君と恋する、世界は滅亡する。
尽狼 助
序章
その日は、中学校の卒業式だった。
式が終わり、胸元に造花のコサージュを付けた卒業生たちが次々と校門前に出ていく。その中の多くの者は目に涙を浮かべていた。三年間苦楽を共にした友との別れを惜しむ者、泣きじゃくる後輩に後を託す者、目障りだと思っていた教師に今だけの本音を告げる者。別れの日だけに現れる悲喜交々の純真な思いが飛び交うそんな日に、この図書室だけは外界から切り取られたように静寂を保っていた。
それは人が居ないからではない。人なら居る。二名。二人共他の卒業生たちと同じ様に胸元にコサージュを付けていることから、彼女達もまた卒業生であることが推察できる。
何故こんな日に図書室へ?
もし、この光景を目撃した者が居るならばそう問いかけたであろう。そしてその問いはここに居る二人も互いにそう思っているのかもしれなかった。
しかしながら、二人は互いに不干渉だった。今までの三年間がずっとそうであったように。
――静かだった。
ページを捲る音、外界の喧騒、起動されたコンピューターの僅かな機械音、それら全てが静寂に馴染んでいった。
一人の少女は特徴がなかった。これと言って、全く。強いて言うならば、髪が短く切り揃えられている。髪の短い少女は図書室の入口から最も離れた窓際の席に座り、薄くて文庫本よりも幅広い絵本を読んでいた。一般的な人間ならば誰もが知っている、猫が主人公の、あの絵本だ。
一体この少女にどのような事情があるのかは定かではない。しかし、その本はわざわざこんな日に読むような本ではないことは確かだった。
もう一人の少女もこれと言って特徴がなかった。同じ様に強いて言うならば、眼鏡をかけている、如何にも文学的少女といった風貌の少女であった。
眼鏡をかけた少女は本を貸し出すためのカウンターの内側に座っている。そこは本来であれば図書委員と、ボランティアとして校内に立ち入ることが許可されている保護者しか座ってはいけない席であったが、彼女は“図書委員”と書かれた腕章を付けており、その腕章が卒業式の今日までは着用している彼女が図書委員であることを主張している。
そして幾ばくかの時が経った。
それだけの時間が経つと、もう校外に居た生徒達はそれぞれの行くべき場所へと旅立っていったようで、最早学校の敷地内には職員室に残された教師達と、この図書室に居る二人しか存在していなかった。
それから程なくして髪の短い少女が立ち上がる。短い絵本だ、きっと十周……いや、彼女が適当に読んでいれば二十周はしたであろうそれを、元あった場所と寸分たがわぬ位置に戻した。そして、髪の短い少女は図書室の出口へと向かう。
「あの、すみません」
その時、初めて沈黙が破られた。
声をかけたのは、眼鏡をかけた少女のほうだった。
「はい?」
カウンターの横を通ろうとした髪の短い少女は足を止めた。顔には出さなかったが、もしかしたら期待していたのかもしれない。眼鏡をかけた彼女に声をかけられることに。
三年間。
それを冗長な人生の内の僅かな時間とみるか、輝かしい青春の内の長い期間と見るかは人それぞれであるが、とにかくそれだけの時間彼女たちは図書委員とその利用者という関係を貫いてきた。そこに一切の交流はなかったが、互いのことは認識していた。その関係の最後の時、そこに熱い、友情然とした何かがあることを、髪の短い少女は無意識の内に願っていたのかもしれない。
再び沈黙が流れる。その間の静寂は、先ほどとは打って変わって騒がしい。言葉の先を促す間。言葉の先を待つ間。それが静かなものであるはずがない。
チクタクと壁に掛けられた時計が時を刻む中で、ようやく眼鏡をかけた彼女は口を開いた。
「付き合ってください」
「え」
髪の短い少女が答えられたのは、「え」という一文字だけだった。
彼女の言ってる意味が分からなかった。
何て?
「すみません、よく聞こえなかったのでもう一度お願いします」
「付き合ってください」
何て?
付き合ってください、そう聞こえた。二度も聞いたのだ、間違いない。
だがおかしい、そんなはずはない。付き合う、つまり恋愛関係に至るということは、それほどの友好関係を積み上げた先にあるものだ。その点彼女たちはどうだろう。三年間顔を合わせたとはいえ、所詮はただの顔見知り。会話など、今この時初めて交わした。お互いのことなど露ほども知らない。そんな彼女たちが恋愛関係に至るはずもない。
――だが、待て。まだ解釈の余地はある。
彼女は付き合ってください、と言っただけだ。付き合うという言葉には、恋人として交際しましょうという意味合いとは別の意味をも持つ言葉でもある。
そう、例えば。彼女が言葉足らずだっただけで、買い物に付き合うといった意味なのかもしれない。それでもいくつかの段階を飛ばしている気はするが、恋人になりましょうよりかはまだマシだ。髪の短い少女はそう思い、聞いてみることにした。
「付き合うって、何処にですか?」
「あぁ、すいません。説明不足でしたね。付き合うというのは恋人になりましょうという意味であって、何処か特定の場所に行きましょうなどという意味ではありません」
完全に逃げ道を潰された。解釈の余地などなかった。
なるほど、と髪の短い少女は思った。これはアレだ、罰ゲームかなにかだろう、と。
恐らくだが、人と馴れ合うことを苦手とする性分が祟ってしまったらしい。常に本ばかり読んでいる日陰者の私をからかうために、私のことを知っている人間がこの眼鏡をかけた少女を脅したのだ。何たる卑劣。断じて許せはしない行為だ。髪の短い少女は憤りつつ、眼鏡をかけた少女の表情を伺った。
その顔は、真剣そのものだった。
口を引き結び、まばたきを多くしている様子からは緊張していることが読み取れる。瞳孔の大きくなった目からは彼女の真摯な気持ちが伝わって来た。果たして他人に言わされているだけの人間に、このような表情ができるだろうか? 答えは否だ。
髪の短い少女は遂に観念し、認めた。眼鏡をかけた彼女は本気で愛の告白をしているのだ。だから、答えなければならない。彼女の真摯な様子と同じ様に、自身もまた、真摯な気持ちで。
彼女と初めて会ったのは何時だっただろう? きっと、図書室が開放された、その日からだ。その時には面識すらもなかったかもしれない。しかし、彼女達は出会っていたのだ。極めて必然的に。そして静かで確かな時間をこの図書室という場所で過ごしたのだ。
答えは既に決まっていた。あとは声に出すだけだ。
髪の短い少女は意を決して口を開いた。
「ごめんなさい」
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