ショッピングモール■■川店、二階通路
丘ノトカ
第1話 淀川柊
眉の下がった新人スタッフの
「店長……」
足を緩めると、しおらしい様子で話しかけられた。
「あのぉ~、さっきお客さまが来られて、買われた商品を返品したいとのことで……」
「そう。大丈夫だった?」
「あ、
カウンターの上にストライプ模様のシャツとレシートが置いてあった。連休中によく売れた商品だ。
「その、匂いが取れそうになくて……」
「あー……」
店内に客の姿はない。服に顔を近づけるまでもなく、香水のきつい匂いがしている。
「仕方ないね。本社に返品するから明細書いておいて」
「わかりました~」
カウンターで会話していると、
「菊池さん、休憩行ってきていいよ」
「は~い」
休憩に入ろうとする菊池を、関が呼び止めた。カウンターに置いたままにしてある商品を手に、何事か話している。淀川は誰もいない店頭に立った。
しばらくすると、関がカウンターに戻ってくるのが見えた。奥にあるストックルームから菊池が出てきて、店の前を通り過ぎる。じろじろと店内を見回して首を傾げていた。
「大丈夫だった?」
「はい。休憩から戻ったら、菊池さんに返品のやり方教えますね」
関は顔を上げると、淡々と答えた。大きな瞳を強調するようなカラコンに、ブリーチした金色のロングヘアからは想像がつかない、落ち着いた声だ。淀川に次いで在職歴の長い、頼りになる同僚だった。
「ありがとう。菊池さん、なにかあったの?」
「いや、なんもないっすよ」
店内に人がいないのを見て、関は軽い口調で言った。
「なんでですか?」
「ううん。店の中、気にしてたみたいだったから……」
菊池は入ってきて二週間ほどで、やっとレジを覚えたばかりだ。客あたりはよかったが、まだ慣れていない業務も多かった。それはいいとしても、時々店頭で妙な顔つきをしていることがある。
「あーあれじゃないっすかね。連休中に万引き連続でやられたから」
「ああ……それで?」
「菊池さんが店頭に立ってるときだったから、気にしてるんですよ。仕方ないって言ったんですけど」
確かに先週の万引きはひどかった。値段の高い商品ばかり狙って一気にとられたのだ。しかも、短期間に二回続けてだった。
淀川たちのようなベテランがいる時や、店頭に人数が揃っている時はやらない。決まって、店が客で繁盛して、目の届かない時にやるのだ。
「やっぱり、狙われてるのかな……」
先々月に一人辞めてから、スタッフの補充はなかった。連休中は他店からヘルプに来てもらって乗り切ったが、そもそも人手は足りていない。
「まーしょうがないっすよ。スタッフが手薄なのはわたしたちのせいじゃないですし。これ以上万引きが続くようなら本社も危機感もってくれるんじゃないですか」
「ほんとにそう思う?」
「いや、思わないっすけど」
即座に関から帰ってきた言葉に、淀川は吹き出した。
「ま、それは冗談ですけど。大胆になってますよね」
「そうだね……」
万引きをする時、普通はばれないようにやるのではないか。例えば、試着室に大量の商品を持ち込んで、そのうちの一点だけを盗む。あるいは大きな鞄やカートを引いて死角に入り、商品を見る振りをして盗むなどはよくある手口だった。
しかし、今回の犯人は目立つ商品ばかり、まるで嘲笑うかのように店のあちこちから盗んでいる。
「ゲーム感覚なのかなぁ……」
「菊池さん、特に二回目は気をつけてたから悔しかったみたいですよ。幽霊でもいるんじゃないかって」
「えーやめてよ」
淀川は言ってから、ふと関の顔を見た。
関桃子には霊感があるのだ。本人は冗談半分に口にするが、普段そんなことを言わない性格なので淀川は少し信じている。
「……まさか、本当に?」
「いえ、万引き犯は幽霊じゃないっすよ。だって人間の服なんか盗っても仕方ないじゃないですか。着れないし、売れないし」
「まぁそっか」
