3 図書館の噂

 次の日からスタックリドリーは天空の図書館の司書として働いた。主な仕事は利用者から返却された一般図書を元の場所に返すだけ。だけといってもこれがかなりの重労働でカートで一日上へ下へ移動しながら返しているのだから結構な運動になる。本の厚さは分厚いものから薄いものまでさまざまで内容もバラエティに富んで見知らぬ国の公式旅行ガイドや魔女の秘密レシピという本まであった。


 各フロアではじつに多様な人を見かけて、子供を連れた主婦やローブをまとった学生やらずいぶん難しい表情で専門書を読みふけっている学者の姿もある。壁際の机には本を山積みにして物語を書き綴っている夢想家がちらほらいて、今この瞬間もこの場所で物語が生まれているのだと思うと不思議な気持ちになった。ぺペットの村には書物さえわずかだったというのに。たぶんこの国は豊かなのだ。


「まったくどうしてこんな素晴らしい場所が地図に載っていないのだろう」


 休憩室で脱力しながら憤ると対面で昼食をとっていた先輩が笑った。


「旅人だから知らないんだね。この図書館は王の私設なんだ」

「私設?」

「自治体が運営しているものではなくて王が趣味で作った場所だから当然地図にも載らない。載らないというより載せないんだけれど。まあ本当は知られたくない本がいくつかあるんだろうね」

「秘密図書のことですか」

「オレも見たことすらないんだけどね」


 噂はあくまで噂。長く勤める職員にさえその存在さえあやふやなのだ。


「でもこんな大規模な場所が個人の私設だなんてものすごい資産だ」

「でしょ。で、オレたちはその下働き。給金も割りと良かったでしょう」


 たしかにとうなづく。かなりの好条件ではある。しかし、このような場所が地元住民以外に知られていないなんて少々勿体ない気もする。世界中の人が詰めかけてもおかしくない、それぐらいの価値があってしかるべきだ。

 難しい顔をしていると先輩が思考を巡らせた。


「それにしても古本破いて二十二万ディルは運が悪かったな」

「ですよ、まったくシルフのやつ……」

「うん?」

「ああ、いえ何でもないです」


 精霊が、なんて冗談めいたことはよした方がいい。そ、といって先輩はランチを片づけた。お互いに昼間からまた返却の仕事だ。彼は何年もこの仕事をしている。自身がいかに貧弱とはいえ、たった一日でくたびれたとは口に出来なかった。


「それよりリドリー、キミは明後日夜勤があるだろう。断っておけばいいものの」

「ああ、はい。あります。お給料が少し良かったので。でもそれが何か問題ですか」

「知らないぞ、夜の図書館には出るんだぞ」

「えっ?」


 一瞬頭が真っ白になってしまった。夜の図書館に出るだって? 出るといえばアレしかないだろう。想像し恐怖していると先輩が地を這うような言葉で告げた。


「そう、出るんだ。精霊が」

「…………精霊が……出る?」


 スタックリドリーはぽっかりと口を開けて言葉の意味を考えた。お化けではなくて精霊が出る? それは果たして怖いのだろうか。


「出るというのは何かそれなりに悪いことがあるという意味ですか」

「図書館の片隅で死んだ人間がいるんだ。そいつの首には絞めたようなあとが……って、あはっはっは。冗談だよ。精霊が出るって噂だけれどまさかそんなこと起きやしないよ。だってここ図書館だぜ?」

「え、あ。……うん、そうですか」


 思わず精霊の遺恨だと心配したんだけれどただの冗談だろうか。コレはますます泊まりこみで働くのが怖くなってきた。出る、夜の図書館には精霊が出る。


「まあでも夜勤はちょっとしんどいわな。利用者の案内はしなくて済むんだけれど、みんなが寝てる時間に働くってのも疲れるし、眠くなったらすぐ仮眠室で寝ろよ。監視がいるわけじゃないからサボったってなんの罪にもならない」

「王の私設なのに?」

「そう。王の私設なのに」

「さ、仕事だ仕事。飯食ったから働くぞ」


 先輩が伸びの運動しながら先に部屋を出ていく。残されたスタックリドリーは彼の精霊に関する言葉を反芻してまさかな、とあとに付き従った。




 それから体が軋むほど働いて、ようやく夕方になると業務から解放された。本を飽きるほどに運んでは戻して、時々利用者に質問されてはトンチンカンな答えを返して。先輩はまったく疲労していない様子でこれから酒場に向かうという。夕焼けに去りゆく背中を見てそれも人生だなと思った。

 スタックリドリーの手には好奇心で借りた精霊学の本が二冊。いい場所で働けた幸運だ。これもまた人生。今夜、宿屋でノーブルの手記と照らし合わせながら読もうと思う。

 

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