第二夜 電話ボックスの怪異
携帯電話やスマートフォンの普及によって、電話ボックスを目にする、もっと言えばその存在を認識する事は、随分と少なくなったように感じる。
まして、中に人が入っている状態など、最後に見たのはいつの日か、といった具合だ。
電話ボックスといえば、怪談の舞台や舞台装置として長年慣れ親しまれてきた物であり、関わる話を挙げれば古今東西枚挙に暇がない程だけれども、現代文明はこれを忘却の彼方へ追いやるのか、あるいは使途が減ったが故により強くスポットライトを当てるのか...
そんな事を考えさせられたお話をひとつ。
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このお話は、九州の某地方都市ご出身である20歳の男性、啓治さんから聞かせて頂いた。
啓治さんは高校生まで地元に住んでいたそうで、小中高と自宅から徒歩で通える距離の学校に通っていた。
高校2年生のある日、部活動を終えた啓治さんは家が近い4人の友人達と帰路についていた。
通い慣れた通学路、近年随分とシャッターが目立つようになってきた小さな商店街はほとんど人が歩いていない。
そろそろ日も傾きはじめ、夕日が差す寂れた商店街の通りを、友人達と他愛もない話をしながら帰宅する。
他の通行人がいないことを幸いと横に大きく広がり、時折冗談にゲラゲラと大声で笑いながら歩く列の一番後方を歩いていた啓治さんは、厚い板を叩くような音に一瞬、足を止めた。
音がした方向、商店街の細い道路を挟んだ反対側の歩道に目をやる。
商店街の終端にはたばこ屋があり、そのすぐ脇に電話ボックスがある。
この電話ボックスを見て、啓治さんはギョッとした。
電話ボックスの中に女性がいる。
やや大柄で、明るめの茶髪は肩に掛かるか掛からないかの長さ、白地に花柄の派手なワンピースを着ている。
それだけであれば、別段どうという事もないのだが、異様であったのはその女性の体勢だ。
電話ボックスの中で、公衆電話を使っているわけでなく、ガラスの壁面に張り付くようにして、啓治さんの方を見ている。
肘を曲げた両腕を上にあげ、片足も膝を曲げて高く上げ、顔面をガラスにべったりと押し付けた格好は、さながら透明な虫かごに入れたトカゲが壁に張り付くさまを見ているようだった。
顔を押し付けているが故に表情は分からなかったが、しかしその目が啓治さんを睨みつけている事だけは、分かる。
啓治さんは自らの口から漏れ出そうになる小さな悲鳴を、無理矢理飲み込むようにして抑え込んだ。
電話ボックスの中の女性が決して関わってはならないものだと、すぐに察したのだ。
当時の啓治さんはオカルトの類など欠片も信じていなかった。
自分が目にした女性は幽霊などより余程危険な、生きた、そして正常な思考を失った人間であろうと考えた啓治さんは、何も見なかった、何も気づかなかった体でそのまま歩き続け、その場をやり過ごそうとしたのだ。
ところが、啓治さんの少し前を歩いていた友人の一人は、啓治さんが一瞬硬直し息を呑んだ事に気付いてしまっていた。
友人は訝し気に啓治さんの顔を見ながら「どげんしたと?」と尋ねる。
適当に誤魔化そうかと逡巡したものの、一刻も早くこの場を離れたかった啓治さんは小走りに友人に近付き、「立ち止まんなよ、このまま歩きながら聞け。電話ボックスにヤベェ女がおるけん、関わらんごとこのまま行くぞ」と小声で耳打ちした。
この表現、高校生男子に対しては最悪の選択であった事に、啓治さんはすぐに気付かされる。
耳打ちされた友人は間髪入れず、「ヤベェ女ってなん?エロいんか?なん自分だけ楽しみよっかて」と色めき立ち、それを聞いた他の3人もすぐに加わって、何処だ何処だと後方を探し始める。
電話ボックスは探すまでもなく、ほんの十数メートル先にある。分からないはずがない。
もしや既に女は電話ボックスを出てどこかに隠れ、自分たちの後をつけているのではないかと、慌てて振り向くと...
