後日談「光映堂の窓辺から、もう一度」
春の風が少しだけ暖かくなった午後。
光映堂の窓辺には、またあのゆるやかな日差しが戻ってきていた。
レンズの一つひとつに反射する光が、淡く店内を染めていく。
棚の奥では、祖父が古い時計を巻き、父はカウンターで帳簿をめくっている。
そのいつも通りの風景の中に、僕――透(とおる)は立っていた。
ほんの少し前までの僕は、誰かのメガネを調整することで、その人の“心のかたち”を見ていた。
でも今は違う。
きっと、少しだけ自分の“視界”を持てるようになった。
棚の上には、これまで調整した無数のフレームが記録として並んでいる。
スクエア、ラウンド、ボストン、ウェリントン、オーバル、フォックス、キャットアイ、ティアドロップ、クラウンパント、ハーフリム、ツーポイント、そしてブロウ。
ひとつひとつが、誰かの“視界の断片”。
誰かの「こう見られたい」と「こう見たい」の交差点。
その中には、僕がかけている“祖父のブロウ型”もある。
ほんの少し重くて、少しだけ曇りやすいけれど、
僕はこのフレーム越しに“誰かとちゃんと話せる”ようになった。
ある日、久しぶりにメガネの調整に来た少女が言った。
「透くんの話ってさ、どこかで読んだことがあるような気がするんだよね」
「どこで?」
「たとえば、図書室の片隅とか。古本屋の棚の間とか。誰かの手紙の行間とか」
僕は笑った。
「じゃあ、もしかして、君の話もその中にあったのかな」
彼女は少しだけ視線を逸らして、それから言った。
「うん。あったよ。……気づいてくれて、ありがとう」
光映堂の窓の外。
あの桜並木の向こうから、新しい季節の気配が聞こえてくる。
また誰かが、新しい視界を探しにここを訪れるかもしれない。
そのときは、僕がまた話を聞こう。
メガネの話でも、好きな色でも、ひとりごとでもいい。
レンズの奥にあるほんの少しの揺らぎに、僕は耳を澄ませる。
なぜなら、「見えるようになること」は、“生きることそのもの”だから。
僕たちはみんな、まだどこかが少しだけ曇っていて、
少しずつ、それを拭きながら前に進んでいくのだ。
光映堂の窓辺には、今日も静かな光が差し込んでいる。
それは、何かが終わった光ではなく、
何かが始まる直前の、やわらかなまなざしだった。
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