第八夜 タイムリーパーは実在した
----------------------------------------------------------------------------------------------------本話には軽度な性的描写が含まれますのでご注意下さい。
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このお話は東京都内某所のバーにて、洋子さんという女性より聞かせていただいた。
本話を語るうえで、まず真っ先にお伝えしておかねばならない点が二つある。
第一に本話は通常、怪談として語る事はおおよそ憚られる内容である。
百物語の一篇として無理にでもカテゴライズするならば『SF系の奇妙な体験談』とでもするより他ないが、この分類もまたSFをこよなく愛する諸兄からは叱責を頂く事もやむなしと覚悟する所存である。
第二に、上記を考慮した上でもなお、この場にて語っておきたい程に奇天烈な話である。
この様な場でしか語る機会がない話、と言い換えても良いかも知れない。
以上をご承知おきの上で読み進めていただければ幸甚である。
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洋子さんは、今風の言い方をするならば、美魔女というやつである。
ご本人の申告によれば当年取って42歳との事だが、20代後半と言われても納得できる風貌であった。
アジア人女性に多く見られる童顔という訳では無い。
むしろ、タイプ的には実年齢よりも年上に見られがちな顔立ちである。
即ち、『「私、何歳に見える?」と問えば「30手前くらい?」とよく言われる25歳』に見える42歳、である。
ややこしい事この上ない。
美魔女であるからして、当然若く見えるだけではない、大変麗しい見目をしている。
職業は女優を少々、などと言われても疑いを持つことはなかっただろう。
黙って座っていれば楚々とした令嬢といった風であるが、「相当おモテになられるんでしょう?」と聞くと、「そりゃ、まぁそうよ」と笑って答える、あけすけでさっぱりとしたお人柄であった。
このお話は、そんな洋子さんが半年ほど前に体験した『今まで生きてきた中で最も奇妙で、かつ最も甘美な一日』の記録である。
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その日、洋子さんは三連休の初日をたっぷりと寝過ごしてスタートし、遅めの昼食を取ろうと街へ繰り出した。
一応外を歩いても恥ずかしくない程度に軽く化粧をし、部屋着に毛が生えた程度の服装、小さなバッグに現金だけ入れた財布とスマートフォンを放り込んで、近所の蕎麦屋とカフェのどちらに行こうかと悩みつつ、初夏の爽やかな風を楽しみながらのんびりと歩いていた。
交差点で赤信号に捕まり、通りの反対にある定食屋を眺めながら、久しぶりに魚でもいいな、などとぼんやりと立ち止まっていると、後ろから「あの、すみません」と声を掛けられた。
振り返って見れば、二十歳そこそこと思われる若い男性が立っている。
見知らぬ男性から声を掛けられることなど、洋子さんにとっては日常茶飯事である。
それこそ新宿や池袋あたりの繁華街を歩けば、キャッチにナンパにスカウトに、と延べつ幕無しに纏わりつかれる事も少なくない。
普段であればにべもなく無視するところであるが、場所は昼下がりのビジネス街、おまけに話しかけてきた男はどう見てもホストやスカウト等とは程遠い、『その辺を歩いているごく普通の大学生』といった風貌だったから、洋子さんも気軽に「はい、何か?」とだけ答えた。
田舎から大学進学で出てきた学生さんが道にでも迷ったのかしら、などと考えていると、意外な言葉が返ってきた。
「もし宜しければ、近くの喫茶店で飲み物をご馳走させて頂けませんか? ご迷惑でなければ、ですけど」
男前とはとても言い難い、これと言って特徴のない顔立ちに、地味で控えめな服装、とても一人でナンパに挑みそうもないようなタイプに見えるが...
