メイドに愛と、記念日を

飯田華

メイドに愛と、記念日を

 玄関を開けると、メイドがキメ顔でピースしていた。

 

 

 

 夢でも見ているんだろうと、最初は思った。瞼を擦る。こめかみを軽く叩く。欠伸を噛み殺しつつ、目の前の光景をもう一度確認する。

 駄目だ。軽薄な表情を浮かべたメイドはいつまで経っても、人差し指と中指を宙へ突き立てている。

 じっとこちらを見据える彼女の瞳は期待に満ち溢れていた。私がどんな反応をするのか、今か今かと待ちわびている。

 ニヤニヤと擬音が聴こえてきそうなほどの笑みを浮かべる彼女を、私は数分間くらい放置した。

 何のコメントもせず、互いに静止する時間が続く。


 先に痺れを切らしたのはメイド、いや、メイドのコスプレをした私の恋人、冴羽の方だった。ライトブラウン色のツインテールと、豪奢なフリルのついた黒のスカートの両方をブンブンと振りながら、不満げに頬を膨らませる。

 

「なんで何も言ってくれないの! かわいいねとかあるでしょ」

「いや、こんな朝っぱらからリアクションを求めないでよ…………」

 時刻は午前七時。自堕落な生活を送りがちな大学生である私たちにとっては早朝とも言える時間帯。頭も口も万全な状態じゃなかった。

それに加えて今日は土曜日だ。普段は昼過ぎまで寝ているのに、こんな時間にインターフォンで強制的に起こされれば、口数も少なくなるのは当然のことで。


「とりあえず、部屋入って。隣の人に見られたら超気まずいから」

「それよりさきにかわいいって言ってよ」

「はいはい、かわいいかわいい」

「テキトーなのはやめて!」

 

 我儘な冴羽はポンスカと文句を言いながらも玄関をくぐり、三和土で靴を脱ぎ始める。履物まではコスプレの対象にならなかったらしく、ライトグリーン色のスニーカーの蛍光色がいくぶんか、寝ぼけ眼をはっきりとさせた。

 

 

 

「で、なんでメイドのコスプレなんてしてるの。コスプレ会場から朝帰りでもしてきた?」

「違うってば! ほら戸巻、今日が何の日か知ってる?」

「えぇ……いや、分かんないけど」

「もうっ! 五月十日だよ。メ・イ・ド! メイの十日目だからメイドの日!」

「冥土の日じゃなく?」

「それじゃ縁起悪いじゃん。メイドの方が華やかでしょ?」

「そうかなぁ…………」

 

 冥土の日の方が厳粛で、死者を弔う日! のような理由付けができてよいと思うんだけど。とか言うと本気で怒られそうなので唇にチャックを絞めておく。「ナンセンスだ!」と言われかねないし。

 

 

 

 大学一回生の頃から付き合い始めた冴羽は、『ハレの日』に対して全力投球する性格だった。

 バレンタインやクリスマス、正月はもちろんのこと。今年の四月十七日にナスビを両手に抱えて、『今日はナスビ記念日だから!』と押しかけてきたのは記憶に新しい。『4・1・7』=『ヨ・イ・ナス』でナスビ記念日らしい。

 なんでそんな語呂合わせ知ってるんだよ。

 

『毎日がハレの日だったり記念日だったりすると、最高の気分になるでしょ?』

 冴羽の口癖は底抜けに明るくて、それを忠実に遂行しようとしている彼女自身も目を細めたくなるほど眩い。

 自分の誕生日にすら深い感慨を抱けない私とよく付き合う気になったなぁと時々思うことがあるけれど、凹凸な関係ほど長続きするというし、ちょうどいいのかもしれなかった。




「今日は、戸巻のために一日メイドをしてあげよう! さぁ! なんでも頼んでいいよ!」

「えぇ……いやぁ、してほしいことなんて特にないんだけど」

「彼女がこんな可愛くコスプレってるのに!?!?!?」

「コスプレってるってなんだよ。呼吸するように造語するな」

 

