疾風怒濤の春が来て
陋巷の一翁
疾風怒濤の春が来て
久しぶりに長めの春だった。けれども穏やかではなく冬と夏が入り交じる嵐のような春。
思春期の青年は、そう思って部屋にこもっていた。心が苦しくてたまらない。頭が痛くてたまらない。きっと気圧の急変のせいだ。学校もしばらく休み、部屋で凍えたり、温んだりしていた。
そんな青年は何かがしたくて仕方ない。YoutuberやVtuber、ゆっくり茶番劇でもいい。何でもいいから外へ何かを出したかった。自慰による射精ぐらいは毎日三回ほど行っているが、それでは満たされないものがあった。自分がここにいるのだと伝えたい。我ここにあれり。そしてできれば賞賛を浴びたい。
賞賛。それこそ彼が望むべきものであった。
だがそれには辛酸を嘗めなければならないことも青年は知っていた。
何の代償もなく賞賛が得られるわけがない。
売るものは体一つ。しかも重い頭痛でまともに働かない。
どうすればいい。
つらい頭で本を読む。ドストエフスキー、カフカ、ガルシア=マルケス。
乱読した。頭に入ってこないが乱読した。何かに救いを求めるかのように。
ついに無駄だと知った。
無駄な時間を恨んだがどうしようもない。
だが気がつけば頭痛は退いていた。
夏がやってきていたのだった。
青年は大学に通い、サークルに久しぶりに顔を出す。サークルの人たちは彼をまだ覚えていた。
ありがたく思い。またサークル活動にいそしもうと思った。何をしてたんだい。聞かれて、「寝そべっていた感じかな」と答えた。
「なんだい寝そべり族か」
「中国のはやりを取り入れる必要はないと思うぜ」
サークルメンバーは口々にそう言った。
それは賞賛ではなかったが、自分をそれなりに認めてくれる言葉だった。
「あと頭痛薬を色々試したよ」
「ほう」
「これが一番僕に効いた」
ある市販薬を差し出す
「よかったな見つかって」
サークルの一人は本当に良かったかのように言った。
「でもこの間までのああいう陽気はまっぴらだな。あれは春じゃないよ。春じゃない何かだ。疾風と怒濤が代わる代わるやってくるんだ。思春期のような季節だった」
「地球も思春期を理解するようになったのかな」
「今まで理解してなかったのかな」
「人間に似たんだよ。いままで動物や植物に似ていたんだけど、人間があまりにも増えすぎて、人間に似るようにならざるを得なくなったんだ」
「人口、80億人だっけか」
「それと家畜がその10倍」
「そりゃ似るわ」
「とりあえずここは人間の星、いつまで続くは分からないけどね」
「なるほど、理解した」
「それでどうする」
「夏になったからお気楽に過ごすさ」
「おう、すごせすごせ。モラトリアム万歳!」
こうして青年はだらだら過ごすようになった。
太陽はじりじりと照りつけ、青年たちは学生会館のクーラーの効いた大広間で過ごす。だらけた空気はまさにモラトリアム万歳と言ったものだった。
だがやがて人類にも秋と冬が来た。
モラトリアムを囲っていた青年たちは戦争に立ち向かい死に、あるいは市民として死に、とにかく死んだ。人口は減っていった。
この物語に出てくる頭痛持ちの青年は奇しくも老人まで生きた。そうしてあの頃が人類の盛夏だったと思い知り、もはや自分の代では戻らないことを嘆いた。
騒人が死んだのは春だった。もはや疾風怒濤の春ではなく。穏やかな春の日であった。老人にはもはや頭痛もなくこもる部屋もなかった。
それでも、春が来たことを喜び、また人類の夏が来ることを夢想した。
老人の夢想は叶わなかったけれど、また別の種族により騒がしい疾風怒濤の春とじりじりと照りつける夏はかならず来るのであった。
疾風怒濤の春が来て 陋巷の一翁 @remono1889
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