自殺というパンデミック
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年5月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。ただ、実際の法律は規範と違うことを書いているかも知れませんが、それもフィクションです。
昔と違って今の時代は、
「男も女もおとなしい」
という人がいるが、本当だろうか?
確かに、以前のように、性風俗犯罪なるものがそんなにあるというものでもないような気がしている。
逆に、世の中の傾向が、
「少子高齢化」
という問題が、実際に形となって表れてきている時代においては、本来であれば、
「子供をたくさん産んで、その子が、高齢者を支える」
という時代でなければいけないのに、
「まったく子供が持てる」
などということができない時代になっているではないか。
実際に、
「少子高齢化」
というものが表面化してきたのが、昭和の末期くらいからであるから、今から、約40年となるだろう。
その間に、
「バブル崩壊」
などという問題もあり、経済が崩壊してしまったことにより、
「子供を作れる環境」
ではなくなってしまったのだ。
何といっても、バブルの崩壊によって、少子化としての深刻な問題として、
「共稼ぎ」
という問題であった。
それまでは、
「奥さんは、家で家事に勤しみ、専業主婦というのが当たり前」
という時代であった。
しかし、旦那だけの収入ではやっていくことができなくなった。会社では、
「正社員を減らして、非正規雇用を増やすことで、人件費の削減」
ということを考えるようになったので、一人の収入が、今までよりもかなり減るということになり、奥さんが、アルバイトやパートに勤しまないと、気界のやりくりができないという時代になったのだ。
そうなると、子供を作れば、昼間、子供を見てくれる身内が近くにいればいいが、それが叶わない人は、
「保育園」
であったり、
「託児所」
に預けることになるというのが現実である。
しかし、実際には、保育園の絶対数が足りない。さらには、保母さんが不足しているという問題も起こっているので、
「子供を作っても、育てられない」
ということになるだろう。
そうなると、本当であれば、子供をたくさん作らないと、平均寿命が延びていることもあって、
「労働人口が減少し、さらに、定年後の人口が一気に増える」
という悪循環から、
「死ぬまで働く」
という、地獄のような世の中になってきているのだった。
さらに、
「子供を作る」
ということを考えないようになると、今度は、
「結婚することすら、その意味がない」
ということになる。
昔のように、
「結婚して、子供を作り、子々孫々が栄えるように」
などということは、まったくなくなってしまったと言ってもいいだろう。
「結婚しても、どうせ離婚するんだ」
と考える人もいて、最初から、
「離婚ありき」
で考えている人もいることだろう。
実際に、性欲というのが減退していると言ってもいい。性欲の減退から、
「ずっと、同じ女と一生添い遂げなければいけないのか?」
などと考えると、うんざりしてくる人もいるだろう。
「同じメニューを毎日食べさせられると、そりゃあ、飽きるというものさ」
ということで、食事などは、
「毎日同じメニューんいならないように心がけているのが普通だ」
と言ってもいい。
「食欲に関しては許されるのに、どうして性欲に関して、飽きてはいけないのか?」
ということなのだ。
同じ欲なのに、食事に関しては、毎日同じものを食べさせられると飽きてくるという言い分は、しょうがないとされるのに、女に関しては、貞操を守らなければいけないというのは、倫理的なことで許されないとするのであろうか?
しかし、生理的に我慢できないというのは、食欲が証明しているのだから、女に関しても、
「飽きが来る」
ということの何が悪いというのだろう?
そういう意味で、
「結婚しない」
というのは、その人の自由なので、しょうがないと言ってもいいだろうが、さすがに、ずっと
「女を抱かない」
ということに耐えられるわけもなく、
「自由に女をあさる」
ということをする人もいる。
お金があれば、
「風俗通い」
をすればいいわけで、一夜だけのアバンチュールということで、
「出会い系」
などというスマホのアプリで、一夜限りの相手を探すという人もいるだろう。
別に自分のお金ですることなので、別に悪いことではないはずなのだが、
「世間体」
ということからか、まわりから見れば、あまりいい印象はないだろう。
だから、本人もまわりに知られたくないということで隠そうとするし、まわりは、それを知ると、それまでとは明らかに違う態度で接してくるかも知れない。
そうなると、せっかくの友達としての関係が崩れてしまうことになるだろう。
しかし、それも、お互いに他人だということで、かかわりを持たなければそれで済むというだけのことである。
「また別の友達を空くればいいや」
ということで、友情などあったものではないと言ってもいいかも知れない。
ただ。これが、もっと身近な関係の人であればどうだろう?