 部屋を見渡す。

 そこそこ整頓されたリビング。一枚の皿も平積みされていないキッチン。トイレと風呂は逐一掃除しているし、大学の課題も昨日帰ってからすぐに終わらせた。

 本当に頼むことがない。

「ほら、絞り出して。ここで」

 私の頭部をぺちぺちと叩きながら依頼を促す冴羽。仮にもメイドになり切るんだったら、主人の頭を叩くなんて無礼を働くなと声を大にして言いたい。

 

 アパートの内側で物事を考えるのはやめにして、思考を外に向ける。

 おつかいにでも行ってきてもらおうか…………いや、メイド姿の彼女をスーパーに送り出すのはやばいな。絵面的に。

 

「メイドっぽいこと、メイドっぽいこと…………あぁ」

 一つ、思いついたことがあった。

「じゃあ、耳かきでもしてもらおうかな」

「…………へ?」

 私の提案に面食らう冴羽。

 なぜそんな顔をするんだろう。折角案を思いついたのに。

「戸巻のメイドのイメージって、そんな感じなの…………?」

「なんで私が引かれてるんだよ」

「だって、ねぇ…………流石に恥ずかしいんだけど」

「午前七時にメイド服着て乗り込んでくる行動力があるのに?」

「そ、それとこれとは話が別でしょ!」

 

 冴羽はこちらの押しが強ければ瞬時に怯む。そういうところはすごく…………可愛いなぁとは思うけど、口に出すのは恥ずかしいから絶対に言わない。

 

 結局冴羽の方が折れ、耳かきをしてくれることになった。

 

 レースが満遍なく広がる膝枕に頬をくっつけて、新鮮な感触を楽しむ。

「おぉ、午前中から耳掃除って、なんだか変なかんじ」

「そう、だねぇ…………」

 顔を真っ赤にしながらも慎重に梵天を動かす冴羽。梵天の先が耳の壁をやわく撫でるたび、自分でするのとは違うぞわぞわとした感覚が背筋を這う。体温も心なしか上がっているような気がする。

 私も結構、照れていた。

 冴羽が私の染まった頬に気づくのかはらはらして視線を上向きに傾ける。けれど、角度的な問題で冴羽の表情を窺うことがどうしてもできなかった。

 気づいていなかったらいいな。そう心の中で願う。


 仕方なく視線をまっすぐに戻すと、ふと、壁に貼り付けてあったカレンダーが目に留まった。

『メイドの日! 一日だけご奉仕!』

 一目で冴羽が書いたのだと分かる特徴的な丸文字で、五月十日の欄にそう書かれていた。いつの間に…………。

冴羽はなぜだか、私の部屋のカレンダーに記念日を書き込む。この前のナスビ記念日のときだって『ナスビは美味しい!』と書いていた。記念日になっているんだろうか、それ。


 今日までのカレンダーは冴羽の文字でびっしりだった。余すところなく記念日が書き込まれている。

 私一人では埋まることのない空白。

 それを埋めてくれる彼女がすぐそばにいてくれて。

 

 

 幸せだなって、素直に思った。

 


「ねぇ、冴羽」

「ん、なに」

「好きだよ」

「へぅあっ!?!?!?」

「ちょちょちょ! あぶないあぶない!」

 

 梵天を耳の中へ取り落としそうになった冴羽と、鼓膜に危険を感じた私。

 平常の日には言えない、気障なセリフは面と向かって言うべきだと反省しながら、カレンダーの方を見やる。すると、大量のハレの日やら記念日やらが視界を彩って、これじゃあ毎日愛を囁くことになりそうだった。

 

 とりあえず今日は、『メイドの日』の下に『ほんの少し素直になった日』と書き込むことにしよう。

 冴羽の丸文字に負けないくらい丁寧に、愛を込めて。

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メイドに愛と、記念日を 飯田華 @karen_ida

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