第13話:月の夜曲(ムーンライトセレナーデ)

全国大会決勝トーナメントへの切符を手にした舞依たち「REJECT CODE」。

地区予選での演奏は圧巻の完成度を誇り、審査員からは「今大会で最も期待できるバンドのひとつ」と称賛された。

だが、その評価に満足する舞依ではなかった。


「『Cry for Freedom』は、確かに私たちの代表曲。でも、決勝トーナメントはこれだけでは戦えない。」

 舞依は新しい曲で決勝トーナメントに臨もうと考えていた。

舞依が考えていたのは、尚斗との日々や想いを下敷きにした、切なくも温かい感情を描いたラブソングだった。 


予選の熱狂が冷めやらぬある日、静かなスタジオの一角。舞依は、静かにノートを広げ、ペンを走らせていた。

だが、思うようにペンが進まない。書きたい言葉が胸の奥から溢れそうなのに、形にするのが難しい。

「……何気ない瞬間、想いを言葉にするのが、こんなに難しいなんて。」

無意識に呟く。ふと、手元のスマホに目を向けると、そこには何枚かの写真があった。


ひとつは、尚斗がアンプの調整をしている横顔。 ひとつは、ライブ後、機材の片付けを手伝いながら、ふと見せた優しい微笑み。

そして、最後に――ステージの片隅で、ただじっと自分の演奏を見守る彼の姿。


ペン先が止まる。舞依の胸に、ひとつの旋律が響いた。

この瞬間、この人がそばにいたから、私は迷わず前を向けることができた。

深く息を吸い込み、ノートの端にそっと書きつける。


「月の光に包まれながら 君の声を思い出している 夜風がそっと頬を撫でるたび 心の中で名前を呼ぶ.」


その言葉に導かれるように、次のフレーズが流れ出す。 彼の手がアンプを調整する何気ない仕草。


ライブ終わりの「お疲れ」と言う声。

時には、何も言わずに、それでも確かに伝わる眼差し。

――それは、単なる恋の歌じゃない。 尚斗と支え合うことで生まれた音。

そこにある静かな絆。


「……この曲が、私の次のステージになる」

舞依はそう確信しながら、もう一度ノートに向き合った。


次のライブで、この曲を届ける。 彼に――そして、自分自身へ。

それが今、彼女にとっての「Cry for Freedom」の次の物語だった。


練習を終えたスタジオにて、舞依は静かに口を開く。

「――全国大会では、新曲で挑もう。」

その一言に、メンバーは息を呑んだ。

「『Cry for Freedom』は、確かに私たちの代表曲。

でももう、YouTubeで何万回も再生されてるし、

ファンの間では“おなじみの曲”になってる。」

その口調に、緊張感と覚悟が宿る。


香澄が頷いた。

「たしかに。予選で演奏したときも、盛り上がってはいたけど――“知ってる曲だから”っていう安心感みたいなものも、少し感じたわ。」


舞依が頷く。

「だからこそ、あえて挑戦したいの。もっと、心に深く入り込むような曲で。予想を超える私たちを、全国の舞台で見せたいの。」


言葉の重みに、メンバーは黙り込む。


しばしの沈黙の後、萌絵が真剣なまなざしで問う。

「どんな曲を考えてるの?」


「――ラブソングよ。タイトルは『月の夜曲(ムーンライトセレナーデ)』。」

舞依がそっと取り出したノートを、萌絵が手に取る。


綴られた言葉に目を通した萌絵は、一瞬目を見開き、そして静かに微笑んだ。

「……なるほど。これは、私たちにしか演奏出来ないラブソングかもね。

バラードはREJECT CODEにとって新しい挑戦。

でも、それが今の私たちに必要な曲になると感じるわ。作曲は任せて」


こうして舞依が作詞、萌絵が作曲を担当し、バンド初の本格バラード『月の夜曲(ムーンライトセレナーデ)』の制作が始まった。


萌絵は譜面を開き、指先で鍵盤をなぞる。

「……これは、ただのバラードじゃないわね。」


楽譜に綴られた言葉を見つめながら、そっと息を整える。

舞依の書いた歌詞には、熱さと静けさが混ざり合った、今までのREJECT CODEにはなかった「深み」があった。

それは、激しさとは異なる形で心を震わせる言葉だった。


彼女は鍵盤に手を置き、ゆっくりと最初の旋律を弾き始める。

柔らかく、それでいて確かな温もりを感じるメロディ。

まるで月明かりが静かに差し込むような、そんな音。


「……これなら舞依の声が映える。」

手元のメモに、簡単なコード進行を書き込む。

音の流れが決まれば、すぐにアレンジに入る。


「バラードは繊細。歌詞の感情を最大限に響かせる音作りをしないと。」

そう言いながら、萌絵は慎重に音を重ねる。


ピアノの旋律を軸に、ギターのアルペジオをイメージする。

ドラムは控えめに、でも心を揺さぶるようなリズムを刻む。


「夜風のような音を入れたい……」

静かなハイハットの揺れを考え、香澄のベースラインを思い浮かべる。

低く、でもどこか包み込むような音を響かせたい。


「これで決勝トーナメントに挑むんだから……最高の音を作る。」

背筋を伸ばし、もう一度鍵盤に指を滑らせる。


萌絵の指が音を紡ぐたびに、スタジオの空気が変わっていく。

REJECT CODEにとって、初めてのバラード。


でも、それは今の彼女たちだからこそ歌える音楽だった。

萌絵は微笑み、確信を持って言う。

「――この曲、間違いなく響くわ。」

メンバーの表情も次第に変わっていく。


『月の夜曲(ムーンライトセレナーデ)』

