36歳独身無職

7maimai

第1話 無職になってからの初帰省。実家の洗礼と初恋の記憶

オレの名前は、真田広之。36歳。


往年のイケメン俳優と一緒だ。ファンだった母親が、マタニティー・ハイの勢いでつけてしまった名前。


もちろん、名は体を表す…わけもなく。

女の子にキャーキャー言われることはなかったし、手塚理美も葉月里緒奈も現れなかった。若い人は知らないだろうけど。


そして、そんなことを気にする年齢も過ぎた。


つつましく、平凡に。

理学部出身で、ITインフラ系の地味な仕事に就いたオレの周りに、女の影なんてあるわけもなく、でも周りもそんな奴ばっかりの環境だったから、


まあいいや。

人生、そう悪くないーーそう、思っていた。


しかし、あるとき、会社で事件が起きた。

機密情報の入ったUSBが紛失したのだ。

詳細は省くが、オレはいつの間にか、トカゲの尻尾切りのように紛失の責任をとらされた。

その後、USBを紛失したのが部長だとほぼ確定しても『真田広之に任せていた』という部長の弁明を根拠に処分が覆ることはなかった。

クビにされるほどのトラブルじゃなかった。

でも、結局、居づらくなって退職した。


それが、今夏のこと。


それなりの規模の会社で新卒から働き続けていたから、就職口はすぐ見つかるだろう。

そう思って退職したが、世の中と自尊心を舐めすぎていた。


入りたい、と思う会社からは、お祈りメールが来る。受かるかも……と思う会社は、入りたくない。


10月になっても、11月になっても、仕事は見つからなかった。


週刊S〇!で「ブラック」とネタにされている業界で働く人間すら眩しく見えるようになってきた。

当たり前だ。世間から見れば、そいつらのほうが無職のオレよりずっと上だ。


そして年末になり、オレは特急……ではなく、普通列車で実家に帰省した。


車窓からの景色は、どこも去年より色あせて見えた。





トンネルを抜けると、そこは四方を山に囲まれた、小さな田舎町だった。


12月29日、夕刻。ホームに降り立つ。

東京と違い、ちゃんと『冬』だ。山から吹き下ろす風が刺すように頬を撫でていく。


駅を出ても、人通りはない。車だけが通り過ぎる。

駅前のケーキ屋は、漫画喫茶に変わっていた。よく立ち読みした本屋は、代替わりして続いている。


実家に帰ると、事情を知っている両親が「おう、けぇって来たか!」と、何も聞かずあたたかく迎えてくれた。泣きそうになった。

家族はオレの最大の財産だ。変な名前をくれたが、それ以外は最高だ。


近所に住んでる姉貴と姉貴の旦那も、リビングのコタツで、漬物をポリポリ食べながらお茶を飲んでいた。

二人も事情を承知しているのか「〇〇に新しいショッピングモールが出来てさ!」なんて当たり障りのない話で場をあたためてくれる。


実家に帰ったら傷つくこともあるかと思っていたが……ここでもう少し、自尊心を癒そう。


そう思っていたら、姉貴の小学生の子供二人がドタドタ走ってきて、大きな声で歌い始めた。


アンパンマンのマーチにのせて、


「アンパンマン♪ 36歳どーくしん無職♪ 趣味は♪ 銀行強盗、ひーと殺し♪」


姉貴が、茶を吹いてむせこんだ。


「こ、こらっ」


姉貴の旦那が慌てて注意する。

ざっぱり流れるオレの血。


……いっそ、笑ってくれ。


「ヒロユキお兄ちゃんは、いつ結婚するだ?」


子供①が言った。なかなかの破壊力だ。


「ヒロユキお兄ちゃんは、結婚しないんだよ。だって、えるびーじーてぃーで、どうていだもん!」


子供②が、なんとなく語感だけ知ってる単語を全て使って偉そうにぶっ込んでくる。


固まる両親。涙を流しながら肩を震わせる姉貴、辛うじて笑いをこらえている姉貴の旦那。


オレが力なく笑うと、姉貴がごほんごほんとむせながら、とりなすように言った。


「広之、彼女いたよねっ?」


……人生で彼女がいたことはないが「いる」と嘘をついたことはある。優しい嘘。田舎じゃ皆、結婚が早くて、30歳独身すら珍しいから、老いていく両親に心配をかけたくなかった。

でも「どんな子?」と聞かれなかったから、嘘とバレていたのかもしれない。


オレが黙っていると「あ、そーだ!」と母親が、空気を変えるように手を打った。


「田中さんとこの女の子。ほら、あんた仲良くしてたじゃん。旦那に浮気されて離婚して帰ってきたって言ってたからサ! どう? 確か子供いなかったよ」


「あぁ…」


浮気されて離婚して…帰ってきた、って…。


心惹かれないフレーズと、田舎ならではの個人情報ダダ漏れにおののく。

そもそも、田中さんってどこのどなた。


聞こうとしたら、母親が言った。


「だから、あんた無職なんだから、婿養子に入って団子屋一緒にやればいいじゃん! ほら、田中ゆうかちゃんだよ!」


あっ、と思い出した。


田中ゆうか。


小学生のときにオレと日焼け大賞を競った女の子だ。


小学生の最後の年、初めて同じクラスになった。足の速い明るい子だった。一緒に行った夏祭りで、大きなわたあめを買っていた。オレが食べたいと言ったら、千切って口に入れてくれて、……ドキっとしたのを思い出した。

中学は別だったから、それ以降のことは知らないけど。


いま見たら美人だったりして? ……なんてな。


ちょっと心が躍ってしまった。


でも、自分から声をかける勇気もない。

早く声をかけておけよ、と、去年のまだサラリーマンだった頃の自分に言いたい。


そんなオレを察したのか、コミュ力は鬼並みの母親が言った。


「おかーさんに任せりゃいいだで! 今日はもうヤダけど、明日、団子買いに行って田中さんに話つけてくるで!」


「えっ」


36歳独身無職が、母親に女の子との間を取り持ってもらうなんて、流石にキモすぎる。


「いや、オレ声かけてみるよ。久しぶりに話したいし」


精一杯の強がりが、人生を変えることもある。


36歳、名前負けの独身無職。でも、一歩踏み出すくらいは、まだできる。

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