第2話 知られざる脅威

 怪物と遭遇してから一週間、陽奈ひなの心は不安にざわついていた。あの赤い目、黒い霧、手から迸った光――どれも頭から離れず、夜は眠れず、授業中もぼんやりしてしまう。


(連絡、まだ来ないのかな……)

 

 昼休み、陽奈は我慢しきれず机の上のスマホに手を伸ばす。親友の地葉美咲ちばみさきに相談しようとメッセージを開いた瞬間、画面が震えて美咲からの着信が鳴った。

 

 美咲は興奮気味に声を弾ませる。


「陽奈! 今大丈夫?」


「うん、大丈夫。美咲、どうしたの?」


「…ちょっと信じがたい話なんだけどさ、校庭のベンチで話したいな!」

 

 校庭の隅にある古いベンチに着くと、すでに美咲が腰を下ろして待っていた。

 

 少し茶色みがかったショートヘアが風に揺れる。 


 裕福な家庭で育った彼女は、知的で明るい雰囲気を漂わせ、制服の上に羽織った薄手のブランドカーディガンがさりげなくその育ちを物語っていた。


 陽奈が近づくと、美咲はスマホを手に持って目を輝かせる。



「見てよ、明光めいこう市の噂がすごいことになってるから!」

 

 画面にはSNSの投稿が並ぶ。

 

「明光市ヤバイ」「何あれ? 妖怪?」「UMAでしょ」と書き込みが続くが、写真や動画はどれもブレて不鮮明だ。

 

 陽奈は眉を寄せて首をかしげる。

 

「うーん…全部ぼやけてるね。何か撮れてる感じがしない」


「でしょ! 私、光山こうやまで変な生物をスマホで撮ろうとしたらバグっちゃってさ。絶対何か変な干渉かんしょうだよ」

 

 スレッド内は不鮮明な写真ばかりで、大半は「嘘つけ」「ネタ乙」などの否定的なコメントで埋め尽くされていた。

 

 陽奈は胸がざわついて目を伏せる。あの戦いを思い出し、声を小さくする。


「実は私も…犬みたいな化け物に襲われそうになって……。あれ、どう考えても異常だよね」


「え、陽奈も!? やばい、やっぱり何かあるんだ!」

 

「あとね、鉄パイプで追い払おうとしたら急に光って、そのまま倒しちゃったんだ……」

 

「ホント!? 私もすっごい臭いガスが襲ってきたから緑のバリアで……」

 

「「意味わかんないよね……」」

 

 二人が顔を見合わせた瞬間、スマホが同時に震える。健康安全管理センターからのメールが届いた。画面には短い文が表示されている。



『検査結果が出ました。至急こちらへ』

 

 美咲は目を凝らして陽奈のスマホを覗き込む。


「え、陽奈も呼ばれてる? 何これ、運命?」

 

 陽奈は眉を寄せてスマホを握り直す。


「どういうこと……?」

 

 二人がベンチから立ち上がろうとしたその時、背後から大きな声が響いた。


「やっほー、先輩たち! 何話してんの!?」

 

 陽奈はビクッと肩を跳ね上げて振り返る。


 そこには二年の後輩、赤羽彩花あかばねあやかがニヤニヤしながら立っていた。少し癖のある赤みがかった髪が風に揺れ、好奇心いっぱいの目が二人をとらえている。


 陽奈は胸を押さえて目を細める。


「彩花! もう、びっくりさせないでよ!」

 

 美咲は軽く笑って手を振る。



「えっと、勉強の話だよー」

 

 彩花は首をかしげて近づいてくる。


「なーんだ、さすが優等生コンビ。コソコソ話してるから恋バナでもしてんのかと思ったよ」



「そんな暇ないから」


「ほんとほんと、テスト近いしね!」

 

 彩花は少し残念そうに唇を尖らせるが、すぐに笑顔に戻って手を振る。


「ま、いいや。じゃ、またねー!」


 陽奈と美咲は小さく息をつき、彩花が去るのを見送る。


 

===


 

 放課後、二人は再びスマホを見つめ、指定された場所へと足を向けた。電車に揺られ、明光めいこう市の郊外へと向かう。

 

 駅を降りてコンクリートの無機質な建物へと近づく。陽奈は建物を見上げて息を呑む。


「ここ……病院じゃないよね?」


「うん、なんか怪しい雰囲気。でも公式ページもあったし、大丈夫でしょ」

 

 緊張しながら受付を済ませ、エレベーターを降り、薄暗い地下の会議室に通される。


「いきなり地下って……謎すぎるよね」

 