何とも人好きのする笑顔を浮かべ、落ち着いた様子で話す男に少々面食らい、「え?まさかナンパ?」と思わず問うと、少し照れくさそうな表情で「はい、そうなんです。スミマセン」とはにかむ。
これほど素朴なナンパもそうそう見ないなと、いっそ微笑ましいくらいの心持ちとなった洋子さんは、半ば軽口を叩くつもりで「でも私、君くらいの子供がいてもおかしくない位のオバチャンだよ」と返した。
男は一瞬キョトンとした表情を見せたが、その後爽やかに笑い、言った。
「大丈夫です、僕はちゃんと成人してますから条例には引っかかりませんよ」と。
町中で彼女に声をかけてくる男の大半は、彼女の実年齢を聞くと驚愕する。
半数ほどは言葉を失ってそのまま立ち去り、残りの半数はナンパを断るために偽りの年齢を言っているのだと疑う。
ごく一部の手練は、大仰に驚いてみせたうえで随分若く見えると褒め称える。
時には、若作りするなよ紛らわしい、などと心無い罵声を浴びせる者もいる。
目の前ではにかむ若い男の反応は、これまで見たどの反応とも異なる、本気で年齢などどうでも良いと考えている人間の反応のように思えて、洋子さんは少し嬉しくなった。
まだ宗教やマルチビジネスの勧誘の可能性もあるかしら、と思いながらも、洋子さんは少しだけお茶に付き合ってあげる事にしたのだそうだ。
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ユウキと名乗るその若い男性の振る舞いは、恐ろしくスマートだった。
通りを歩く際はさり気なく車道側に位置取り、洋子さんの歩調に合わせて歩く、喫茶店のドアを開けて招き入れる所作なども自然で堂に入っている。
彼は若者の屯するようなチェーン店ではなく、地元で古くから営業する純喫茶へ洋子さんを案内した。
控えめの照明、低い音量でジャズが流れ、コーヒー豆の香ばしい香りに満ちた店内。
柔らかく沈み込むソファ、艷やかで重厚感のあるテーブル、年季を感じさせるが古臭さはない調度品。
若いのに、随分良い店を知っているものだと感心させられる。
彼との会話もまた、心地の良いものであった。
ユウキは個人情報にあたる事は名前以外何一つ聞かず、会話の流れの中から洋子さんの好む事物を巧妙に引き出した。
洋子さんの趣味、例えばジャズやクラシック音楽、宝塚歌劇団、ジムでのトレーニングに古典のミステリ、猫カフェに今季のドラマと、どんな話題を振っても深い見識を垣間見せ、それでいて長々と蘊蓄を語るような事はしない。
洋子さんの言葉を一切否定せず、常に同意と共感をもって応える。
いつの間にか会話に夢中になり、気付いた時には2時間程が経過していた。
お手洗いに、と席を立ち、戻った時には既に勘定が済んでいた。
「二回り近くも年下なんだから、お茶代くらい遠慮なくタカりなさいよ」と渋面をして見せると、ユウキは「美女に財布を出させるのはポリシーに反します」と悪戯っぽく笑う。
普通であれば当然、社交辞令と聞き流すような言葉も、彼の口から発せられるとあまりに自然に受け入れられる。
この頃には、洋子さんはすっかり彼の事を信用していた。
故に、ユウキの「少しお腹が空きませんか?近くに美味しいイタリアンのお店があるのでご一緒したくて」との誘いには、二つ返事で応じたい内心を僅かなプライドで抑え込み、ほんの少し迷っているような素振りを装うので精一杯だった。
そこからはもう、トントン拍子だったそうだ。
連れられて行ったレストランは味もサービスも満足のいくもので、余程裕福で高級店を食べ歩いているのかと驚嘆し、それ以上にユウキの自然で優雅さすら感じさせる所作に舌を巻かされた。
「ちょっと堅い店だったから飲み足りなくないですか?もう少し気楽に飲めるバーが近くにあって」と言われれば、会社でウワバミと恐れられる洋子さんは首を縦に振るより他ない。
続いて入ったバーも、そこでのユウキの振る舞いも、彼女の期待を大きく上回るものであった。
アルコールと、店の雰囲気と、ユウキの紡ぐ会話。
それら全てが彼女を酔わせていった。
結果として、そっと彼女の手を握り、まるで縋り付く仔犬のような眼差しとともに放たれた「もう少しだけ、二人きりで一緒にいたい」という言葉に、考える間もなく頷いてしまった。
最早駆け引きを弄する気すら沸かなかったのだという。
ベッドの上に至っても、ユウキはスマートであった。
そっと口唇を合わせ、徐々に熱を帯びてゆく口吻に陶酔しているうちに、いつの間にかスルスルと衣服がはぎ取られてゆく。
一糸纏わぬ身体の上を、彼の指先と柔らかな口唇が余す所なく撫で回す。
