第2話 迷い猫とバンパイア

 深夜のことだった。スーパー丸福の駐車場、隣接する児童公園、佐藤宅の裏庭、その裏にある廃屋、ツクヨミはインターネットから地図を入手し、猫が行きそうな場所をピックアップした。……早瀬千絢は全神経を研ぎ澄まし、シンと静まる街を歩いた。聞こえるのは遠くを走る車のエンジン音や自転車のペダルの音。時折、住宅から、夫婦喧嘩の声やテレビニュースの音声や音楽などが漏れ聞こえた。どれも求めているものではない。捜しているのはミー君、生後二年のトラ猫だ。

「君!」

 突然近くで自転車が止り、声と明かりが彼女を襲った。

「クッ」

 眩しさに視神経が震え、千絢の手が丸メガネを手で覆った。

(メガネを隠さないで。状況が把握できない)

 ツクヨミはアマテラスに言った。

(ごめんなさい)

(分かればいい。目の前の相手に集中して)

 目の見えない相手に〝目の前の〟と言うのはおかしいけれど、目が見える人間たちがつくった社会の慣用句だとやりすごす。

(はい)

「こんな遅い時刻に、……未成年者だよね? しかも……」

 制服姿の警察官の目線が千絢の白杖に向いていた。

 SaIを装着した千絢は目が見える状態だ。それなのに彼女が白杖を手放さないのは、SaIを失った場合の備えだ。健常者が突然視力を失うことを案じないのを不思議にさえ考えている。産まれた時から光を持つ者と、持たないものとの違いだろう。辛い経験を積み重ねてきた彼女は、とても心配性なのだ。

「……ほめんなささい」

 彼女は反射的に謝っていた。しかも緊張のためにロレツが回っていない。

「……見えないのかい?」

「……い、いいえ……」

 しゃべり慣れないので唇と舌がうまく動いていない。彼女が普通に話せるようになったのは、ここ数か月のことだ。それまでは手のひらに文字を書いて意思疎通をはかるのが普通のことだった。漢字を学び始めたのも最近のことだ。

「……こ、このメガネのおかげで見えています」

 レンズの代わりに電子センサーを装着したSaIを指さした。今、暗視モードのそれは灰色の景色をツクヨミに送り届けていた。ツクヨミは、そのデータを補正してアマテラスの脳に届けている。

「へえ……」

 若い警察官は腰を少し折って千絢に顔を近づけた。

「……ミ、ミー君を、……猫なのですけど、探しているのです」

 ポケットから写真を出して警察官に差し出した。

「君の猫かい?」

「い、いいえ。佐藤さんというご老人の猫なのです。ふ、普段は家から出ないのに、今日は、ドアの隙間から出て行ってしまったみたいで」

「代わりに探しているんだね。でも、こんな夜に危ないよ」

「夜、猫は、集会を開くから、見つけやすいのです」

(上手いよ。その調子)

 ツクヨミは、アマテラスの成長を実感していた。彼女は自分より16歳も先輩だというのに上から目線だ。

「そうなんだ。詳しいんだね」

「教えてもらいました」

「そうかぁ。飼い主も心配しているのだろうね。その気持ちは分からないでもないのだが、君は未成年だよね?」

 懐中電灯の明かりが、再度、千絢の顔をなでた。

「……は、はい。17歳です。……み、未成年者が、夜中に外に出てはいけない法律があるのですか? そ、それとも、猫を捜すのがいけないのですか? 私、法律のことは疎くて……」

「外出や猫捜しが禁じられているわけではないけど……。17歳なら高校生だよね。どこの高校?」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。どこの高校?」

「高校にはいっていません。……学校は、小学校も中学校もいっていません。ずっと施設だったから」

「施設?」

「私、も、盲ろう者なので」

「モウロウシャ?」

「目も耳も悪いのです」

「ん? それってヘレンケラーみたいな?……今は見えているし聞こえているみたいだけど……」

「その通りです。……すべてこのメガネのおかげなのです。これをもらえるまで、施設で育ちました。そ、外は危険なので」

 アマテラスが(中も危険だけど)と言った。

(そうだったね)

 ツクヨミは応じた。

「なるほど。家族はいるんだよね? えっと、君の名前は?」

「早瀬千絢です。ち、父は早瀬供成です」

 ――ミィ――

 どこかで猫の鳴き声がした。とても遠い場所だ。警察官には聞き取れなかっただろう。聞こえたのはSaIの性能の良さのお蔭だ。

(千絢、猫がいます。急ぎましょう)

 ツクヨミは教えた。

(うん、聞こえた)

 アマテラスが答え、警察官に意識を向ける。

「……あのう……」

「ん?」

「い、行ってもいいですか? ミー君を捜さないといけないので。……近くにいるはずなのです」

「うーん。でもなぁ。世の中には危ない人もいるから」

「はい。分かっています……」

 千絢の神経を緊張が走り、ブルっと背筋が震えた。施設の中にだって危険な人物はいた。それを彼女は身をもって体験していた。彼女は記憶に刻まれた恐怖を勇気で抑え込む。

「ニュースで知っているだろうけれど、ここひと月、変質者に女性が襲われて咬まれる事件が起きている」

(バンパイア事件だ)

(そうなの?)

 千絢の心拍数が急上昇した。

 三日おきに女性が襲われて首筋や太腿を咬まれる。中には血液をチュウチュウ吸われたという報告がインターネットに上がっていた。それでバンパイア事件と呼ばれるようになった。実際、バンパイアが関与しているのか否か、私は知らない。そうしたネットニュスをアマテラスに伝えなかったのは、彼女が恐怖するのが分かっていたからだ。

(大丈夫。バンパイアの出現サイクルによれば、今日、それが現れることはありません)

(良かったぁ)

 彼女が落ち着きを取り戻す。

「……これ、持っていますから大丈夫です」

 千絢がポケットから防犯ブザーを出して見せた。

 そんな物がどれだけ役に立つだろう?……疑問に思う。

「分かった。スマホは持っているね?」

「はい」

「もし、何かあったら連絡しなさい」

 警察官は自分の名刺を渡して解放してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る