聖碧

lampsprout

聖碧

真っ青な試験管に、少しずつ墨を足していく。

貴方の好んだ色を、塗り潰すように。

この国で、青は最も神聖な色とされてきた。

貴方も敬虔な信者で、青が何より好きだと言っていた。

あの日、消息を絶った貴方も。

……いや、青ではない。

無論、蒼でもない。

……碧だ。

貴方が好きだと言っていた、碧。

幾夜もかけ、手塩にかけて完成させたその碧を、今度は自らの手で、黒く、どこまでも黒く染め上げていく。

嘗ては私も、同じように碧を好んでいた。

国教を無条件に仰ぎ、貴方に憧れ、当然のように。

今となっては、貴方を思い出す縁でしかなくなった色。

貴方が喪われた今、私には全てが透明だった。

何も感じない。

何も、美しくない。

碧が、瑠璃が、一段深い群青へと変わる。

元より、何もかもどうでもいい気質だった。

美しいか。

自分にとっての判断基準はそれだけだった。

そんな私に、この国の宗教は至極迎合していて。

聖なる、美しい碧を崇めればいいだけの、簡単な文化。

……それが、どういうわけだろうか。

いつの間に、私の崇める対象は移り変わっていたのだろう。

貴方の哲学に迎合し、貴方を崇め、憧れて。

追従し、最期の最期まで己を押し殺した結果が、これだった。

他の選択肢が当時の私にあったとは思えない。

仮説は仮説でしかなく、実行どころか想起すらできなかった私が、仮に冷静であったとて、そんなはずはなかった。

煌めいていた金色が、墨の粒子に飲み込まれる。

美しさに囚われて、整然とした理論にのみ価値を見出した。

美徳を、穿き違えていた。

……もう少し、理念が違っていたなら。

そんな、恐ろしい後悔を塗り潰すために。

私は、貴方の記憶ごと、この碧を別の色に塗り替えるのだ。

青く、蒼く、碧く。

少しずつ印象の異なる、夥しい色たち。

どれを見ても、否が応でも貴方を想起する。

……ならば、全ての色を、潰してしまえばいい。

碧はもはや、碧ではない。

清廉さを失ったこれは、別のものだ。

貴方は、美しくなくてはならない。

濃紺が、鉄紺へと変わる。

濡羽色に、限りなく近く。

碧く、碧く、碧く。

呪いのような記憶を、どうにかして塗り潰す。

貴方が碧く染め上げた世界が、貴方の記憶を汚すなら。

私は美しいまま、全ての碧を、漆黒に塗り潰す。

ただ試験管の色は、どう足掻いてもこれ以上変わらない。

貴方に変えられた世界は、いつまでも碧いまま。

私の記憶だけが、黒く淀み続けて。

闇色に落ち着いた試験管だけが、鈍く底光りするのだった。

消え去った貴方を、象徴するように。

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聖碧 lampsprout @lampsprout

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