第8話:揺れる声
新年度に入り、軽音部では「全国ティーンズバンドフェス」のエントリーに向けて準備が本格化していた。
この大会は全国の高校の軽音部、10代アマチュアバンドの大会で、セミプロでも参加できる。
全国からエントリーしたバンドを6つのグループに分けてリーグ戦を行い、各グループ1組が決勝トーナメントに出場することが出来る。
6月の第1土曜、日曜日に予選リーグを行い、8月の夏休み期間に決勝トーナメントが開催される。
この軽音部で全国大会に出場できる最後のチャンスを迎える3年達も、気合いが入っていた。
「まずは、演奏曲とパートの編成を決めましょうか」
放課後の部室に集まったメンバーたち。
瑞穂は真剣な眼差しでホワイトボードを見つめながら、穏やかに口を開いた。
自然と話題は、“メインボーカルを誰が務めるか”という点に集中する。
元々は瑞穂部長がボーカルを担当していた。
だが、新入生の琴音が加入したことで、バンドには2人の実力派ボーカリストが存在することになった。
「やっぱ、さすがに今回は瑞穂部長でしょ。」
と、ベース担当の拓人がぽつりとつぶやく。
「うん、今度の地区予選は先輩たちの最後のステージになるかも知れないし、今回は部長にお任せするのがいいと思います」
と、キーボード担当の千紘が真面目な表情で言った。
「瑞穂先輩の歌、あの力強さと安定感はやっぱりすごいですしね」
と、ドラム担当の理央も頷く。
皆の意見が自然とまとまり、“今回は瑞穂がメインでいく”という結論に落ち着こうとしたその時だった。
琴音の口から、不意に言葉がこぼれた。
「……私のほうが、上手いのに」
一瞬、部室が静まり返った。
部員たちが驚いたように琴音を見つめる。
「え……?」
理央が思わず声を漏らす。
千紘も戸惑ったように眉をひそめる。
「琴音ちゃん……今の、本気で言ったの?」
瑞穂は言葉を失ったまま、琴音の顔をじっと見つめていた。
拓人が慌てて言葉を探すように口を開く。
「べ、別に、実力の話をしてるんじゃなくてさ……」
その瞬間、琴音はハッと我に返る。
自分が思っていたことを、口に出してしまったことに気づく。
「ご、ごめんなさい……っ」
琴音は立ち上がり、バタバタと部室を飛び出した。
背後で誰かが「琴音さん!」と呼んだ気がしたが、足は止まらなかった。
(また……わたしは……)
胸の奥が痛かった。
認めてもらえない悔しさと、瑞穂を傷つけてしまったかもしれない後悔とで、心がぐちゃぐちゃになっていた。
放課後の夕焼けの中、琴音の足音だけが静かに響いていた。
(私、どうしてあんなことを…)
「琴音!」
振り返ると、悠真先輩が息を切らせながらも穏やかな笑みを浮かべていた。
「……悠真、先輩?」
悠真が、琴音の前まで歩いてくる。
「ちょっと話、してもいいかな」
琴音は戸惑いながらも頷いた。
近くのベンチに腰を下ろすと、悠真は空を見上げながら語り始めた。
「さっきのことだけど。…君が言った言葉も、気持ちも、分かるよ」
「でもね、瑞穂がメインになったのは、“3年生だから”って理由だけじゃないんだ」
琴音が顔を上げる。
「瑞穂は、軽音部を一人で立ち上げたんだ。入学当初、部員はゼロ。楽器も機材も何もないところから、全部ひとりで始めた。」
「地道に仲間を集めて、ようやく去年、初めて地区大会に出場した。でも……結果は予選落ちだった」
悠真の目に、わずかに悔しさと誇りが混ざったような光が宿る。
「それでも、瑞穂は諦めなかった。あいつにとって、今年の大会は、3年間のすべてが詰まった集大成なんだ」
琴音は静かに聞き入っていた。
「もちろん、君の歌も本当にすごい。俺も驚いた。……でも、瑞穂にとっては、この大会が“最後の晴れ舞台”なんだよ」
悠真は穏やかに言葉を結んだ。
「君には、まだ未来がある。だからこそ、今は“受け入れる強さ”も必要だ。この経験はきっと君の力になる」
琴音は拳を握りしめながら、小さく「……はい」と答えた。
胸の奥に沈んでいた感情が、少しずつ言葉となって溶けていく気がした。
悠真はそっと立ち上がり、柔らかな口調で言った。
「……そろそろ、戻ろうか。きっと、みんな心配してる」
琴音は少しだけ目を伏せたまま、深く息を吸い込んだ。そして小さく頷いた。
「……はい」
夕焼けに照らされながら、二人はゆっくりと部室へと歩き出した。
ドアを開けると、部室の中には変わらずメンバーたちがいた。全員がピリッとした空気の中で、琴音の姿に視線を向ける。
千紘が真っ先に声を発した。
「琴音ちゃん……大丈夫?」
琴音はドアの前で立ち止まり、顔を上げた。その表情には、覚悟と申し訳なさがにじんでいた。
「……さっきは、本当にごめんなさい」
その声に、部室内が静かになる。
「気持ちが抑えられなくて、つい……思ってたこと、口に出しちゃって……。
瑞穂先輩や、みんなの気持ちを考えずに……本当にごめんなさい」
頭を深く下げる琴音。手はぎゅっと握られて震えていた。
静かな時間が流れた後、瑞穂が椅子から静かに立ち上がる。
そして、落ち着いた足取りで琴音の前まで歩み寄ると、優しい声で言葉を紡いだ。
「……謝ってくれてありがとう。ちゃんと、気持ちは伝わったわ」
その声には、責める色は微塵もなかった。むしろ、どこか安心させてくれる穏やかさがあった。
「実はね、私も1年生の頃は、悔しい思いばかりだったの。
自分の気持ちを持て余して、どうしようもなくなったことも何度もある。
だからこそ、あなたの気持ち、少しだけだけど理解できるつもり」
琴音が驚いたように顔を上げた。
瑞穂は優しく微笑んだまま、続けた。
「今回の大会では、私がメインボーカルを務めるけれど……
それは部長としての責任であって、あなたの実力を否定するものじゃないわ。
むしろ、あなたがいてくれることが、私たちにとってどれだけ心強いか。
これから、一緒に素敵なステージを作っていきましょう」
琴音の目に涙が滲む。
「……はい」
その場の空気が少し和らいだのを感じて、拓人が頭をかきながらぽつりと言った。
「なんか、空気悪くしちゃってごめん。俺も、ちょっと無神経だったかもな」
理央が明るく手を打ち鳴らす。
「じゃあ、改めて仕切り直し!演奏曲とかパート決め、やることいっぱいあるしね!」
千紘も微笑んでうなずいた。
「うん。私、琴音ちゃんの歌、また聴かせてほしいな」
悠真は皆の様子を静かに見守りながら、ギターケースを軽く持ち直した。
その目は、どこか安堵の色を帯びていた。
和やかに空気がほどけていく部室。
琴音の心にも、ようやく少しずつ温かさが戻ってきていた。
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