ゆっくりと、優しく、執拗に焦らすように時間をかけて解きほぐされた身体に、彼自身を受け入れる。
思いの外筋肉質で逞しいユウキの身体にしがみつき、何度となく嬌声をあげる。
ユウキが絶頂を迎え、荒い吐息を漏らしながらそっと体重を預けてきた時、彼女は経験したこともない程の愉悦の海に沈み込み、息も絶え絶えとなっていたのだそうだ。
事を終え、引き締まったユウキの腕を枕に情事の余韻を味わいながら、洋子さんは長く短い一日を反芻していた。
彼は終始、紳士的であった。
強引な振る舞いは何一つなく、彼の誘いを自然と受け入れられるよう常に『言い訳』を与えてくれた。
それなりに浮き名を流してきた自負はあったが、これ程までに上手く掌の上で転がされた事などなかっただろう。
優しく髪を撫でられる心地よさに目を細め、彼の顔を見る。
慈愛に満ちた眼差しと柔らかな笑顔に、思わず彼の頬に手が伸びる。
若く瑞々しい肌と、そこに触れる自らの手が目に入ると、洋子さんはほんの少しだけ、鬱屈した思いを抱く。
手だけは、どうしてもごまかしが利かないのだ。
どれほど美容に気を遣っても、どれほど最適な食事と過不足ない運動を心掛けようとも、手を見れば、自らの重ねた年月を思い知らされてしまう。
これまで何人の男と付き合おうとも、結婚など一度も意識をしたことはなかったが、この時ばかりは目の前の男を逃したくないと心から願った。
と同時に、二回り近くも離れた年齢がその願いを許さないだろうと、自らの手が語りかける声を聞いたような気がした。そんな事を考えていると、決して手には入らないであろう男に、少しだけ意地の悪い事を言ってやりたくなった。
「ねぇ、一体何人の女の子を泣かせてきたら、こんなに女の扱いが上手くなるの?」と、勿論出来るだけ悪戯っぽく問うてみる。
満面の笑みとともに返ってきた言葉は「あなたを悦ばせる為なら、何人でも」であった。
普通の男が言ったならば、横っ面の一つも引っ叩きたくなる台詞だったが、不思議と彼の口から発せられると嫌味なく聞こえる。
半ば呆れ、また半ば歓びに打ち震える胸中を悟られぬよう、冗談めかして返す。
「よくそんな言葉が次々と出てくるね、君。人生何周目なの?」
当然、気の利いた答えが返ってくると思い込んでいた。
だが、彼の反応は、驚愕の表情であった。
大きく目を見開き、何事か言葉を発しようと口が半開きとなったまま、暫く動きを止めた。
そうして、何か逆鱗に触れるような事を言ってしまったかと取り繕う言葉をかける間もなく、彼は洋子さんの目の前でフッと消え去ってしまった。
まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように。
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も〜、焦ったったらないわよ。
そこね、チェックアウトの時に料金払うタイプのラブホだったの。
ちょっとご飯だけ食べるつもりで家を出たから財布に大してお金入ってないし、クレジットカードも持ってきてない。
お茶代もご飯代も酒代も、ぜ〜んぶ彼がサラッと払ってくれたもんだから、まさかホテル代だけ払うことになるとは思わないじゃない。
電子マネー?そんな面倒臭いの、使い方知らないわよ。
もうねぇ、お財布ひっくり返して小銭まで合わせてギリ足りたから良かったようなものの、あれ、足りなかったら地獄だったわよ!
端から見たら、いい年こいたオバハンが若い男にホテルに置いてかれて、おまけにホテル代も足りないときたら男の子買ったと思われても仕方ないじゃない。
そんなんなったら恥ずかしくて切腹もんよ、マジで。
だからね、あの日以来、ちょっと近所に出かけるだけの時もある程度財布にお金入れとくように気をつけてんのよ、あたし。
だって、またいつ彼がふらっと現れて、あたしの事誘ってくれるか分かんないじゃない?
次はせめてお茶やご飯くらい奢ってあげなきゃな〜と思ってさ。
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そう言って、洋子さんはケラケラと楽しそうに笑った。
愉しげな笑いはいつしか自嘲気味なものへと変わってゆき、不意に笑い止んだかと思うと、思い出を噛み締めるように暫し何処かを見つめていた。
その横顔はまるで白馬に乗った王子様を待つ乙女の様相であり、その表情こそがこの荒唐無稽な話を真実と思わせるたった一つの証左であった。
-了-
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