VOCALIST

NOKKO-0818

プロローグ、第1話:変わりすぎた再会

中学3年、文化祭の午後。

傾きかけた陽の光が差し込む体育館に、アンプの音が鳴り響く。

舞依は、ステージの中央でマイクを握りしめて熱唱していた。


ハーフアップの長い黒髪は、両側に繊細な編み込みが施され、

優雅に流れるように後ろへとまとめられていた。

前髪はふわりと額にかかり、揺れるたびに柔らかな影を落とす。


スポットライトを浴びると、その瞳の奥に強い光が宿る。

弾けるようなドラムの鼓動が響き渡り、

ギターが疾走感のあるリフを刻み、

ベースが重厚なグルーヴを支える。

キーボードは旋律に彩りを添え、音の波が体育館を包み込む。


観客は一体となり、刻まれるビートに身を委ねていた。

何度も繰り返したリハーサル通り、すべてが順調だった。

いや、それ以上だった。


「アンコール!」の声が上がった瞬間、

舞依は一瞬だけ、観客席の奥を見た。

あるひとりの少女を探していた。けれど、その姿はなかった。

──琴音は、来ていなかった。


ラストの一曲が終わると、体育館が拍手に包まれた。

軽音部の仲間たちは抱き合い、ハイタッチし、興奮を分かち合った。

打ち上げでは笑顔が飛び交い、ジュースがこぼれ、誰かが泣いていた。

舞依も、泣きながら笑っていた。

…けれど、笑いながら、心のどこかで思っていた。

(やっぱり、来てくれなかったんだ)


ライブチケットは、琴音のクラス全員に配られていた。

来ようと思えば、来られたはずだった。

でも、彼女は来なかった。

最後の舞台に、彼女の姿はなかった。


卒業まであと数か月となったある日の夜。

舞依は、卒業アルバムの寄せ書きページの端に、

ふと「また一緒に歌える日が来たらいいね」と書きかけて、やめた。

筆圧だけが、わずかに残っていた。


高校入学初日。

春の暖かな日差しが、開け放たれた教室の窓から差し込んでいた。

新しい制服にまだ慣れないまま、舞依は自分の席に着き、クラスメイトたちの会話しているをぼんやりと眺めていた。


そこかしこで「中学どこ?」「部活なにやる?」と声が飛び交い、笑い声が混ざる。そんな中――


「やっほ〜、舞依♡」

突如、背後から聞こえた軽やかな声に、舞依はふっと肩をすくめた。

振り返ると、そこには明るい笑顔を浮かべた女子が立っていた。

ベージュブラウンの髪、

ふんわりとしたミニマムボブ、

小悪魔みたいなウインク。

ウインクの後、一瞬だけ唇の端を持ち上げた陽キャっぽい軽いノリ。


(…誰だろう?)

一瞬、思い出せずにいた。

琴音の髪に目が行き、次に唇を見て、そして目を見た瞬間、記憶が一気に戻ってきた。

「…琴音!?」

思わず声が出た。

別人のようだった。あの、控えめでいつも舞依の後ろにいた琴音とは、まるで違った。


「高校で再会できて、びっくり〜!またよろしくねっ!」

そう言って、琴音は片手をひらひらと振り、くるりと踵を返して去っていった。

去り際、ほんの一瞬、視線が泳ぐ

舞依はその背中を、呆然と見送った。

教室の喧騒が、遠く聞こえる。

――まるで夢を見ているようだった。


(…やっぱり、舞依は変わってなかった。)

あの真っ直ぐな目。覚えてる。

まっすぐで、冷たくて、でも綺麗で…

わたしのこと、ほんとに覚えてなかったんだ。


「やっほ〜、舞依♡」

無意識にウインクが出る。

あの子は、きっとこういうの、苦手だったよね。


でも、笑ってるわたししか見せないって決めたの。

中学時代、あのステージの上で見た「格の違い」

わたしの歌声は、誰の耳にも届かなかった。


舞依の一声で、会場の空気が変わる。

わたしの声は、ただ響いて、消えるだけだった。


それでも、わたし…一緒に歌いたかったんだよ。

「高校で再会できて、びっくり〜!またよろしくねっ!」

それだけ言って、すぐに背を向けた。

あの子と向き合うのは、まだ少し、怖かった。


琴音が教室を去った後も、舞依はしばらくの間、教室の入り口をぼうっと見つめていた。


(忘れていたわけじゃない。)

中学の軽音部、わたしの後ろでコーラスをしていたあの子。

卒業ライブの時も気になっていた…。


歌いながら観客席を探したけど、あの子は何処にもいなかった。

だけど今、目の前に現れた琴音は、

記憶の中の“琴音”とは、あまりにも違いすぎていた。


ベージュブラウンの髪、

ふんわりとしたミニマムボブ、

小悪魔みたいなウインク。

ウインクの後、一瞬だけ唇の端を持ち上げた陽キャっぽい軽いノリ。


(これが、あの琴音?)

頭ではわかっていたけれど、

心が、その事実を受け入れるのに時間がかかった。


(変わったんだ、琴音。)

教室のざわめきが、遠くに感じた。


その日は結局、琴音とそれ以上言葉を交わすことはできなかった。

放課後、帰り支度をしながらふと思う。

(もう一度、ちゃんと話せる日が来るんだろうか。)


舞依はそっと窓枠に指先を添えて、窓の外を見た。

夕焼けに染まる桜の木から花びらが舞うのが見えた。

風に揺れる花びらを、舞依は静かに目で追った。その指先は、かすかに窓枠を押し込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る