第5話:スカウトの予感

放課後、琴音が肩にかけたカバンを揺らしながら歩いていると、男子たちが声をかけてきた。


「なあ琴音ちゃん、今日ヒマ?」


「俺たちと駅前で遊ぼーぜ!」


軽く迷うふりをして、琴音は笑顔で頷く。

「うん、いいよ~。付き合ってあ・げ・る♡」


そして向かったのは、駅前のアミューズメントスポット。

ボウリング、スポッチャ、プリクラ——それぞれの楽しみ方があったが、男子たちの注目は別の場所にあった。


「琴音ちゃん、音ゲーできる?」


「え~、まあそれなりに??」

適当なノリで答える琴音。しかし、実は音ゲーには少し自信がある。


チャラめの男子が挑戦状を叩きつけた。

「じゃあ勝負な!俺、ビートマスターだから!」


「ふふ、負けないよ?」

笑いながら場を流しつつも、琴音は心の奥でふとした違和感を覚えていた。

──楽しい。笑っていられる。でも。

(なんでだろ、なんか…ちょっと違う)


その後、みんなでファミレスへ。ドリンクバーの炭酸を交互に注ぎながら、男子たちは陽気に話題を飛ばした。


「琴音ちゃんって、彼氏いるの? 」


「いやいや、彼氏なんていませんよ〜。私人気なかったし~♡」


「えー、マジで!こんなに可愛いのに?つーか、マジアイドルっぽくね? 歌うたったりさ?」


「え〜、そんな感じに見える〜?」


誰とでも気軽に話せる“自分”は嘘じゃない。

だけど、どこか自分じゃない“誰か”を演じているような――そんな感覚が消えなかった。


その後、流れでカラオケへ移動。


「琴音ちゃん、なんか歌ってよ!」


「えー、しょうがないな〜。よ~し歌っちゃうぞ~♡」


軽いノリで選んだのは、最近のヒット曲。……だが。

マイクを握り、最初の一声が流れた瞬間、空気が変わった。


その声は透き通っていて、感情が芯に届く。

軽やかで、それでいて圧倒的な存在感。

歌い終わった瞬間、部屋は一瞬静まり――そしてざわめく男子たち。


「な、なに今の……?」


「ヤッバ……鳥肌立った……」


「琴音ちゃん、マジでプロじゃん……」


その夜の噂は、瞬く間にSNSと学校内で広がっていった。


『1年生にプロ並みの歌うま女子がいるらしい』


『昨日カラオケで聴いた人が泣いたって噂』


そして、次の日。

廊下で声をかけてきたのは、2年の軽音部部長・瑞穂だった。


「ねえ、あなたが琴音さん?」


瑞穂を怪訝そうな顔で見る琴音。

「え? そうですけど…」


瑞穂が、興奮して赤くなった顔を琴音に近づける。

「カラオケで聞いたわよ。あなたの歌、すごいわ!私涙が止まらなかったの!」


琴音は一瞬たじろぐ。

「えっと~、あれはただのノリでして~w……」


瑞穂が畳みかけるように言う。

「でも、本気だったでしょ? あなたの歌声、魂が揺さぶられたわ!」

「もし、また“歌いたい”って思ってるなら――軽音部、来てみない?」


数日間迷い続けた琴音。

SNSで自分の歌の噂が広がっているのを見たり、ひとりで鼻歌を口ずさんでしまったり。

(歌いたい……私は、やっぱり……)


そして、その日、琴音は軽音部の部室前に立っていた。

扉の前で足を止める。視線を落とすと、わずかに震える自分の指が見えた。

(……どうしよう)


扉の向こうでは、楽器の音が響いている。バンドの練習が続いているのだろう。

彼らは本気で音楽に向き合っている。そこへ自分が入ってもいいのだろうか。

心臓が高鳴る。


『琴音ちゃん、マジでプロじゃん!』


『本物だったわね』


昨日までの言葉が頭の中で反響する。

でも、それは“遊び”の延長の中で生まれたものだ。ここは違う。

目を閉じ、深く息を吸う。

(私、本当に歌いたいの?)


答えはずっと、心の奥で鳴り続けていた。

迷いながらも、結局、何度も歌を口ずさんでしまう自分。

“本気”で向き合ってみたらどうなるのか——怖いけど、知りたい。

ゆっくりと顔を上げる。

震える指が、やがて静かに固まる。


「……よしっ」

覚悟を決めて、ノックする。


コンコン


そっと扉を開ける琴音。

「失礼します…」


扉を開けた瞬間、更に大きくバンドの練習音が響き渡る。


「来てくれると思ってたわ、琴音さん!」

瑞穂が笑顔で迎えてくれる。


「こっちはドラムの理央、キーボードの千紘、ベースの拓人、そして……」


琴音の視線の先にいたのは――

「……えっ」

(悠真先輩!? 同じ高校だったの?)

琴音が中学時代、遠くから見ていただけの存在――悠真先輩だった。

会話をしたことは一度もなかった。ただ、ずっと眩しい存在だった。


「やあ。……琴音さん、だよね?」

悠真は微笑んで言った。

「君のことは噂で聞いていたよ。神の歌声だって。気になってたんだ」


瑞穂が言った。

「せっかくだし、みんなの前で一曲、歌ってみない?」


琴音は戸惑った。

「えっ……ここで、今……?」


瑞穂は優しく続ける。

「無理には言わないわ。でも、みんなにもあの歌声を聞いてもらえたらって」


琴音は迷った。

(どうしよう、みんなの前でなんて…。ちゃんと聴かれる…。カラオケのノリとは違う。)


その時、悠真が穏やかに言った。

「俺、聴きたいな。琴音さんの歌声、ぜひ聴かせてほしい」


その一言で、琴音の心が決まった。

「……わかりました。えっと、じゃあ……一曲だけ」


マイクを持ち、伴奏が始まる。最初の歌声が部員達を震わせた。

柔らかく、力強い歌声が部室を包む。


歌い終わった瞬間、部室は静まり返り、やがて拍手と歓声が響いた。


「すごい……!」


「本当に、神の歌声だった……」


「絶対入るべきだよ!」


瑞穂が微笑んで言った。

「やっぱり、本物だったわね」


悠真も優しく頷く。

「その歌声、もっと多くの人に聴いてもらうべきだよ」


琴音は頷いた。

「……軽音部、入部させてください」


部室は笑顔と拍手に包まれる。

(また、歌える場所ができた。

そして……ずっと憧れていた先輩が、初めて私を見てくれた)


──琴音の胸の奥に、小さな恋の音が鳴り始めた。

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