第5話 美味しんボーイ
(ツクヨミ、ツクヨミ、起きて)
ツクヨミはアマテラスの声で目覚めた。すでに、視界は光であふれていた。彼女より遅れて起きたのは初めてだった。
(ごめん、アマテラス。寝坊した)
(ツクヨミでも寝坊することがあるのね)
(今は何時?)
尋ねると美琴の首が回って時計が視界に入る。
(午前4時を回ったばかりじゃないか!)
自分が寝坊したのではなく、アマテラスが早く目覚めすぎたのだ!
(ほんとだぁ)
彼女はまのぬけた言い方をして、フフフ……と小さく笑った。
(朝食は7時からだったわよね。それまでどうしよう?)
(テレビを視たらどうかな? この国のことがもっと分かるかもしれない)
(さすがだわ、ツクヨミ)
美琴がテレビのリモコンを取り、赤いボタンを押した。
ケーブルテレビは50チャンネルあって、その内の一つが政府専用チャンネルだった。龍珍を始め、政府首脳らのメッセージが延々と繰り返し流れていた。彼らは、取り組んでいる政策や国民への要望を語っている。そのすべてに共通するメッセージが、愛国心を持つことだった。「東和の名のもとに一致団結すれば、我が国は世界一裕福な国家となり、国民は世界一の幸せ者になる」彼らの言葉を、ツクヨミは噛み砕いて伝えた。
(ツクヨミ、この国が世界一になったら、日本はどうなるの?)
(幸福に優越はありません)
(経済力は数値化されるから、優劣があるでしょ?)
(国家の裕福さが、国民の裕福さと一致するものとは限りません)
(どういうこと?)
(富は偏在するからです)
(……貴族と奴隷みたいなこと?)
(それは極端な例ですが、そのようなものと考えていいでしょう。最新のデータでは、世界の富の80%は、上位10%の者たちが所有しています)
(私のような普通の人間、90%の人々がたった20%富を取り合って暮らしているということね。……分かった、ありがとう)
彼女は納得し、チャンネルを変えた。ドラマ、スポーツニュース、料理番組……。最後に落ち着いたのがアニメのチャンネルだった。日本のアニメが東和語で流れていた。
――プルルルル――
内線電話が鳴る。
(アマテラス、受話器を)
(え、うん)
美琴が受話器を取った。
『おはよう。寺岡です。起きていた?』
「おはようございます。ずっと前に起きていました」
『それじゃ……』朝食の誘いだった。
「え、もう、そんな時間!」
時計を目にして彼女が飛びあがった。
『慌てることはないよ』
電話の向こう側で、彼がやさしく笑っていた。
レストランで朝食をすませてから、ホテルと一体化しているイベント会場に入った。
「オッ、初めて現場を見るけど、立派なものだな」
寺岡が天井を見上げる。その視線を美琴は追った。高い天井に優美な照明器具が並んでいた。
「そうですね」
「ブースも設計書通りだ」
体育館二つ分ほどのスペースは、すでに東和民主共和国側によってブースが仕切られていた。各ブースに、日本から送った荷物も届いている。
二人は会場中央、スサノオが調理を実演するメインブースに向かった。そこにも大きな木箱が二つ並んでいた。
「届いているね。まさか、壊れていたりしないよね?」
彼はスサノオの入った木箱を開けた。スサノオのボディがマネキンのように横たわっている。
「博士が作ったスサ、いえ、美味しんボーイです。大丈夫です」
東和民主共和国内では、スサノオは美味しんボーイと呼ぶことに決まっていた。
美琴は同封されていたスマホサイズのリモコンを手にした。リモコンの電源を入れるとディスプレーにテンキーが現れる。
(ツクヨミ、起動の番号を教えて)
(31415926535897932384)
(えっと、3141592……続きは?)
彼女がぺたぺたとソフトキーを押す。
(6535897932384)
(……653589……、アッ、間違えた)
彼女の指が止まった。
(間違っても大丈夫です)
(エッ、どういうこと?)
(そちらのリモコンが出す電波はダミーです。正式なものは私が送っています)
(エッ、エッ、エッ……)
(スサノオが略奪される可能性を考えたうえでの措置です)
(そうなんだ……)
美琴が肩を落とした。
(騙していて、ごめんなさい)
――ウィン――
美味しんボーイの中からごくわずかな機械音をSaIが拾った。
〖スサノオ、お疲れ様〗
【ツクヨミ、おはよう。計画は順調ですか?】
〖計画は始まったばかりだ。スサノオ、千絢を、今は美琴だが、助けてやってほしい〗
【了解】
美味しんボーイが立ち上がった。
「オッ、美味しんボーイが動いたよ」
寺岡の顔が輝いた。
「美味しんボーイ、自己診断を」
美琴が命じる。
「へー、それが目玉の美味しんボーイかい?」
周囲に他のスタッフたちが続々と集まっていた。イベント開始は午後1時。それまでは設営の時間だ。
『自己診断終了。異常ありません』
「それは良かった。今日は頼むよ」
寺岡が美味しんボーイの肩に手を置いた。
「美味い東和料理を期待しているよ」
団長が声を上げると『全力を尽くします』と美味しんボーイが控えめに応じた。
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