1-16.ギルドマスター・ボルグ

 ギルドに戻り受付に向かうと、相変わらず愛想良くニコニコとしたリリアの姿が目に入った。


リリア「あら、クライスさん。ずいぶんお早いお戻りですね」

クライス「はは……王都に向かうつもりではいるんだが、旅の資金が無くてな。何か稼げる依頼はあるだろうか?」

リリア「そういうことでしたら、まずは冒険者登録をおすすめします。登録しておけば、他の街でもギルドを通じて依頼を受けられますよ」

クライス「なるほどな……登録には何か条件とかあるのか?」

リリア「はい。という魔道具を使って、基礎能力の測定を行います。それで最低基準を満たしていれば、登録可能です」

クライス「ふむ……じゃあ、早速その登録をお願いできるか?」

リリア「かしこまりました。シロさんもご一緒に登録されますか?」


 リリアがシロにも視線を向け、優しく問いかけると、シロは満面の笑みで胸を張った。


シロ「おぅ!オイラも登録する!」


 その頼もしい返事に思わず口元が緩む。どこか張り切っているシロの様子が微笑ましい。


リリア「では、サーチグラスの準備をいたしますので、少々お待ちください」


 その言葉を残し、リリアは奥の部屋へと姿を消した。


クライス「なんか緊張するな……」

シロ「大丈夫だよ!クライスの兄貴は、にーちゃんより強いから絶対平気だって!」

クライス「そうか?そう言われると、なんか照れちまうな」


 俺が照れ笑いを浮かべていると、リリアが不思議なデザインの眼鏡を持って戻ってきた。


リリア「お待たせいたしました。それでは、クライスさんから測定を始めますね」


 リリアは眼鏡をかけ、軽く姿勢を正したあと、口元を引き締めて一言発する。


リリア「サーチ」


 その声とともに眼鏡のレンズがほのかに輝き、文字や図形が流れるように現れる。しばらくするとリリアの顔がぱっと明るくなった。


リリア「これは凄い!クライスさんの生命力はS級冒険者並みですし、魔力も通常の獣人よりはるかに多いですよ。冒険者として問題なく活動できます!」


 どうやら俺は冒険者として十分な基礎能力を持っているらしい。リリアの言葉に安心しつつも、妙にくすぐったい気分だ。


リリア「それに、も習得されていますね」

クライス「炎の魔法?そんなもの覚えた記憶はないが……」

リリア「どうやら、チリや細かい物体を瞬時に燃やす魔法のようですね」

クライス「……なんだそれは?戦闘で役に立つのか?」

リリア「えっと……お掃除のときにゴミを処理したり……きっと便利ですよ?」


 リリアの遠慮がちな説明と微妙な笑顔が、むしろこの魔法の実用性のなさを物語っていた。

 俺はと聞いて、派手な爆発や強力な火炎放射を期待していたが――まさかごみ処理用とは。


クライス「……もしかして、細かい物体ってのは、毛も含まれるのか?」

リリア「恐らく、含まれると思います」


 その瞬間、俺の脳裏に忌まわしい記憶がよみがえった。

 かつて手渡された魔導書――触れた瞬間に魔法が暴発し、毛という毛が丸焦げになった、あの事件。裸の猫として過ごした屈辱の日々が鮮明によみがえる。


(あの魔法かよ……)


