第2話

 日本のテレビは、個人視聴率がぐんぐん下がり、今や、定額制ストリーミングサービスである、「Nサービス」が、時代の流れを作っていた。

 そこに目を付けた一人の男がいた。

 プロレスラー、野口正美のぐちまさみである。

 彼は、選手兼プロモーターとして、数々の名試合を作ってきた。

 その中には、彼自らが戦ったものもある。

 総合格闘技が、メジャーになったことにより、下火になっていたプロレスを、再び表舞台にあげた立役者だ。

 身長190㎝。

 体重112㎏。

 彼は勝つためなら手段を選ばないことで知られていた。

 策略に長けている。

 野口はスーツを着ていた。

 そこから見ても彼の、肉は厚い。

 赤いネクタイをしている。

 鋭く、刺すような目つきをしていた。

 「Nサービス」を運営する、日本支部の中岡は、その威圧感に押されている。

「初めまして、野口さん。」

 野口と中岡は、カフェで会っていた。

「あんたが、中岡さんか。」

 声がつぶれていた。

 太い声だった。

 中岡は、野口の一挙手一投足に、見とれていた。

「は、はい。」

「俺の新しい企画をあんたのところでやりたいんだ。」

「どういった企画でしょう。」

「突破王だ。」

「突破王?」

「ああ、ある一人の選手が、5人か6人を勝ち抜いて、最終的に、分厚い壁を突破するってやつよ。」

「その分厚い壁と言うのは?」

「この俺だ。」

「え?」

「この野口正美のぐちまさみだよ。」

「はあ。」

 中岡は息を呑んでいた。

「その5人、6人は誰が用意するんですか?」

「俺だよ。もちろんプロレスラーだけじゃないぞ。ボクサーや柔道家、サンボ、ムエタイ、何かからも用意する。その一人と言うのは、実はもう決めてあるんだ。」

「誰ですか?」

「河野光だ。」

「総合格闘家のですか?」

「ああ。」

「彼と会ったことあるんですか?」

「ない。これから会う。」

 野口はきっぱりと言った。

 河野はジムでスパーリングを行っていたが、いまいちパンチに身が入っていなかった。

 ボクシンググローブを付けて、ワンツーを打つ。

 練習パートナーは、打撃を受けるので必死であったが、トレーナーであり、オーナーである、大竹は、河野の不調を見抜いていた。

「河野、練習に身が入ってねえんじゃねえか?仕事が忙しいは言い訳にならねえぞ。」

「すいません。」

「柳川に負けてからだな。お前が練習に顔を出さなくなったのは。」

 河野は何も言えなかった。

 ここ数日、河野は狂ったように仕事を増やし、狂ったように女を抱いた。

 大竹の鋭い眼光は、河野が何も言わずとも、それを感じ取っている。

 すると、若い男が、大竹の元に近づいた。

「事務所に、野口さんが来ています。」

「野口さんが?」

 大竹は、野口が待つ事務所に向かった。

 事務所のドアを開けると、そこに、ソファーに深く沈んでいる、野口の姿があった。

「久々だな。大竹おおたけ。」

「アポもなしにいきなり何の用ですか?」

「あそこの、河野いるよな。」

 野口はいきなり本題に入った。

「河野がどうかしたんですか?」

「あいつを、俺の新しい企画に起用しようと思うんだ。」

「河野をですか?河野じゃなくても、そこの、八木とかでもいいんじゃないですか?」

 八木は、河野の後輩で、河野と同じ階級の、14位であった。

 野口には、お願いと言うものが存在しない。

 あるのは、「命令」だけだ。

 そのおかげで、自分が立ち上げた、武蔵むさしプロレスをクーデターされたにもかかわらず、その教訓を生かしていなかった。

 自己中心的な人間である。

 大竹は嫌な顔をしながらも、野口の命令に従わざる負えなかった。

 逆らえば、何をされるか分からない。

「河野を貸すのを、いいのか、よくねえのか、どっちなんだって聞いてんだ!」

 野口は、テーブルに拳を置いた。

 どん、という音が鳴る。

 重みのある拳だった。

 声を荒げずとも、その言葉に重みがあったのだ。

「構いません。」

 大竹は、野口の要求に応じた。

 長谷川は、練習を終え家に帰る。

「おかえりなさい。」

 出迎えたのは、妻の、明美あけみであった。

 高校時代からの付き合いで、長谷川を支え続けてきた。

 そして、娘の、詩織しおり

 長谷川は、どれだけ疲れていようと、家族サービスは欠かさなかった。

 妻の作る手料理を、15年間、毎日褒め続ける。

 心を込めて言うのだ。

 それが、試合の勝利につながると、長谷川は本気で信じていた。

 長谷川は、風呂に入り、そして、寝ようとした。

 すると、一本の電話がかかってきた。

 知らない番号。

 基本的には、いたずら電話や、営業の電話だが、長谷川は出ることにした。

「もしもし?」

「おう、初めましてだな。長谷川。」

 長谷川は、驚いた。

 会ったことはないが、何度も聞いたことのある声だからだ。

 声の主は、野口正美だった。

「何で、野口さんが私の番号を?」

「そんなこたあ、どうだっていいじゃねえか。それよりよ、今度、武蔵プロレスの主催で、突破王って、企画やるんだが、お前にも出てもらいたい。どうだ?」

 豪胆な男だ。

 彼には、お願いと言うことが存在しないのだと、噂通りだ。

 しかし、悪い気はしなかった。

 本来なら、口もきけないような存在なのだ。

 生まれたときには、すでに、雲の上の存在だった。

 そのような男が、わざわざ、命令しているのだ。

 何の企画かも、聞かされていないが、長谷川は答えた。

「スケジュールが合えば、構いません。」

「そうか。じゃあ、明日、武蔵プロレスの本社に来てくれ。」

「分かりました。」

 野口は電話を切った。

 妻が、長谷川に聞いた。

「今の電話誰だったの?」

「野口正美からだ。」

 格闘技に疎い、妻は、名前を聞いて、長谷川に問い詰めた。

「随分、声の太い女なのね。」

「何言ってんだ。男だよ。プロレスラーだよ。」

「ふーん。」

 疑いの口調の、妻に、長谷川は写真を見せた。

「随分、怖そうな人ね。」

「そうだよな。多分、今度の企画も、俺の実力を見込んでのことだと思う。」

「え?」

「ガチンコだよ。」

「ガチンコ?」

「本気で戦うってことさ。」

「でも、試合終わったばかりじゃない。それに、また今度試合あるんでしょ?」

「おい、おい、俺はボクサーだぞ?戦うのが仕事なんだ。」

 妻は、何か、危険を察知したのだ。

 試合の時には明るく、送り出す妻だが、反応は良いものではなかった。

「いつも言うけど、無茶しないでね。」

 寝室で3人仲良く、床に就いた。

 

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