第7章「キャットアイと放課後の秘密」
――舞台の上では見せない、本当のまなざし
放課後の講堂は、どこか異世界の匂いがする。
カーテンを閉め切った空間に立つだけで、光が鈍くなり、音がよどむ。
大道具の木材の匂い、埃をまとったスポットライトの焦げた匂い、まだ開演前の沈黙。
その中央、舞台袖で台本を片手に静かに歩くひとりの女子がいた。
真白 つかさ(ましろ つかさ)――高校3年、演劇部の脚本担当で副部長。
演じることはしないが、誰よりも役者の“顔”を知っている人。
彼女がかけていたのは、キャットアイ型のフレームだった。
つり上がった目尻のシルエット。フォックス型によく似ているが、より細く、より女性的。
目元に“流れ”をつくるようなフォルムは、クラシカルでミステリアスな印象を与える。
僕――**透(とおる)**は、偶然その場にいた。
講堂の照明修理の立ち会いに呼ばれただけのはずだったのに、彼女の立ち姿に目が離せなくなっていた。
あのフレームは、感情を舞台装置のように飾り、仕掛け、演出する人の目だった。
「君、光映堂の子でしょ」
後日、部誌用のポスターを持って、つかさが光映堂にやってきた。
キャットアイの縁は黒に近いボルドー。細く、しなやか。
彼女の整った顔立ちにはよく映えていたが、どこかそれが“仮面”にも見えた。
「このフレーム、見た目だけで選んだわけじゃないの。
この形、目元のラインを引き上げて“意思ある表情”に見せてくれるのよ。
“何も語らなくても強く見える”って、大事なの」
彼女は静かにそう言いながら、メガネのブリッジに触れた。
その指先は、かすかに震えていた。
キャットアイ型は、1950〜60年代のハリウッド女優やヨーロッパ映画の女優が好んだ形だ。
セクシーで、上品で、少しだけ近寄りがたい。
本来の自分とは違う“舞台用の顔”をつくりあげるためのフレームだとも言える。
「それって、素顔を隠すってことですか?」
僕の問いに、つかさは一瞬だけ黙った。
「……そうじゃなくて、素顔を“守る”ってこと。
誰だって、すべてを見せてたら壊れちゃうでしょう?」
文化祭公演の前日。
リハーサルで主演が倒れ、代役が必要になった。
演劇部の部員たちがざわめくなか、つかさは静かに台本を閉じて言った。
「……私がやる」
周囲が驚くなか、彼女はキャットアイを外し、ポケットにしまった。
その瞬間、僕ははじめて彼女の“何も飾っていない目”を見た気がした。
演技を始めた彼女は、予想を超えていた。
言葉も、間も、表情も、舞台の光のすべてを引き寄せていた。
でも、キャットアイをかけていたときよりも、ずっとやわらかく、壊れやすく見えた。
終演後、つかさは袖でメガネをかけ直しながら、僕に言った。
「ねえ、透くん。
本当の顔って、どこまでが“演技”だと思う?」
僕は少しだけ考えてから、答えた。
「……たぶん、“その人が選んだ役”なら、どれも本当だと思う。
キャットアイも、舞台も、どっちも“あなた”だったと思うよ」
数日後、彼女は別のメガネを試しに、また光映堂を訪れた。
ほんの少しだけ丸みのある、クリアフレームのキャットアイ。
「これは、“もう少し近くで話せる役”って感じがするかな」
鏡に映る彼女は、演出家でも脚本家でもない、“ひとりの先輩女子”だった。
キャットアイ型。
それは、自分を演出し、守り、問いかけるフレーム。
見せる強さと、隠すやさしさのあいだを、そっとつなぐかたち。
舞台の上も、日常も――
どちらも“演じている”と気づいたとき、人はようやく本当に誰かを見られるのかもしれない。
(→第8章「ティアドロップ・ライダー」へ続く)
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