 過去の二の舞にはならぬよう、この魔法だけは絶対に使用しないと、固く心に誓っていると、リリアの弾んだ声が耳に飛び込んできた。


リリア「それにしても、素晴らしいです! ギフトまでお持ちなんですね!」


 いつも穏やかな彼女が、珍しく興奮した様子で頬に手を当てている。

 その輝いた瞳には、純粋な驚きと期待が込められているように思えた。


クライス「……一応な」


 その熱に少し気圧され、ついそっけない返事を返してしまった。


 リリアはハッとしたようにわずかに表情を曇らせたが、すぐに微笑み、今度はシロへと視線を移した。


リリア「では続いて、シロさんも測定しますね!」


 シロは少しそわそわしながらも、胸を張ってリリアに向かい合った。


リリア「サーチ」


 再び眼鏡のレンズが光り、文字や図形が流れるように現れた。


リリア「すごい……シロさんも生命力は十分高いですし、魔力に至っては、クライスさんを上回ってます!」

シロ「えっ!?オイラ、クライスの兄貴よりスゴイの!?」


 シロが目を輝かせて嬉しそうに尋ねると、リリアは微笑みながら頷いた。


リリア「えぇ、それに加えてギフトもちゃんとお持ちとは!」

シロ「そうなんだ~。そうだ!クライスの兄貴にも特別に教えてあげる!オイラのギフトは!一瞬で物を移動させる能力なんだ!」


 なるほど、樹木のような魔物との戦いや、黒い鎧の男と対峙した時に、武器が突然シロの手元に現れたのは、これが理由だったのか。


クライス「シロ、お前さん、本当にすごいな!あの時も助けてくれてたんだな、ありがとうよ」

シロ「いいってことよ!」


 シロは得意げに胸を張り、満足そうに笑顔を浮かべている。その様子を見て、俺はついクスリと笑ってしまった。


リリア「ギフトを授かるほどの生命力と魔力をお持ちの方は、非常に稀です。お二人とも、これからの冒険が楽しみですね」


 そう言い終えると、リリアはどこかそわそわと落ち着かない様子で、ちらちらと俺を見てきている。

 その仕草が少し気になったが、シロが俺に話しかけてきた。


シロ「なぁなぁ、クライスの兄貴のギフトってどんな能力なんだ?」


 その問いかけに、リリアの顔がぱぁっと明るくなった。

 なるほど、彼女がそわそわしていた理由はこれだったのか。


クライス「ん?俺のギフトはっていうらしい。時を遡る能力だとか」


 何気なく答えた瞬間、リリアの動きが止まった。

 彼女の瞳が大きく見開かれ、その顔は驚愕とも、あるいは別の感情とも読み取れる複雑な色が浮かんでいる。


 シロが驚いたように「過去に戻れるの?」と口を挟んだが、リリアの様子は明らかにそれどころではなかった。


 何かを逡巡しゅんじゅんしているのか、彼女はしばらくの間俯いたままだった。

 やがて、意を決したように顔を上げると、カウンター越しに身を乗り出してきた。


リリア「クライスさん、お願いがあります!一度ギルドマスターとお話ししてください!クライスさんのギフトなら、オリーブさんを救えるかもしれないんです!」

クライス「……すっ、救える?ちょっと待ってくれ、一体何のことだ?話が見えない……」


 突然の頼みに戸惑いながらも、リリアの切迫した表情を見た瞬間、ただ事ではないと直感した。


リリア「実は、オリーブさんは三週間前にルプス村へ調査に向かったんですが、ある日を境に、連絡が一切取れなくなってしまったんです……」

クライス「ギルドで捜索はしていないのか?」

リリア「もちろん、ギルドとしても動いています。ギルドマスターも、何度も現地に足を運びました。でも、そのたびに異常な魔物が出現して、結局何の成果も得られなくて……」


 机の一点を見つめながら、リリアは感情を必死に押し殺していた。

 震える唇が、無力感と、オリーブの無事を願う切実な想いを静かに語っていた。


リリア「……オリーブさんは、ギルドマスターにとって大切な人なんです。なのに何の手がかりもないまま、ただ時間だけが過ぎていく……このままだと彼が……マスターが壊れてしまうんじゃないかって……」


