それぞれの過去2
唯我は、静かな森の中で一人、木刀を振っていた。風も鳥の声もない、ただ自らの呼吸と足元の土を踏む音だけが響いている。額には汗が滲み、目は鋭く、一振りごとに迷いを断ち切るような気迫がこもっていた。
その場に、足音もなく一人の女性が姿を現す。
「……また一人で修行してるのね」
その声に反応するように、唯我の動きが止まる。木刀を握る手をわずかに緩め、彼は冷たく振り返った。
「……また来たのか」
女性、末永瞳は、唯我の幼馴染み。静かに微笑みながら唯我に歩み寄る。表情には懐かしさと、どこか切なさが滲んでいた。
「だって、心配なのよ。唯我、あなたはいつも無茶ばかりするから」
唯我は視線を逸らし、肩をすくめるようにして言葉をこぼす。
「……俺のことなんか、放っておけばいい」
その言葉に、瞳は目を伏せるようにして一瞬悲しげな表情を見せたが、やがて優しく言った。
「そういうわけにはいかないわ。最近のあなた、ますます無茶をしてる。私は……あなたのことを知っているもの」
その言葉に、唯我の眉がかすかに動いた。だが、声にはまだ棘が残っていた。
「……何が言いたい」
瞳は一呼吸置き、迷いを振り払うようにして静かに語る。
「あなたの過去……本当のことを知ってる。だからこそ、あなたが無理をしているのも、苦しんでいるのも、全部わかるの」
唯我は口をつぐみ、長い沈黙の後、低く呟いた。
「……余計なお世話だ」
しかし、瞳は微笑みを崩さず、ゆっくりと首を振る。
「それでも、私はそばにいたいの」
唯我は返事をせず、再び木刀を構えて素振りを再開する。その動きは淡々としていたが、刀を握る手は僅かに震えていた。
やがて、彼の手がふと止まる。無言のまま、彼は前を見つめたまま呟いた。
「……瞳。お前は……まだあの時のことを覚えてるのか」
瞳は何も言わず、静かにうなずいた。唯我は木刀を地面にそっと置くと、その場に座り込むようにして語り始める。
かつての村。平和な日々。
幼い唯我が、父親の構える竹刀に向かって稽古をしていた。
「構えはぶれるな、唯我。剣は心を映す鏡だ」
「うん……父さん、もっと教えて!」
柔らかな光が差す午後。だが、その日々は突然の警報で終わりを告げた。
徴兵。戦火。爆音。煙。血の匂い。
幼い唯我も、戦闘訓練という名の前線送りにされた。
そして、あの日。村に敵が迫った時、唯我は恐怖で動けなかった。
「唯我、早く! 逃げなきゃ!」
瞳の叫びが聞こえた直後、目の前に刃が迫る
庇ったのは、父だった。
「……お前は、生きろ……唯我……」
父の体から流れる血。崩れ落ちるその姿。震える手で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
数日後、焼け落ちた村で、わずかに生き残った者たちの中に瞳がいた。
だが、もう一人の幼馴染み美鈴の姿は、どこにもなかった。
「……あいつだけは……守れなかった」
唯我の視線は、燃え残った瓦礫の中に今も存在する幻影を追っていた。
現実に戻ると、唯我の目は沈んだままだった。
「あの時……俺は、何もできなかった。ただ、見てることしか……父さんも、あいつも……俺が、守るべきだったのに」
瞳は唯我の隣に静かに腰を下ろした。
「……私だって、怖かった。震えてた。でも、唯我が生きてくれたから、私は今こうしてここにいる」
唯我は顔を背け、押し殺すような声を漏らす。
「……俺には、過去しかない。守れなかった記憶と、無力だった自分だけだ」
瞳はそっと彼の手に触れた。その温もりが、冷えた指先をゆっくり包む。
「それでも、あなたは進んでいる。剣を捨てず、自分を律し続けている。それが、あの人たちへの……あなたなりの答えでしょ?」
唯我の目が、かすかに揺れた。
「私は、そんな唯我を……誇りに思ってる」
再び木刀を握った唯我は、低く呟く。
「……あの日の俺を超える。それが、俺の唯一の誓いだ」
再開された素振り。だがその動きには、迷いと苛立ちが混ざっていた。
「……唯我。あなた、まだあの時のことを」
言葉が終わるよりも早く、唯我の手が止まり、拳が震える。
「忘れるわけがない……」
その声は、怒りとも悲しみともつかない、抑え込まれた感情の塊だった。
「俺は……幼い頃から父に剣術を教わってた。厳しかったが、あの人の背中を追いかけていた」
再び記憶が蘇る。村の混乱。銃声。悲鳴。
敵の襲撃の中、父が唯我を庇い、敵に向かっていく。
「走れ、唯我……! ここは俺が食い止める!」
その背中が、撃たれて倒れる。唯我はただ立ち尽くし、何一つできなかった。
「……何もできなかった。目の前で、父を……守れなかった。俺はただ、震えていただけだったんだ」
瞳は、静かに頷いた。
「でも、あなたは生き延びた。そして、あの時の仲間……美鈴を」
唯我の目が、苦しげに歪む。
「美鈴は……内戦の混乱の中で、行方不明になった。探した。でも見つからなかった」
拳が震え、声がかすれる。
「俺が、あの時もっと強かったら……あいつも、守れたかもしれないのに……」
沈黙の中で、瞳はそっと唯我の手を握った。
「唯我。あの時、あなたは弱かったかもしれない。でも……今は違う。強くなったあなたなら、きっと誰かを守れるはず。――自分自身も」
唯我は答えない。ただ、木刀を強く握り直す。その目には、決意と苦悩そして微かな光が宿っていた。
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