「縁を切ればそれでいい」
というわけにもいかない場合もあったりする。
「何とか辞めさせないと」
ということで、家族や親せきに、とっては、他人事で済まされる問題ではなくなってしまうのである。
ただ、今の時代は、家族や親せきであっても、
「もうあいつは他人だ」
ということで、説得すらしようとは思わない人もいる。
今はそれだけ、親子関係でも、凍り付いてしまったのか、
「それが当たり前」
ということである。
それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、少なくとも、
「人とのかかわり」
特に親子関係でも、大きな社会問題になっていることから、
「親子関係って何なんだ?」
ということになるのだ。
社会問題としてよく言われるのが、
「児童虐待」
ということである。
親が、
「教育、しつけの一環」
ということで、子供への虐待を繰り返している。
要するに、
「教育やしつけ」
ということにこじつけた、
「自分のストレス解消以外の何物でもない」
ということになるのだ。
確かに今の時代は、どこでどのようなストレスを感じさせることが起こっているか分からない。
それだけ、
「他人がどう感じるか?」
ということを考えない人が多くなったということで、その傾向は、
「プライバシー保護」
という問題から巻き起こっているのかも知れない。
特に、パソコンやネットの普及などによって、
「個人情報の流出」
などという問題が起こってきた。
「銀行のパスワードを盗まれる」
あるいは、会社が保存している顧客データを、コンピュータウイルスなどによって盗まれるということが起こると、個人情報保護という問題が大きくクローズアップされてきた。
さらに、同じくらいの時期から起こってきた、
「ストーカー問題」
というものも深刻で、
「好きになった相手を、自分のものにしてしまいたい」
という発想や、
「すでに、自分のものなんだ」
という妄想がひどくなり、相手に嫌がらせを繰り返したりする輩が増えてきた。
そういう連中は、
「相手も自分のことが好きなんだ」
と思い込んでいたりするから厄介で、相手は、嫌がっていても、それを嫌がっているとは思わずに、
「ただ恥ずかしがっているだけだ」
と勝手に都合よく判断することで、あくまでも、自分を正当化させようと考えるのであった。
なぜ、急にそんな連中が増えてきたのか分からない。ストーカーと呼ばれる連中が、
「精神疾患を患っている」
と言い切れるかどうかも難しいところで、
「正常ではない」
といえるのだろうが、それを、
「病気だ」
ということで片付けられるのだろうか?
ストーカー行為をした」
というだけで、強制的に、神経内科に連れていって、検査をするなどということが簡単にできるわけもない。
非常に難しい解釈だと言ってもいいだろう。
実際に、
「他人は他人」
ということで、家族であっても、一度他人だと思えば、かかわりたくないと思うようになってもそれは不思議なことではなく、中には、
「育児を放棄する親」
というのもいたりするだろう。
そもそも、家族を
「ペットか何か」
と勘違いしている人もいるかも知れない。
だから、
「教育やしつけ」
と称して、自分のストレス解消の肴に使うという人が多いということだ。
さすがに、ペットのように、
「いらなくなったから捨てる」
というわけにもいかないと思っている人は多いだろうが、本当に捨てる人も若干名いるのだ。
「だったら、最初からいない方がいい」
というのも、当たり前に考えることで、社会や政府が、
「少子高齢化を防ぐため」
ということで、予算を組んで、
「子供が持てるような環境を」
と言っても、それは、
「時すでに遅し」
ということである。
これを、
「少子高齢化問題」
というものが言われ始めた平成初期の、
「保育園不足」
という問題の時であれば、まだまだ人と心もここまで腐っていなかっただろうから、保育園問題さえ何とかなれば、ここまでひどい状況にならなかったかも知れない。
今のように、
「草食系男子」
というものが増えてきた時代であれば、
「性犯罪も減ってくるのではないか?」
と思えるがどうであろうか?
実際には、
「減ってきている」
と言われているようだが、自裁にはどうだろうか?
