医療事務ですが、病院で謎を追ってます!【第1・2部 ログイン・イニシャライズ&ミッシング・フラグ】

暁月

第1部「ログイン.イニシャライズ」

第1章「記録されなかった事実」

【01】起動ログ

 


4月1日、午前7時45分。


大学病院本館に併設されたコンビニに、神谷 蓮は立ち寄っていた。


春とはいえ肌寒さの残る朝。棚には温かい缶コーヒーが並び、レジ前には通勤途中の医療従事者らしい客が数人並んでいた。


コーヒーを手にした神谷がふと目をやると、レジ横のカウンターに設置された透明な募金箱が目に入った。


「小児病棟支援募金」と書かれたその箱の中には、硬貨や紙幣が混ざっていた。


だが、その中でひときわ目立っていたのは、無理やり押し込まれたような茶封筒だった。


口はわずかに開いており、中に札束が詰まっているようにも見えたが──神谷はそれ以上深く見ようとはしなかった。


コーヒー代を支払い、店を出る。


 


新しい職場に向かう足取りは、思ったよりも軽かった。

だがその軽さの裏には、拭いきれない緊張と、“ここで何かを変えたい”という焦燥があった。


医師でも看護師でもない立場。だが、情報を扱う者として、医療を内側から支える覚悟はある。


そのために──彼はあの部署を、目指した。


 


1年半前。

小野寺おのでら主任が、急性心不全で急逝した。

神谷と共にかつて医療支援課で働いていた、優秀な主任だった。


突然の死。あまりに静かで、あまりに説明のつかない幕引き。


翌年、係は解体され、神谷は医事課へ異動となった。

だが、そこで終わらせたくはなかった。


あの時からずっと──知識と技術を、自分の武器に変えるしかないと思っていた。


情報とシステムを理解し、組織の中で“届かない場所”へ手を伸ばす力を身につけること。

それが、彼の選んだやり方だった。


 


午前8時25分。

大学病院本館、北棟3階。


“医療情報システム課”のプレートがかかった扉の前に、神谷は立っていた。


「ログイン前に除菌しましょう」

その下に、誰かが手書きで書き足していた。


──「心も、な。」


「……誰だよ、これ書いたの」


思わず吹き出した。


病院特有の無機質な空気に、ほんのわずかに混じる“人間味”。

それが、かえってこの場所の異質さを際立たせていた。


だがその瞬間、神谷の表情はすぐに引き締まる。


 


オフィスの中は、妙に静かだった。


カーテンで遮られた窓。冷たい蛍光灯の光。空調は機械的に唸っている。


床に敷かれたグレーのタイルカーペットには長年の使用感が漂い、デスクの間隔はやや狭い。


それでも整然としているのは、ここが“情報の中枢”であることを示していた。


 


3人の職員がいた。


係長の高城たかぎは無口で、常にキーボードの音を響かせている。


課長の三角みすみは年配の男性で、着任の挨拶もそこそこに「じゃ、早速慣れてね」と席に戻った。


そして──主任を務める女性職員。

名札には『主任・山根やまね』と記されていた彼女が、神谷の隣で書類を整理していた。


「こちらが本日からご使用いただく端末です」


彼女がそう言ってモニターを指差す。


白衣の袖をまくった手元には、長年の実務を思わせる手際の良さがあった。


 


「あの、山根主任」


神谷が声をかけると、彼女は手を止めて顔を上げた。


「ええ、何か困ったことがあれば、いつでも。……この課は、説明不足なところが多いから」


それは他人事のようでもあり、どこか意味深でもあった。


 


神谷は一礼して、ひとつ深呼吸をしてから席に腰を下ろした。


IDカードを差し込む。画面が立ち上がり、

『UserID: KAMIYA_REN』と表示された。


ログイン、完了。


その言葉が胸の奥にずっしりと響いた。


 


神谷の役割は、電子カルテシステムの不具合対応に始まり、

システム系委員会の議事資料準備、新システム導入に向けた業者との打合せ、

さらに不正アクセスのログ監査まで幅広い。


「思ってたより、やること多いな……」


呟いた声は、誰に届くこともなく空間に吸い込まれた。


 


ふと視線を横に向けると、壁に貼られた一枚の掲示が目に入った。


“ログ監査の結果は原則開示しないこと”


その下に小さく、手書きで「例外もある」と書き加えられていた。


神谷は無言でそれを見つめた。




あのとき、何も知らなかった。

だから今、すべてを見届ける立場に立とうとしている。


──


※はじめまして。ご覧いただきありがとうございます。

この作品は、病院の“情報システム課”を舞台にしたフィクションです。

医療の現場にある「静かな非日常」と、少しずつ明らかになる真相を描いていきます。よろしければ、お付き合いください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る