関は真顔で言った。淀川は誤魔化すように、乱れてもいない服を畳みなおした。
「あ! でもさ、生前に服が好きだった幽霊なら欲しくなって盗ることもあるんじゃない? 心残りがあるから幽霊になってるんだし」
「店長、それガチで言ってます?」
淀川は自分でも変なことを言っていると思った。それに、と関は続ける。
「生きてる人間がやるから怖いんじゃないですか」
「それは、そう」
万引きも、香水のついた服を平気で返品するのも、突然店に入って来て怒鳴るのも、用もないのに試着室の前でじっとしているのも、全部人間がやることだ。しかも、普段はみんな何食わぬ顔をして暮らしているのだ。
「あ、でもさーこの間、関さんが言ってた幽霊、わたしも見たかも」
「え?」
淀川が言うと、関は半笑いで首を傾げた。
「ほら、あそこのエスカレーター、ずっと同じ人が登ったり下りたりしてるって言ってたじゃない? 髪の長い女の人」
客が入ってこないのをいいことに、淀川は喋り続けた。先ほど店に戻るときに降りてきたエスカレーターは、登りと下りが並んでいるタイプで、ちょうど店から見える位置にある。
「あー……あれですか。でも、幽霊か人間かわかんないすよ」
関はようやく合点がいったように頷いた。
「ううん、幽霊だと思う。この間、忘れ物を受付カウンターに届けに行った時に見たんだよね。関さんが言ってたとおり、エスカレーターで降りて、また上がってくるところだったの。わたしは降りていくときにすれ違ったんだけど……顔がなかった」
淀川はその時のことを思い出すと、未だに気味が悪かった。
エスカレーターは吹き抜けの広い催事スペースに繋がっていて、頭上からは天窓の明るい日差しに加え、いくつもの照明が降り注いでいる。陰になる場所はなかった。
すれ違う瞬間、淀川は横目で女の顔あたりを見た。そこには何もなかった。のっぺらぼうのようにぼんやりした肌色の塊が覗いていた。
「へー……」
「もー信じてないでしょ。関さんが先に言い出したんだからね」
「信じます信じます」
淀川が文句を言うと、関は笑った。カウンターでの用事が終わったのか、店頭に出てきて、棚を挟んだ淀川の向かいに立つ。ふわりと花のような香りに混じって、煙草の匂いがした。
「今日はいないすね」
関は取りなすようにエレベーターの方を見ながら言った。馴染みの店員が休んでいる、とでも言うような口調だ。
「関さんはさぁ、怖くないの?」
淀川は幽霊を見たのはほとんど初めてだった。一度、学生時代に心霊写真が撮れて大騒ぎしたことがあったが、今思うと集団ヒステリーの部類だったような気がする。
たった一度だけでもぞっとしたのに、日常的に幽霊が見えていたらどんな気分なのだろう。
「他人も幽霊も変わらなくないですか?」
「えーそうかなぁ」
「連休中とか、ここめちゃくちゃ人通るじゃないですか。たまに目が合うんですけど、それが人間なのか幽霊なのか、正直わかんないすよ。大事なのはやばいかやばくないかだから」
関は珍しく力説した。
今は人気のない通路を眺めながら、淀川は頷いた。関はよく知らない人に絡まれている。一度は唐突に店に入ってきた男に連絡先を聞かれていた。また、買い物をするわけでもない女の話を二時間も聞いていたこともある。
「でも、わたし嫌いじゃないんだよね。お化けが混じってもわかんないくらいの魑魅魍魎感」
「ちみもうりょうかん」
関はピンと来てない様子で繰り返した。
「そう。ここにいると変な人ばっかりだなーって安心する」
「そうすか」
「わたしがいても、大丈夫なんだって」
その時、客が店内に入ってきた。関は淀川とほぼ同時に顔を客の方へ向ける。
「いらっしゃいませー」
関は一段高い声を出しながら、淀川から離れていった。
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