特に、
「性犯罪などというのは、再犯率が高い」
ということも言われているので、一概には言えない。
しかも、ストーカー殺人などが減っているという様子もなく、毎日のように、新聞やニュースを騒がせているではないか。
目に見えて減っているわけではないので、数字だけで答えが出るわけではないと言ってもいいだろう。
ただ、中には、
「こんなことで?」
と思うようなことから自殺を試みるという人もいるようで、ただ昔と違って、
「精神疾患を患っている」
という人が、
「自傷行為」
というものを繰り返したり、
「自殺未遂の常習犯」
という人もいるだろう。
難しいところとして、
「精神疾患」
と呼ばれる人は、かなりの数の薬を毎日服用しなければいけないということで、その副作用も大きな問題となっているかも知れない。
それによって、
「自傷行為を繰り返す」
という人もいるだろう。
特に、精神疾患というのは、まだまだ解明されていないことも多いといえるだろうし、何といっても、時代の変化とともに、新しい精神疾患というのが生まれてこないとも限らない。
つまりは、
「病気も進化する」
と言ってもいいのかも知れない。
これはまるで。
「ウイルスが、変異して、強力になっていく」
というのと同じで、病気もウイルスのようなものだと考えれば、薬に負けないように進化しているともいえ、そうなると、それこそ、コンピュータウイルスで言われたように、
「駆除ソフトの間で、いたちごっこが繰り返される」
と言ってもいいだろう。
自殺する人も絶えないと言われるようだが、自分のまわりで、実際に自殺をしたというのは、そんなにいないような気がする。
そういえば、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
というものがあったのを思い出される。
ここ2年くらいで、だいぶ収まってきたが、まったくなくなったわけではないので、油断は禁物であるが、すでに、ニュースでも話題にならないことから、
「完全に終わった」
という意識の人がほとんどであろう。
ただ、実際に、
「パンデミック」
と言われた時代は、ひどいもので、
「県内で、毎日のように数万人の感染者が報告される」
というような事態になっていたのだ。
もちろん、県内の人口を考えると、
「大体、五百万人」
と言われているようだ。
そのうちに、ピーク時には、
「毎日二万人くらいの新規感染者が発生している」
と言われていた。
そうなると、単純計算でいけば、
「250日で、全員が感染したことになる」
ということであった。
今では、
「一度罹った人でも、何度も罹る人はいる」
ということが言われているが、当時は、
「免疫ができることで、二度は罹らない」
と言われていた。
しかし、
「ウイルスというものは、変異して、まったく別のものに変わる」
ということであることから、
「別の型のウイルスに感染」
ということは十分にありえることで、しかも、
「変異を繰り返すたびに、その慣性力は強くなってくる」
ということになれば、
「パンデミックの間に、3回罹った」
という人も結構いたりするのであった。
とはいえ、毎日のように、二万人近くが感染していれば、
「県民のほとんどは、一度は感染していて不思議はない」
と言われた時期、
「自分のまわりには、感染者が一人もいない」
という人も結構いたもおのだった。
だから、
「これだけ流行っていると世間では言われているけど、本当にそうなんだろうか?」
という人もいる。
考えれば伝染病なのだから、
「患者が出たところでは、ほとんどの人が罹る」
と考えると、
「罹るところでは、ほぼ全員が感染することになるが、流行っていないところでは、誰も罹らない」
というような、
「極端な分布図ができあがる」
ということになるのだろう。
だが、それはあくまでも、
「注意をしているから、今まで罹った人がいない」
ということであったが、感染力がピークの状態となれば、
「罹る人がいない」
という状態は、
「運がよかった」
としか言いようがないと言ってもいいだろう。
そういう意味で、
「まわりに罹ったという人がいない」
というのは、どこまで信憑性があるのか分からないが、実際には一定数いると聞くので、これも不思議な、まるで、
「都市伝説のようだ」
と言ってもいいのかも知れない。
実際にパンデミックが起こってから、自殺者が増えたと言われているが、実際に、そこまで体感的に感じることはない。
確かに、パンデミックの間に行われた、
「休業要請」
であったり、
「リモートワーク」
などによる人流抑制のための対策ということで、
「緊急事態宣言」
なるものがあり、飲食店を中心とした店舗が、大きな被害を受けると言われていたが、実際に、緊急時代宣言が終わった後、
「店舗の閉店」
というのが、軒並みだった。
しかし、実際に自殺をしたという話も聞かない。ただ聴かないというだけなのかも知れないが、いわゆる自殺というとパッと思い浮かぶこととして、
「電車への飛び込み自殺」
というものであった。
いわゆる、
「人身事故」
というものだが、以前から、
「人身事故のほとんどは、飛び込み自殺」
と言われていて、実際に考えれば、1990年代は、非常に多かったという記憶があるのだった。
この時期というのは、いわゆるm
「バブル崩壊時期」
ということで、人身事故は、もろにそのバブル崩壊の影響だったのではないか?
