第1章「まっすぐなスクエア」

春の校舎は、どこか“音が遠い”。

始業式を終えた体育館の外で、残った花びらが静かに吹き溜まりをつくる。

空気が、まだ冬の名残りを抱えているようだった。


僕の名は透(とおる)。この町の小さなメガネ屋「光映堂」の孫で、今はただの高校生。

でも、僕にはひとつだけ“得意な観察”がある。

それは――「その人がどんなメガネを選ぶか」で、ほんの少し“心の形”が見える、ということ。


 


この日、僕の目にとまったのは、水嶋 凛(みずしま りん)だった。

生徒会副会長で、成績優秀、容姿端麗。

そして、誰もが一目で「まっすぐ」と言うような――スクエア型の黒縁メガネをかけていた。


スクエア。

四角くて、角張っていて、縦より横が広い。

顔に対して“直線的な印象”を与え、真面目さや知性を強調する定番型。

シャープでスマート、でもそのぶん“融通の利かない印象”を与えることもある。


凛は、それを完璧にかけこなしていた。

まるでそのフレームが、彼自身の性格を象っているようだった。


けれど僕には見える。

その黒縁の右側ヒンジ、わずかに外側に曲がっていた。

ほんの0.2ミリほど。それでも、何度も来店しては直しているから知っている。


「何度直しても、すぐ歪むんですよ」

僕の父はそう言って笑った。「自分じゃ気づいてないだけだろうけど、“かけ癖”ってやつですね」


 


数日後。放課後の教室で、凛がプリント整理をしているときだった。

窓辺に、見慣れない後ろ姿。

ふわふわした髪の女子――橘 空(たちばな そら)が、外をじっと眺めていた。


「何を見てるんだ?」


凛が声をかけると、彼女はほほえんだ。


「雲の影が、運動場を横切ってるの。……あ、もう終わっちゃった」

「……それ、そんなに面白いか?」

「うん。影も、光も、ちょっとずつ違っててきれいなんだよ」


彼女の視線が、凛の顔に移った。


「……あれ? メガネ、右だけちょっとずれてる」

「あっ」

「スクエアフレームだね。それって、きっちりした人が選びがちなんだって。知ってた?」


彼女の無邪気な指摘に、凛は言葉を失う。

でもその一言が、彼の中に“ひび”のような違和感を残した。


 


その週末、凛が「光映堂」にやって来た。

制服のまま、メガネのケースを持って。


「……これ、また歪みました」

そう言って差し出したメガネを受け取りながら、僕は尋ねた。


「凛くんさ、このフレームってどうやって選んだの?」


「……親父のおすすめ。『頭よく見えるし、曲がってない感じがいい』って」


僕は笑った。


「うん、確かにそう。でもスクエアってさ、几帳面な人がかけると、逆に“自分の理想”を押しつけすぎちゃうこともあるんだよね」


「……どういうこと?」


「まっすぐすぎると、曲がれなくなる。道も、心も」


凛は少しだけ目を伏せてから、ぼそりとつぶやいた。


「……ちょっと、違う形も試してみようかな」


 


そして次の夜。

校舎の屋上で開かれた天文部の公開観測会。

星空の下、凛は静かに望遠鏡をのぞいていた。その横には、空が立っていた。


「星って……まっすぐなんだよな。何万年も光が飛んでくる」

「ううん」

空は笑って首を振る。


「光ってね、真っ直ぐなんだけど、途中でいっぱい曲がるんだよ。重力とか空気とかで揺れて。……でも、それでも私たちのところまで届くの」


「曲がることに、意味あるのか?」


「うん。まっすぐだけじゃ届かないこと、きっとあるから」


 


凛は静かにポケットからメガネケースを取り出し、ゆっくりと中から新しいフレームを取り出してかけた。


それは、スクエアとボストンの中間のような、柔らかさを帯びたフレーム。

ほんのわずかに丸みがあり、線も細く、少しだけ透明感のあるブラウン。


空がそれに気づき、ふっと笑った。


「きみのまっすぐ、ちょっとだけやさしくなったね」


 


数日後、光映堂に彼の旧メガネが返却された。

受付票には、修理依頼の項目に大きく二重線が引かれ、その下に手書きでこうあった。


「破棄希望。ありがとう」


それは、破損でも寿命でもなく――

彼が“変化”を選んだ証だった。


僕はそのフレームを手に取り、夕日の差し込む店の奥で、しばらく眺めていた。


 


スクエアの黒縁。

まっすぐで、正確で、でもどこか不器用だった“心のかたち”。


新しい季節がまた誰かを連れてくるだろう。

僕は、次に来る“心の形”を楽しみにしている。


 


(→第2章「丸眼鏡の手紙」へ続く)

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