第5話 渇望と絶望
「……どういう事よ……」
囁くようなニコの声が、謁見の間の沈黙を裂いた。
彼女の視線の先には、深紅の瞳が冷たく光っていた。
重く張り詰めた空気の中、
その瞬間、扉が勢いよく開かれる。
「ニコ様ッ!」
駆け込むように姿を現したのはフィオとシークだった。
音を立てて閉まる扉。その反響が、静けさの中に響き渡る。
「シーク…!」
「これは…一体…」
まだ濡れた髪を耳にかけ、
フィオは困惑の表情を浮かべた。
すると、ニコへの道を遮る様に2人の前に岩の様な体躯を誇る男、バリスが現れる。
「サーシャ様とニコ女王の謁見だ、シーク殿を除いて近づくことは許されん」
「こんにちは、シーク」
バリスの向こうから艶やかでありながらどこか冷たい女の声が聞こえた。
物言えぬ悪寒がシークを襲う。
彼の頬を一筋の水滴が伝った。
「今、貴方の話をしていたところなの」
不気味に微笑み、その視線はシークへと向けられる。
「私の…話…?」
「耳を貸さないで」
「お黙りなさい」
サーシャの瞳はシークを捉えたまま、
微動だにしない。
ニコに踵を向けたまま、彼女は続ける。
「私は貴方が欲しいの」
「私が…欲しい…?」
思わず口をついた言葉に、シーク自身も怯えていた。
「そう。私の侍従になりなさい」
「断りなさい」
ニコの声もまた、震えていた。
「…私は…」
「貴方に選択肢は無いの。私の侍従にならないと言うのなら、シルアーナが滅ぶだけのことよ」
「っ!?」
喉の奥から、声にならない悲鳴が漏れた。
自分の身が国一つと天秤にかけられている、その事実に理解が追いつかなかった。
「なると言うのなら、シルアーナに手出ししないことを約束するわ」
「……」
シークは虚空を見つめていた。
シルアーナは、大国ロノグアはおろか、かつて存在したマシュアよりも小さな国。
そのマシュアを飲み込んだロノグアが攻めてくれば――
先の未来など、想像するまでもなかった。
「嫌よ…断って……断りなさい……ッ!」
「フフッ…どうするの?」
愉しむ様にサーシャは気味悪く微笑む。だが、その目に喜びはなかった。
「行かないで……シーク…!」
「シークッ! ッ……離せッ!」
沈黙を貫いていたフィオが飛び出すも、サーシャの傍に控えていたもう1人の男、ヴェンが行く手を阻む。
剣を持たぬフィオの細い腕は易々と抑えられてしまった。
「ノーと言うことで良いのね。そう、わかったわ。せいぜい残りの時間を楽しく過ごすことね」
仮面の様な微笑みを捨て、サーシャは冷たく言い放った。
「いつ攻められてもいい様にしておくことね」
そう告げて、サーシャは大扉へと歩き出す。
シークの横を通り過ぎるその横顔は、あまりにも冷たく、そして“無”に満ちていた。
バリスとヴェンもそれに続き、やがて扉の向こうへと消えていく。
「…ごめんなさい………」
掠れたニコの声が、がらんとした謁見の間に響く。
その謝罪は、虚しく空を打ち、誰にも届くことはなかった。
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