1番

月の光に包まれながら

君の声を思い出している

夜風がそっと頬を撫でるたび

心の中で名前を呼ぶ


見つめ合うたびに胸が震える

触れた指先に星が灯る

どんな未来でも どんな時も

君と共にありたい


夜空に輝く願いのように

君への想いは消えないまま

離れていても感じてるよ

この心に満ちるメロディ


月の夜に奏でるセレナーデ

そっと君へ届くように

変わらぬ愛を抱きしめながら

今も君を想っている


2番

静かな夜に浮かぶ記憶

君の声がまだ揺れている

月の光に問いかけても

答えはどこにもなくて


抱きしめられた温もりが

まだ肌に残るのに

どうして手を離してしまったの

どうして愛せなかったの


月の夜に歌うメロディー

届かない想いが溢れる

この痛みさえ美しく

今も君を呼んでる


月の夜風に消えていく

私の小さな祈り

君の記憶を抱いたまま

夜の静寂に溶けてゆく


初めて全員で合わせたその瞬間、バラード調の楽曲は、切なさと温もりを同時に抱えた旋律を奏でた。


舞依の繊細で澄んだ歌声が、まるで月明かりのようにスタジオ全体を包み込む。


穂奈美のギターは、涙のように零れるアルペジオを奏で、

香澄のベースは、誰かをそっと抱きしめるような優しい鼓動を刻む。


彩のドラムは、語りかけるような柔らかさでリズムを支え、

萌絵のキーボードは、まるで夜空そのものを音にしたかのように、

全てを包み込んだ。


演奏が終わると、スタジオは息を呑むような静寂に包まれた。

誰もが言葉を失い、ただその余韻に身を委ねていた。


「……やばい、泣きそう……」

穂奈美は、震える指でギターのネックを握りしめた。

音が消えた後の静寂が、胸の奥深くまで染み渡る。

まるで、今まで積み重ねてきたすべての瞬間が、この一曲に収束したような感覚。


「……なんか、さ……」

言葉を探すように、視線を彷徨わせる。

声にならない想いが、喉の奥で熱を帯びている。


「こんなにも心に届く音……こんなにも大切な曲……」

ギターの弦を、そっと指先でなぞる。

音はもう鳴っていないのに、まだその余韻が耳の奥に残っている気がした。


「今までで、一番…響いたかも。」

穂奈美は目を伏せ、静かに息を整えた。

涙がこぼれる一歩手前――その感覚を、大切に抱きしめながら。

この曲はただのバラードじゃない。

これまで、そしてこれから――すべてを音にした、たったひとつの旋律だった。


「すごい……本当に、心の奥まで届く曲ね。」

香澄は、そっと息を吸い込む。

その音に込められた想いが、胸に深く染み渡るのを感じた。


バンドとして、ひとつの旋律を共有することの重み。

その感覚が、今まで以上に心の奥へ響いていた。

「この曲は舞依の個人的な想い。

でも……それを私たちの音として鳴らすことで、もっと深いものになる。」


「単なるラブソングじゃない……これは、支え合って生まれた音楽なのよね。」

萌絵が視線をゆっくり譜面に落とす。

書かれた言葉の一つひとつが、舞依の心の断片を映している。

そして、その音が今、たちのものになろうとしていた。


「私たちが奏でることで、もっと遠くへ届けられる――そんな気がする。」

その声に滲む微かな震えは、ただの緊張ではない。

それは、この楽曲の意味と、自分たちの音楽が持つ力に気づいた瞬間だった。


「リズムを刻む手が震える……こんなの、初めてかも。」

彩は、自分の手を見つめる。

いつもは迷いなく叩き続けるスティックが、今は微かに揺れている。

でも、それは不安じゃない。

むしろ、それがこの曲の持つ重みなのだと、すぐに理解した。


舞依は、静かにマイクを握りしめる。

胸の奥で何かが震えている。決して激しい緊張ではない。

それは、今まで演奏してきたどの曲とも違う感覚――

音楽がただの技術ではなく、心そのものになっていく瞬間だった。


「……この曲で、勝負しよう。」

それは、ただの決意ではなく、魂の共鳴だった。


「この曲は、“心”に直接語り掛けてくる」

メンバーは視線を舞依へ向ける。彼女の目には、並々ならぬ決意が宿っている。

仲間たちも、それぞれがこの楽曲の意味を噛みしめているのが伝わってくる。


「私たちの音楽は、テクニックじゃない。“心”で戦うんだから。」

その瞬間、スタジオの空気が変わる。


言葉はなくても、全員が今、この曲にすべてを懸けようとしていることを感じていた。

音楽は、ただ演奏するものじゃない――

それは、伝えるもの。響かせるもの。心そのものになるもの。


舞依は、深く息を吸い込み、ふたたび仲間たちを見渡した。

「――この曲で、決勝に挑もう。今の私たちを、音に刻もう。」


静かなスタジオに、その言葉が響く。誰一人として口を開かない。

しかし、その沈黙こそが、決意の強さを物語っていた。


香澄がそっとベースを抱きしめる。

萌絵は鍵盤の上に指をすべらせる。

彩はスティックを握り直し、

穂奈美はギターのネックをそっと撫でる。

それぞれが、今まで積み重ねてきた音、想い、決意を確かめるように。


「REJECT CODE」は、新たな旋律を携え、決勝のステージへ――誰かの夜を照らす、静かな光となる。

その音が、確かに響くことを信じて――。

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