「やっぱ怖くなってきたかも」


 二人が話していると扉が開くと、ダークブルーの制服姿の男性が入ってきた。


 陽奈が顔を上げると、黒い前髪を上げ、眼鏡を外した高橋たかはしが立っていた。


 額を露わにした顔は、30代の落ち着いた自信を漂わせ、肩の銀色徽章きしょうが制服の厳格さを際立たせる。

 

「お待たせしました。『特殊異常現象対策局とくしゅいじょうげんしょうたいさくきょく』副司令官の高橋です。お二人ともおそろいで良かった」

 

 彼は『健康安全管理センターの高橋』ではなく、本当の役職を名乗った。

 

 陽奈と美咲は驚きを隠せず、互いに顔を見合わせた。そして混乱した表情で高橋に詰め寄るように問いかけた。


「ふ、副司令官!?」

 

「どういうこと!?」

 

 高橋は小さく笑みを浮かべ、椅子に腰を下ろす。


「今日はお二人には重要な話をしに来ました」


 陽奈は背筋を伸ばし、緊張した目で高橋を見つめる。


「重要な話って……あの怪物のことですか?」


 高橋はうなずき、テーブルの上のファイルを手に取る。


「そうです。陽奈さんが倒したあの存在、そして美咲さんが光山で遭遇したもの。それらは『地冥獣ちめいじゅう』と呼ばれるものです」


 美咲は首をかしげて指先で顎を軽く叩く。


「地冥獣? 聞いたことないね。私が見たのって巨大なイモムシっぽかったし、陽奈のは犬みたいのだったよね?」


 高橋はファイルを広げ、淡々とした声で続ける。


「姿は様々。共通するのは『瘴気しょうき』という有害なガスを放つこと。通常兵器じゃ対抗できないんですが、お二人の力なら可能です」


「私たちの力って……あの光とか、美咲のバリアのこと?」


 高橋は目を細めて陽奈を見据える。


「その通り。陽奈さんの『光の力』、美咲さんの『自然エネルギー操作』。それが地冥獣を倒す鍵なんです」


 陽奈は眉を寄せて首をかしげる。


「光の力とか言われても……何? 超能力?」


 高橋は一瞬視線を落とし、静かにファイルをめくる。


「まだ詳しくは不明です。ただ、瘴気と何らかの反応を起こして、地冥獣にダメージを与えるエネルギーだと考えています」


 美咲は椅子の背にもたれ、軽く笑みをこぼす。


「反応ってことは、私たちの力もあのガスと関係あるのかな? スマホがバグったのも瘴気の影響?」


 高橋は頷き、テーブルの上にスマホを置く。


「鋭いですね。瘴気は電子機器を狂わせる性質があって、写真や動画に鮮明に映らないんです。だからSNSの画像もブレてるし、地冥獣の姿をはっきりとらえた記録がほとんどありません」


 陽奈は目を細くして、口に手を当てる。


「瘴気って……危険なんですよね? そんなの吸ったら私たちどうなるんですか?」


 高橋は静かに首を振る。


「心配いりません。瘴気の濃度が高いほど干渉は強くなりますが、何故かあなたたちの力は例外のようで、瘴気の悪影響を受けないんですよ」


 美咲は指を軽く鳴らし、目を輝かせる。


「例外ってことは、私たちの力が瘴気を上回る何かを持ってるってこと? 」


 高橋は静かに息をつく。


「まだ解明できていません。政府が保管する200年前の機密アーカイブにそういう記述があるのです。そして、その力がなければ、地冥獣の脅威は止められないんです」


 陽奈は眉を寄せて手を握りしめる。


「脅威って……どれくらいマズいんですか?」


 高橋はゆっくり顔を上げ、落ち着いた声で語りかける。


「瘴気は環境汚染や健康被害をもたらします。このままでは明光市全体が危険にさらされる。それを防ぐため、政府は動きを隠してきました」


 陽奈は唇を軽く噛み、不安そうに目を瞬かせる。


「隠してたってことは、みんな知らないんですか?」


 高橋は静かに首を振る。


「混乱を避けるためです。公表すれば国内外でパニックになる。君たちが地冥獣に対抗できる唯一の存在だから、こうして話してるんです」


 陽奈は呆然とした表情で口を開く。


「高校生にそんな大事なことを…。いきなり戦えとか言われても、正直困惑しかないんですけど」


「そうそう、私たち受験生ですよ? 陽奈は剣道経験あるけど、私なんてガリ勉で戦いとか全然分からないし…普通に怖いよ」


 二人が不安げに視線を交わす。高橋は穏やかに目を細める。


「たしかに。君たちはまだ学生で、受験や将来の夢だって大事です。いきなりこんな役割を押し付けるのは、我々も本意じゃない」


 陽奈は唇を軽く噛み、眉を寄せて声を低くする。

 

