2章 イルマナ渓谷

1 渓谷のつり橋

 イルマナ渓谷は切り立つように深く、荒々しく削れた岩肌がむき出しのこの辺では有名な絶景である。谷底を流れているイルマナ川は飛沫を上げて激しくのたうち、落ちればひとたまりもない。まして冬の寒さだ、助からないと思ったほうがいい。


 スタックリドリーは現在、その渓谷のかかるつり橋の上にいて、勇み足だけれど、へっぴり腰というわけも分からぬ体勢で橋を進んでいる。


 山肌から吹き下ろす風がつり橋を揺らして存外に怖かった。

 巨人の怒りのような暴風がまた吹いてロープが強くしなる。木下駄の上に身をすくませるとロープにへばりついた。


「もう、ダメだ」


 丁度真ん中、引き返すも渡りきるも同じくらい遠い。これから人生の冒険に出ようと思っているのにもう挫けそうになっている。

 彼はどうしようもないくらい高所恐怖症だった。


 しばらく動けずにいて、目を閉じて現状を忘れてみる。するとどうだろう。怖くないではないか。

 閃いたとばかりにスタックリドリーは目を閉じて踏み出してみた。


(いける、いけるぞ)


 さらにもう一歩踏み出したとき、足がすっと落ちた。


「ぎゃあああああああ」


 足元を踏み外しそうになって、危うく木下駄に身を救われた。






 何とか渡り切って向かいの山に着くと植生が一変した。至る所にピンク色の花が咲いている。名前は知らないけれど、花瓶に生けたいような単子葉の品のある植物だった。

 代わりにというか、ルーマの花を一切見かけなくなった。生まれ育った土地には当たり前にあったものだが、むしろ向こうの山独特のものだったと知る。

 冒険って発見があって面白いよなと彩る景色に心が弾み、都合のいいスタックリドリーにはすでにつり橋の恐怖は忘却の彼方だった。


 山道はよく手入れされていて、景観もよかった。枯れ枝は少なく、冬でも葉を落とさない常緑樹が多いせいだろう。エンビのつがいも確認出来て、小動物の姿も多くある。さすがに変温の蛇やトカゲは見かけないが、体感は少し暖かくなった気がしていた。


 向こうとは標高も同じ。多少、見た目は違えど環境が激変したとも考えにくいのにこの暖かさ。


「どうしてなんだろう」


 ちょっと学問的なことに気づけたことに満足して梢を見上げた。きらきらと何かが輝いている気がする。でも正体のつかめないそれは、じっと見つめているとすぐに消えてなくなる。

 さて、どうしたものか。

 冬ってこんなに穏やかなはずがない。スタックリドリーはその答えを近隣の村に着いてから知ることとなる。

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