策として挙げられるのは「人口増加政策」である。前述した通り当時この国は人口減少に歯止めが利かなくなり、子供の数が減り、高齢者が増えるという傾向が顕著であった。この事態を食い止めるために山内首相は「人口増加政策」なるものを打ち出す。その先の未来がどうなるとも知らずに…。

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