第3話:灰間堂
それから数日、松倉は取材に明け暮れていた。
緑葉地区東町の商店街を中心に、和菓子屋、理髪店、町工場に個人書店。
写真を撮り、店主の話を聞き、簡単なインタビューをこなす。
そして、萩原と手分けをして資料をまとめ、撮影した画像を編集し、サイト構成に当てはめて設計していく。
「だいぶ回ったね。あと数軒ってとこかな?」
取材メモやリストを見ながら萩原が言う。
「うん、ええと次は・・・灰間堂って、とこか」
松倉はメモを指でなぞった。
年季の入った看板と、赤いのれんが目印とある。
屋号の雰囲気からして、雑貨か骨董を扱う昔ながらの商いか何かか。
「灰間堂・・・聞かないなぁ。この場所、わかる?」
「地図はあるんだけど・・・なんか、ここだけ曖昧なんだよな」
東町の商店街周辺を何度か歩いている松倉だが、灰間堂という名前には聞き覚えがなかった。
目印らしき建物の近くを歩いても、それらしき構えを見た記憶もない。
「ま、ひとまず行ってみるか」
昼過ぎ、カメラとメモ帳を手に、松倉は東町の小路を歩いていた。
午後の日差しが商店街の看板に斜めの影を落とす中、ふとした瞬間に違和感を覚える。
先日、沙月の店に向かう途中に見かけた、あの「どこか見覚えのない道」が、また目の端に引っかかった。
やっぱ、こんなところに、こんな路地あったか?
手前に電柱、道の奥には、古びたブロック塀。
不自然なほど静まり返った空間に、空気が少し重くなる。
その時、不意に背後から声がかかった。
「おじさん、なにか探してるの?」
振り返ると、小学生くらいの男の子が電柱の横に立っていた。
やけに無表情な顔だが、服装は普通のTシャツにハーフパンツ。
汗をかいた前髪がぺたっと額に張り付いている。
「ああ、店を探してるんだ。灰間堂って知ってるか?」
松倉が訊くと、少年は静かに頷き、無言のまま指をさす。
指の先には・・・あの見覚えのない路地。
ためらいが松倉の足を止めたが、仕事だ。
取材対象がそこにあるなら、行かない理由はない。
「ありがとうな」と声をかけた時、少年の姿はもうどこにもなかった。
仕方なく松倉は路地を進む。空気が急にひんやりと変わる。
突き当たりの角を曲がった先に、ぽつんと佇む建物があった。
年季の入った木造の一軒家。
壁に打ちつけられた看板には、たしかに「灰間堂」と書かれている。
でも、こんなところに、本当に店なんか・・・?
疑問を押し込め、松倉は引き戸の前に立った。
「すいません、取材でお伺いしたいのですが・・・」
戸を軽くたたき声をかけた。
「お入りください。開いてますよ」
松倉は戸に手をかけると、ギィィ・・・と音を立てて開いた。
カウンターの奥にいたのは、白髪をふわりと結い上げた小柄な老婆だった。
くしゃっと笑った顔には深い皺が刻まれているが、目の奥に、何かを見透かすような光がある。
「あらあら、まあまあ、よう来なさった」
笑顔とも、警戒ともつかない表情で、老婆は言った。
「失礼します・・・WEB取材の件でお伺いしたものなのですが・・・」
玄関に入ると、湿気を帯びた木の匂いが鼻をついた。
古時計の秒針の音が、やけに大きく響く。
照明は点いているが、電球色の光はやたらと鈍く、部屋の隅に微かな影を作っていた。
「いらっしゃい・・・ようやく来てくれたのねえ」
「え?、あ、ええ取材の件なんですけど、緑葉地区東町の商店街紹介の・・・」
「そうね、そうね。それはまたあとで。ちょっと、頼みごとをしてもいいかしら?」
「・・・はい?」
返事を待たずに、老婆はゆっくりと奥から古びて黄ばんだ封筒を取り出してきた。
「これをね、坂の上の赤いポストに投函してきてほしいのよ」
「いやいや、ちょっと待ってください。あの、取材に来たんですけど・・・?」
「ええ、もちろん。それはちゃんとお話しするつもり。ただね、それは・・・このお手紙を届けてからでも、遅くないと思うの」
老女の微笑は柔らかい。だがなぜか断れない重みがある。
松倉は封筒を見つめたあと、静かにため息をついた。
「・・・行ってきますよ。その赤いポストってどこにあるんですか?」
「ほら、あなたも昔よく遊んだんじゃない?あの滑り台のある公園の上よ。坂を登っていくと、ぽつんと立ってるはず」
「立ってるはずって・・・」
ブツブツ文句を言いながらも、松倉は封筒を受け取った。
老婆は手紙を渡す際、にこにこしていた。
松倉は手に取ったその封筒を見下ろす。
だが、短い言葉が記されている以外に、差出人も宛名も、どこにも記されていなかった。
「・・・あの、失礼ですが・・・これは、誰に宛てた手紙なんですか?」
少し悩んだ末の問いに、老婆はふっと表情をやわらげた。
そして、少しだけ遠くを見るような目をした。
「そうねえ。昔ね、お別れをした友人がいたの。その時、ちゃんとありがとうって言えなかったのよ」
そう言って、ほんのわずかに笑みを浮かべたが、すぐに小さな溜息とともに続きをつけ加える。
「子どもの頃、よく一緒に遊んだの。今の公園になる前、あの丘の上の空き地でね。・・・それで、なんとなく、あの丘のポストなら届く気がして」
「・・・そう、ですか」
松倉は返答に迷ったが、やがて静かに頷いた。
少しばかり妙な話ではある。だが、やらない理由もない。
「・・・わかりました。行ってきます」
「ありがとう。戻ってきたら、お茶くらい出すわね」
老婆は、ほっとしたように頷いた。
松倉はあまり深く考えずに頼まれごとを終えるために店を後にした。
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