たばこ屋の前には、先刻の女がいないどころか電話ボックスそのものがなかった。
「たばこ屋の前、電話ボックス有ったよな?」と尋ねる啓治さんに、友人達は一様に首を傾げる。
その辺りに有ったような気もするが、少なくとも今、その場所には電話ボックスは、無い。
無いはずがないのだ。
ほんの数十秒前、その電話ボックスの中に立つ異様な風体の女性を見ているのだから。
狐につままれたような顔で立ち尽くす啓治さんを、友人達は「歩きながら寝とったとや?」と笑った。
啓治さんは釈然とせぬまま、その日は家路についたのだそうだ。
翌日、どうしても納得できなかった啓治さんは商店街の近くに住む同級生に、たばこ屋の前に電話ボックスがなかったかと確認した。
決論から言えば、その場所に電話ボックスはあった。
ただし、過去には、だ。
遡ること2年程前に撤去されており、当時は既に電話ボックスはなくなっていたのだという。
撤去された理由は分からないものの、その界隈で何らかの事故や事件が有ったという話は聞かない。
心霊現象のうわさ話や都市伝説の類も、ない。
啓治さんの住む街は比較的治安が良く、商店街は子ども達の通学路にもなっているから、女性が街中で非業の死を遂げるような事件があれば、少なくとも注意喚起があるだろうが、それもない。
要するに、啓治さんが見た女性の霊がそこに現れるような下地は何一つとして見つからなかったのである。
啓治さんは同級生や友人達に、前日見た電話ボックスの女性の話を熱弁したが、彼の話を信じる者はほとんどいなかった。
周囲の注目を集めるために作り話を吹聴していると、しばらく嘘つき呼ばわりされた時期もあったのだそうだ。
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「東京もそんなにあちこち電話ボックスがあるわけじゃないですけど、たまに街歩いてると見かけるじゃないですか。
僕なんか物心ついた頃には大人はみんなスマホ使ってた世代なんで、あの日まで電話ボックスの存在なんて全く意識した事なかったんですよ。
でも今は、電話ボックスを見かけると、嘘つき呼ばわりされた嫌な記憶と一緒にあの女のガラスに押し付けた顔と睨みつける目、思い出しちゃうんですよね。
あいつ、一体どんな感情で僕を睨んでたんだろうとか、僕に何かを伝えようとしてたんだろうかとか、そんな事をどうしても考えちゃうんですよ」
あるいは啓治さんにとって、友人から白眼視された経験の方が怪異との遭遇よりも余程耐え難い体験だったのかもしれない。
苦々しい表情で話を結んだ啓治さんにお礼を告げ、別れ際、私はつい軽口を叩いた。
「昔と比べると、電話ボックスも随分見なくなりましたからね。
恨みを残した電話ボックスを撤去なんかされた日には、霊も電話ボックス持参で出てこなきゃならん、難儀な時代になったもんですよ」
「電話ボックスに出る霊の話は山のようにあるけれど、電話ボックス同伴で現れる霊ってのは、ちょっと珍しいでしょ」と笑いながら返すと、啓治さんは軽く会釈をして立ち去った。
立ち去る啓治さんの背中を見送りながら、私は自らの解釈を彼に伝えるべきであったかを、暫し自問した。
啓治さんはご自身の体験を『女性の霊が電話ボックスごと現れた』と認識されていた。
しかし見ようによっては『電話ボックスそのものが怪異、電話ボックスだけが怪異だった』とも考えられまいか。
もしそうであるならば、『電話ボックスの形をした何か』に取り込まれつつあった女性が啓治さんに伝えようとしたメッセージは『助けて』だったのではないかと、そんな風にも考えてしまうのだ。
-了-
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