「じゃあ、なんで私たちなんですか? 他に誰かいれば……」


「残念ながら、今のところ君たち以外に能力を確認できた人がいないんです」

 

 高橋は一瞬息をつめ、ゆっくりと顔を上げる。


「でも、考えてみてください。陽奈さんがあの地冥獣を倒したとき、誰かを守るために動いた。その力は、君たちの意志から生まれてるんですよ」


 陽奈は首を振って目をそらし、声を震わせる。


「守るためじゃないです。あのときはただ怖くて、咄嗟とっさに手が出ただけ……」


 美咲は頷きながら、指先でスマホを軽く叩く。


「私もバリア出したとき、頭真っ白だったよ。戦うとか想像したこともないし、急に言われてもね」


 陽奈はふと顔を上げ、不安そうに目をまたたかせる。


「保護者や先生に相談してもいいですか? こんなこと、一人で決められませんよ……」


 高橋は一瞬表情を硬くし、静かに首を振る。


「それはできません。地冥獣や瘴気は国家機密。混乱を防ぐためにも、君たちだけで受け止めてほしいんです」


 美咲は息を呑み、驚きを隠せない声でつぶやく。


「え…私たちだけで背負うのって重すぎない?」


 高橋は柔らかく笑みを浮かべ、優しく目を細める。


「それは分かります。美咲さん、君は頭がいい。問題を放っておけば、受験どころではなくなるのは分かりますね? それを防げるのは、君たちだけなんです」


 陽奈は高橋をじっと見つめ、唇を軽く開いてため息まじりに言葉を漏らす。


「確かに偶然追い払えたけど…やっぱり怖いし、私にできるのかな」


「怖いのは当然」

 

 高橋はゆっくり頷き、穏やかな声で言葉を続ける。


「でも、一人で戦えとは言いません。私たちが全力で支えます。受験勉強だって、ちゃんと続けられるように調整しますよ」


 美咲は少し首をかしげ、驚いたように目を瞬かせる。


「え、受験勉強も? それなら…ちょっと現実的かも」

 

 高橋は二人をしっかりと見据え、静かに力を込めて語りかける。


「君たちの力は、ただ戦うためじゃない。守りたいものを守るためにあるんです。それが分かれば、怖さも少しずつ乗り越えられる。どうですか?」


 陽奈は目をつむり、深く息を吸う。


 警察官の父が「街を守る仕事が誇りだ」と笑った顔がちらりと浮かぶ――だが、すぐにあの怪物の赤い目が頭をよぎり、手が震えた。


「守りたいもの…確かに、この街が好き…でも、私なんかに本当にできるのかなって…まだ分からないです」


 美咲は陽奈の横顔を見て、スマホをぎゅっと握り直す。


 光山の豊かな緑が瘴気で汚れる想像が頭を過るが、同時にあの悪臭が蘇って背筋が冷えた。


「私も…昔から自然は大好きだよ。でも、いきなり戦うなんて意味不明だし…怖いままじゃダメかなとは思うけど…うーん」


 高橋は二人を見つめ、穏やかに頷く。


「その迷いも大事な気持ちです。すぐ答えを出さなくていい。少しずつでいいから、考えてみてください」


 陽奈は目を上げ、高橋をじっと見つめる。


「少しずつ…ですか。なら、試してみるだけでもいいんですか? まだ怖いけど…倒せたのは事実だし、ちょっとだけやってみようかなって…」


 美咲は陽奈に小さく笑いかけ、肩を軽く叩く。


「陽奈がそう言うなら、私も少しだけ頑張ろうかな。高橋さん、サポート頼みますよ。私、失敗したら嫌なんで」


 高橋は目尻に安堵あんどの色を浮かべ、柔らかく笑う。


「ありがとう。試してみる気持ちがあれば十分です。君たちのペースで進めましょう。必ず支えますよ」


 陽奈と美咲は互いに顔を見合わせ、不安と小さな希望が入り混じった表情を浮かべた。


 まだ心は揺れていたが、守りたいもののために一歩踏み出す小さな勇気が、静かに芽生え始めていた。


 陽奈の胸には憧れの父の意志が、美咲の心には明るい好奇心と自然への想いが宿っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る