本当の解放者(短編)

桶底

第1話

 キツネさんはふと目を覚ました。あたりは薄暗く、冷たい空気が漂っていた。ぼんやりとした視界の中で、自分が檻の中に閉じ込められていることに気づいた。


 もっと悪いことに──その隣で、あのライオンさんがすやすやと眠っている。あの牙、あの爪──目を覚ましたら、間違いなく食べられてしまう。そう確信したキツネさんは、震える手で鉄格子を掴み、小さな声で助けを呼んだ。


 「た、助けて……誰か……!」


 その声に気づいて、通路を歩いていたイヌさんが立ち止まった。


 「まあ! なんて大変なことでしょう!」


 「しっ……静かに……!」


 キツネさんは慌てて声を抑えさせた。騒いだらライオンが目を覚ましてしまう。震える声でイヌさんに言った。


 「お願いだ……檻の鍵を探してきてくれないか。ここから出ないと、僕は……」


 イヌさんはキョロキョロと辺りを見渡し、困った顔をした。


 「でも、どこにあるのかちっともわからないわ」


 「それでも探してほしいんだ。僕はここから動けないから」


 イヌさんは少し考え込み、やがて優しい声でこう言った。


 「大丈夫よ、キツネさん。私がここにいてあげる。そばにいて、あなたを励ましてあげるわ」


 「ちがう……そばに居られても意味がない。僕は、ここから出たいんだ。出なきゃ、食べられてしまう!」


 「そんなに悲観しないで。あなたはきっと助かるわ。私がついてるもの」


 ──その言葉が、キツネさんには耳障りでしかなかった。


 望んだものは「解放」なのに、返ってくるのは「慰め」。彼はしだいに疲弊し、もうイヌさんに助けを求めるのをやめた。そしてただ、誰か別の動物が来てくれることを、檻の中から祈るだけになった。


 


 その沈黙を見て、イヌさんはますます哀れみの目でキツネさんを見つめた。


 「生きる希望を失ってほしくない……私が元気づけてあげなくちゃ!」


 あるとき、イヌさんが明るい声で叫んだ。


 「キツネさん! いいものがあったわ!」


 突然の声に、キツネさんは驚きながらも期待した。まさか、鍵を見つけてきたのか?


 彼は鉄格子に寄って行き、イヌさんの前に立った。


 「なに? 見つけたの?」


 「あなた、手を出してみて」


 少し不思議に思いながらも、キツネさんは希望を込めて手を差し出した。


 ──そのとき、イヌさんは彼の手をぎゅっと握り、うっとりとした表情でこう言った。


 「あなたは、一人じゃないわ……」


 その言葉と表情は、まるで自分の“献身”に酔いしれているようだった。


 キツネさんは思わず怒鳴りたくなった。けれど、ここで騒げばライオンが目を覚ます。怒りをぐっと堪え、静かに言った。


 「手を……放せよ」


 しかしイヌさんは手を離さなかった。


 


 そのときだった。キツネさんは格子の向こうに、静かに歩いてくるネコさんの姿を見た。


 ネコさんは物音を立てず、そっと檻の前にやって来た。そして言った。


 「鍵、見つけたよ。いま開けるね」


 カチャッ──という小さな音とともに、扉が開いた。


 「ライオンさんを起こさないように、静かに……」


 ネコさんは、優しく手招きしてくれた。


 キツネさんは、まだ自分の手を掴んで離さないイヌさんの手をぐっと振り払い、音を立てないよう慎重に一歩、また一歩とネコさんの方へ進んだ。


 その背後で、イヌさんの声が響いた。


 「どうしてよ! こんなに優しくしてるのに! あたしの何が不満なの!? こんなに尽くしてるのに、ねえ!」


 イヌさんの叫びに、ついにライオンが目を覚ました。


 ガバッと跳ね起きたその瞬間、キツネさんは出口に向かって全速力で駆け出した。


 ネコさんは、キツネさんが檻から出たのを確認すると同時に、扉を勢いよく閉め、鍵をかけた。


 「ガンッ!」


 ライオンが鉄の扉に体当たりする重たい音が響いた。


 キツネさんは震えながらも無事に脱出できたことに安堵した。


 


 「ネコさん……君は本当の意味で、僕を助けてくれたんだ。本当に、ありがとう!」


 ネコさんはふふっと笑った。


 「最初にあなたを見たとき、びっくりしたわ。あんな危ない檻の中で、あんな風に眠ってるなんて」


 実はネコさんは、キツネさんが目を覚ます前から、鍵を探し続けていたのだという。


 その話を聞いて、キツネさんは心の底から感謝した。


 「ありがとう……ありがとう……!」


 彼はネコさんをぎゅっと抱きしめ、その温もりを確かめた。


 


 そんな彼らの後ろで、イヌさんが叫んだ。


 「なんでよ! なんであたしにはお礼を言わないのよ!」


 だが、キツネさんにはもうその声に耳を傾ける理由はなかった。


 ネコさんと手をつなぎ、ゆっくりと、同じ歩幅で、薄暗い通路を歩き出した。


 その先には、明るい太陽の光が差し込んでいた。


 未来の話をしながら、ふたりは静かにその光の中へと消えていった。


 


 ──そうそう、イヌさんはというと。


 ライオンが扉に突進して気絶したあと、手を差し伸べて目を覚まさせようとしたそうだ。


 望みどおり、ライオンさんは目を覚ました。


 しかし差し出したその手は、あっさりと食いちぎられた。

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本当の解放者(短編) 桶底 @okenozoko

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