そう考えると、その頃は辻褄が合うわけだが、今回のパンデミックの時期によって、そこまで人身事故が多いという感覚はない。
何しろ、バブル崩壊の時期は、
「週に何回も、人身事故で電車が運転見合わせるということが日常茶飯事のように起こっていた」
と言ってもいいだろう。
さすがに、
「またか」
ということで、慣れっこになってしまったかのようだったが、今では、その時の、
「またか」
という思いと、たまに起こった場合の憤りというものが、同時に感じさせられるということで、複雑な思いが、却って感覚をマヒさせるという、おかしな現象になっているように思えてならなかった。
実際に、自殺というものをどう考えるかであるが、確かに、
「他人事だ」
と世間を、そういう目でしか見ない人にとっては、
「しょうがかい」
ということで、冷静に見ていることだろう。
だから、電車が遅れても、誰も駅員に文句を言おうとはしない。
しかし、実際に迷惑をこうむっているのは、利用者である乗客のはずなのに、誰も文句を言わないというのは、
「言ってもしょうがない」
という、ただの諦めの心境からだと言ってもいい。
ただ、それが、
「本当に怒っていないのか?」
と考えた時、果たしてどっちなのか、人身事故が起こった時、絶えず駅員に文句をいう人から見れば、文句を言わない人を見るに堪えないと思うのだ。
「本当は起こっているのだが、かかわりたくないから、言いたい人にいわせておけばいい」
という、他力本願的な考えなのか。
それとも、
「別に怒りを感じない」
というような、
「聖人君子」
を決め込んでいる人なのか?
ということを考えると、普段文句を言っている人間からすれば、
「聖人君子などという人間が、本当にいるのだろうか?」
と思えるのだ。
確かに、これだけたくさんの人がいれば、一人や二人は、聖人君子のように、本当に怒りを感じないという人もいるかも知れない。
しかし、
「普通の人間だったら、自分が何も悪いことをしていないのに、被害を被るのだから、怒って当たり前だ」
と思わないのだろうか?
それが不思議で仕方がない。
「起こっただけで、損だ」
と思う人もいるだろう。
ただ、逆に、
「余計なストレスをためることになる」
ということで、怒りの矛先を、
「向けられるべき相手である鉄道会社の職員に向けてもいい」
と思ってもいいのではないだろうか?
ただ、
「いやいや、鉄道会社の人も被害者だから」
と思っている人がいるとすれば、それはどうなのだろう?
もし、これが、銀行などの、ATMトラブルだったとすれば、
「しょうがない」
で済ませられるというのか?
「今日振り込まないと、不当たりになる」
というところもあるだろうし、大きな問題になることは必至だと言ってもいい。
銀行職員は、苦情処理に追われ、コールセンターでは、苦情の電話がひっきりなしということになるだろう。
電話などで相手の顔が見えないとなると、苦情も言い放題と考える人だっているであろう。
「電車が遅れたくらい、自分にはさほどの問題ではない」
ということで、文句を言わないのかも知れないが、結局は、すべてが、
「自分には関係ない」
というところからきている発想なのだろう。
もっとも、自殺をするのに、
「どうして飛び込み自殺にするということなのだろうか?」
もし、残された人のことを考えるのであれば、
「飛び込み自殺だけは、ありえない」
といえるのではないだろうか?
なぜなら、鉄道法で、
「電車の走行を妨げると、賠償金を課せられる」
ということになっているからだ。
この場合は、
「止めた人間が死んだ」
と言っても、免れることではない。
家族にその賠償が求められ、しかも、これは法律で決まっていることなので、下手をすれば、サラ金よりも、やくざよりもたちが悪く、
「血も涙もない」
という状況になるだろう。
下手をすれば、
「身を売ってでも」
ということが当たり前と言ってもいいかも知れない。
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