第7話波の向こうで
風がそっと頬をなでるような午後だった。
堤防の上に立つと、遠くの水面が陽を受けて、ゆるやかにきらめいている。
彼は静かに竿を構え、そのまま堤防の端に腰を下ろした。
今日は、少し長くここにいたいと思った。
家に戻っても音がない。ただの静けさじゃない。冷たくて、乾いている。
リールを巻く彼女の姿が、視界の端に入る。
あの日と同じキャップに、少し色あせたパーカー。気取らず、波と向き合うその姿に、妙な落ち着きを感じる。
「今日は、風が強いですね」
彼女がそう言って笑った。
うなずきながら、彼も笑みを浮かべる。無理のない笑いだった。
「渋いですか?釣果は」
「うん、まあ、いつも通り」
会話はぽつぽつと、間を置きながら交わされる。
釣れる魚の話、道具の話、最近の天気の話。
深く踏み込むわけでもなく、ただ互いに同じ方向を見ながら、似たテンポで過ごしていた。
しばらく沈黙が続いた。
風が彼女の髪を少しだけ揺らし、足元を波音が優しく撫でていく。
その静けさの中に、ふと気づく。
隣に人がいるというだけで、どこか心がまるくなるのだ、と。
「私も、ひとりの時間が好きです」
彼女がぽつりとつぶやいた。
「でも、こうやって誰かと並んでいても、ちゃんと静かなら、それもいいなって最近思います」
彼は何も言わず、竿の先を見つめていた。
返す言葉を探したわけではない。ただ、波の向こうに、何かが少しずつほどけていくような気がした。
陽が傾いて、海の色がゆっくりと深まっていく。
ふたりの影が堤防に細くのびて、重なって、また離れていた。
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