白色の大地

尾だけの猫

プロローグ "灰燼の果てに"


一九三九年――

人類は、二度目の過ちを犯した。


ニューヨークから水面を伝う波紋のように、世界に恐慌が襲った。


そんな中、ハイパーインフレーションと戦争責任に打ちひしがれていたドイツの民衆は、ひとりの男アドルフ・ヒトラーに未来を見た。

カリスマと演説。

それは停滞していたドイツの民衆を動かした。

統制と国家主義ファシズム

それはドイツの民主主義の終焉を表した。


やがてヒトラーの台頭はヨーロッパ全土をのみ込む鉄の嵐へと変わる。


独ソ不可侵条約モロトフ=リッベントロップ協定を結んだヒトラーはついに一線を超える。


ポーランド侵攻。

花の都パリの無血開城。

ベネルクスを蹂躙した、史上最速の電撃戦。


ベルサイユ体制は音を立てて崩壊その後、

世界は再び、戦火の渦に呑まれていく――。


一九四一年

ソ連は灰色の波に飲まれた。

不可侵条約を破ったドイツによる宣戦布告無しの電撃戦である。


レニングラード、スターリングラードは陥落し、

ついに10月、戦争の天才ナポレオンですらたどり着けなかったモスクワが、陥ちた。


翌十一月、ソビエト連邦は無条件降伏。

スターリンは敗戦責任や、戦争犯罪、トロツキストなどによる追求により、粛清される。

最高権力者無きソビエト共産党は反動派、無政府主義者、自由主義者に三分されて内戦へ突入。

その果てに、ソ連という国家は歴史の闇に消えた。


だが、破壊は終わらない。


ドイツの救世主アドルフ・ヒトラーは再び西を睨み、

太平洋では大日本帝国が資源地帯東南アジアを制圧。

かつて"世界の工場"を誇ったアメリカとイギリスを、徐々に追い詰めていった。


そして―― 一九四四年。


ドイツが開発した最新兵器核爆弾が、ホノルルの空を裂く。

核の閃光は真珠湾を吹き飛ばし、アメリカはついに膝をついた。

太平洋から撤退を余儀なくされ、世界は枢軸国による"新秩序"のもとに再編された。


地図は塗り替えられた。

そうして何千万もの犠牲を出し、平和は訪れた


――表向きは。


しかし、表面張力のような平穏の下、

三つの帝国は冷たい火花を散らしていた。


大亜細亜の盟主・大日本帝国


ヨーロッパの覇王・ナチス・ドイツ


自由と資本主義の砦・アメリカ合衆国



冷戦――否、"冷たい帝国戦争"が始まる。

そしてその冷気は、大地に歪みをもたらした。


彼、セルゲイ・スモレンスキーが生まれたのは、モスクワが陥落した直後。

一九四一年十二月。


戦争は終わった――はずだった。

だが、ロシアの大地は焼け焦げ、荒廃したままだった。

人々は飢え、凍え、ただ"生きる"ことにしがみついていた。


モスクワ郊外の小村。

農業を営んでいた両親は、敗戦後のドイツの支配を逃れてシベリアへと移住した。

最後の拠り所は、中央部に住む祖父だけ。


だが、逃げ場などどこにもなかった。

"戦争"は、どこにでもあったのだから。


反政府軍と、元ソ連派閥と、新興軍閥が繰り返す小競り合い。

その中で、彼の両親は死んだ。

まだ五歳だった。


祖父もやがて病に倒れ、

彼は、完全にひとりになった。


凍てついた街路をさまよい、

物乞いと盗みで命を繋ぐ。

飢えと寒さの中で、泣くことも、笑うことも忘れた。

考えるのは、"今日を生きる"ことだけ。


十三歳のある日。

彼は小さな"軍閥"に拾われた。


「役に立てば、食わせてやる」


それが、たった一人戦争孤児の少年が得た最初の仕事だった。


弾薬を運び、武器を磨き、

そして――銃を手に取るようになる。


最初は手が震えた。

引き金を絞るたび、胃の奥がきしんだ。

だが、人間は慣れる。

やがて感情は、土に染み込んだ血のように消えていった。


「なぜ、同じロシア人同士で殺し合うのか」


そんな問いを持つ暇はなかった。

銃を持たなければ、死ぬ。

殺さなければ、殺される。


滅ぼし、滅ぼされる。


それが、セルゲイの生きてきた"戦後"だった。


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