第15話
いつものように「月読」の扉を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。カウンターの上だけでなく、その足元にまで、大小さまざまな紙袋が、まるで山脈のように積み上がっているのだ。
そして、その山脈の主である一ノ瀬さんは、一番大きな紙袋に顔を突っ込むようにして何かを物色しながら、口をもぐもぐと動かしていた。その頬は、美味しいものを蓄えた冬眠前の小動物のごとく、愛らしく膨らんでいる。
「……ひはっはひ」
両頬にパンパンに食べ物を詰めながら出迎えてくれる。この店では店員が食べ物で口をパンパンにして出迎えてくれるらしい。
「口がパンパンだよ……」
一ノ瀬さんは口の中のものを飲み込んで「まさにね」と言った。
「何がまさになの?」
「パンだから。パンパン」
一ノ瀬さんは次のパンを紙袋から取り出して大きな口で頬張った。つまり、まだまだうず高く積まれている紙袋の中身はすべてパンということ。
「これ、全部パンなの? まさか一人で……?」
ここにきて大食いキャラか? と驚いの目を一ノ瀬さんに向ける。
「や、買ったわけじゃないよ。近くの商店街で開催されていた『パンフェス』なる、パンのパンによるパンのための祭典があってさ。そこの売れ残り達なんだ」
「パンがパンを売ってるの!?」
「ふふっ……パン身売買してたよ」
コッペパンがメロンパンやクロワッサンを売っている姿を想像してしまい、そのファンシーな世界観に笑ってしまう。
「ははっ、いいね、それ」
「ん。来店特典で一袋無料配布中だよ。しかも、飲み物を注文すると無料でパンがセットでついてくるんだ。個数は無制限」
「……だいぶ売れ残りを押し付けられたみたいだね!?」
一ノ瀬さんは困り顔で頷き、離れたところに立っている桜井さんを顎で指した。
「薫子さんが『私が店で配る!』なんて言ってほとんど引き受けてきちゃったんだよね。ま、けどさ、貰ってくれても一人でひとつが関の山。私も一杯食べたからお腹がパンパンなんだよね」
「パンだけに?」
「あー、もうそのジョークは聞き飽きた」
どうやら散々こすられた後だったらしい。
一ノ瀬さんはため息をついて紙袋をガサガサと漁る。
「佐伯さーん。好きなパンってある? あ、フライパン、パンツ、短パン、ショパン、サイパン、その他これに類する単語を発した瞬間に退店だから」
「パンって単語を聞きたくないかつ喋りたすぎてるよ!?」
「パンなんて言えば言うほど楽しくなるからね。あ、で何のパンが好きなの?」
「うーん……カレーパンかな」
「あー。陽キャっぽいやつだね」
「パンの種類に性格なんてある!?」
一ノ瀬さんは「あるある」と言いながら紙袋からメロンパンを取り出した。
「これは、クラスの一軍女子」
「性別もあるんだ……」
一ノ瀬さんは続いてシンプルな塩パンを取り出した。
「メガネ男子。校則を守る男子中学生」
「塩パンの擬人化!?」
「ん。クリームパンは陰キャ」
一ノ瀬さんは自信満々に断言する。
「そこはなんとなく分かるよ……一ノ瀬さんはバゲットって感じがするよね。紙袋から突き出したやつを抱えてそう」
「や、おしゃれじゃん」
「後はクロワッサンとかも」
「それもおしゃれじゃん。ふふっ……佐伯さん、私をパンで褒めるのうまくない?」
「そんな才能があるとは思わなかったよ……」
「部活でやってた? パン例え褒め部とか」
「わかんないけど多分すぐに全国1位になれそうな気がするよ!?」
「今日の佐伯さん、すごくデニュッシュだね」
「何かを言ってそうだけど全然伝わってないよ!? ……ちなみに俺は例えると何なの?」
一ノ瀬さんは俺が質問をするとカウンターの向こうから出てきてテーブル席の前までやってくると、じっと俺の目を見てきた。
近くで俺を観察しながら色んなパンと俺の類似度を計算しているのか、やけに真剣な表情で検討に検討を重ねている様子だ。
一ノ瀬さんはしばらく考えた後に口を開いた。
「……うぐいすパン?」
「ちょっとショックなんだけど!?」
「あ、そうなんだ。私好きなんだけどなぁ」
「まぁ……一ノ瀬さんが好きなら良いか……」
「良いんだ?」
一ノ瀬さんが俺の言葉をとらえ、ニヤニヤしながら尋ねてきた。誤魔化すためにカウンターから紙袋を一つ取ってきて中身を取り出す。
「ぱっ、パンを食べよっかな!? ……うぐいすパン!?」
残当に不人気パンとして売れ残っていたらしい。深夜の喫茶店で運命の再開を果たし、妙に物悲しい気分になりながらうぐいすパンと向かい合う。
深夜まで働き、それでも孤独な自分と重ねてそのまま固まってしまう。
「うぐいすパン……」
俺がそのまま口をつけずにいると、一ノ瀬さんが横からヒョイッと俺のパンを持っていって、片手で豪快に食べ始めた。
「私は好きだよ。うぐいすパン。これの良さは素朴で味が無難なこと。落ち着くよね。穴の中にチョコレートを流し込んでたり、カリカリで甘い皮があったり、他のパンみたいに個性がバチバチじゃないところも好き。見た目も、変に技巧に走って『映える』見た目にしてないところも。いいよ、うぐいすパン」
一ノ瀬さんは俺の顔を見ながらそう言った。
「……一ノ瀬さん」
「ん。何かな?」
「俺のこと、うぐいすパンだと思って話しかけてる?」
俺が真剣な表情で尋ねると、一ノ瀬さんは腹を抱えて笑い出した。
「ふはっ……そんなことないよ、ウグイスパン」
「無理やり早口で言って佐伯さんって聞こえるようにしてない!?」
「や、けど好きだし。ウグイスパン」
「うぐいすパンね」
「佐伯さん、クロワッサンは好き?」
「あ、うん。好き」
「美味しいのがあったんだよ。待っててね」
一ノ瀬さんは妙に軽い足取りでカウンターに戻り、袋をガサガサとあさり、クロワッサンを見つけ出した。
クロワッサンを2つ手にして、一ノ瀬さんは俺の向かいに座った。
「一緒に食べよ? 大好きなクロワッサンをさ」
「大好きなんて言ってたっけなぁ……」
「言ってなくてもわかるよ。音でさ」
一ノ瀬さんはそれがとても大事な営みであるかのように、ニコニコしながら俺にクロワッサンを手渡してきた。
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