 彼女は悔しさを噛みしめるように唇を結んだ。

 そして、少し間を置いてから、真っ直ぐこちらを見据えた。


リリア「でも、クライスさんの“時を遡るギフト”なら、オリーブさんが行方不明になる前の時間に戻れるかもしれないって!……そう思ったんです 」


 希望を見出した強い眼差しには、すがるような必死さと、諦めない想いが滲んでいた。


リリア「だから……オリーブさんのためにも、ギルドマスターのためにも……どうか、力を貸してください」


 そう言って、リリアは深々と頭を下げた。

 彼女の真っ直ぐな想いが、俺の心の奥を強く打った。


 けれど、俺のギフトは、“自分の精神を、過去に保存したポイントへ戻す”というものだ。

 それより前には戻れないし、ポイントも毎回上書きされてしまう。


 だけど、ここまで親身になってくれた彼女の願いを、無下にはできなかった。


クライス「……俺の力は、そんな都合のいいもんじゃない。戻れるのは、俺が事前に保存した過去のポイントだけで……オリーブさんが行方不明になる前には、戻れない」


 彼女の瞳に宿っていた希望の光が、揺らいだ気がした。


クライス「……それでも、俺の力が何かしらの形で役に立つのなら、話くらいは聞かせてもらうよ」


 俺の言葉に、リリアは一瞬だけ黙り込んだが、すぐに顔を上げて、柔らかく微笑んだ。


 その笑みは、ほんの少しでも前に進めるなら、それでいい……そんな風に思えた。


リリア「ありがとうございます……」


 彼女は礼の一言を残し、ギルドマスターがいると思われる奥の通路へと消えて行った。


クライス「……厄介事に首突っ込んじまったか?」

シロ「ん~、分かんないけど……クライスの兄貴のギフトって、すごいんだな!」


 シロの目が称賛の色で輝き、まっすぐこちらを見つめてきた。


 ――そのとき。


???「――なんだとッ!」


 リリアが消えた受付カウンターの奥から、低い声が響いてきた。


 思わず会話が止まり、ふたりでそちらに目を向ける。

 直後、地面を揺らすような重い足音が、ドスドスと音を立てて近づいてきた。

 足音の主は、リリアを片腕で軽々と抱えたまま姿を現した。


 その男は、俺より二回りは大柄な体躯に、全身を覆う分厚い筋肉。こわもての顔立ちに加え、濃く立派な顎髭まで備えた姿は、まさに「屈強」という言葉が似合う男だった。


???「私は、この街のギルドマスター・ボルグだ。君がクライス君か?」

クライス「ああ、そうだが」

ボルグ「君のギフトについて詳しく聞きたい。少し奥の部屋で話せないか?」

クライス「分かった……」


 彼の真剣な眼差しに押され、俺は頷いた。そのままボルグについていこうとすると、シロも後ろからついてきた。


ボルグ「すまないが、クライス君と二人きりで話がしたいんだ。君はここでリリア君と待っていてくれないか?」

シロ「え?なんでだよ!オイラも気になる!」

クライス「シロ、すまないが待っていてくれ。後でちゃんと話すから」

シロ「……分かった。絶対に教えてくれよ?」

クライス「ああ、約束だ」


 しぶしぶ納得したシロをその場に残し、俺はボルグの後を追った。




◇  ◇  ◇  ◇




 ボルグに導かれ、俺はギルドの奥へと足を踏み入れる。


 最初は木造だった壁が、進むにつれてひんやりとした石造りへと変わっていき、やがて鉄でできた重厚な扉の前にたどり着いた。


 ボルグは片手でその扉を軽々と押し開け、俺に中へ入るよう促す。


 中に広がっていたのは、石造りの無機質な空間だった。

 簡素な机と椅子がいくつか置かれているだけで、装飾も窓も一切ない。


 押し黙った空気と底冷えするような冷気が、じわじわと肌に染み込んでくる――そんな部屋だった。


ボルグ「すまないな。君のギフトに関する話は、他人に漏れると危険だ。防音効果の高いこの部屋を使わせてもらう」

クライス「そうか……」


 促されるままに椅子へ腰を下ろすと、ボルグも向かいの席に座り、腕を組んだ。


 茜色の瞳がまっすぐ俺を捉える。その視線は探るようでありながら、どこか慎重さが伺えた。


ボルグ「まず、確認させてくれ。君のギフト――とは、具体的に何をどう遡るんだ?」

クライス「……何をどう遡る、か」


 こうして正面から問い直されると、どこからどう説明するのが一番伝わるのか、少しだけ迷ってしまう。

 すると、ボルグはさらに具体的な例を挙げてきた。


ボルグ「たとえば――

 割れてしまった花瓶を、割れる前の状態に戻せるのか?

 それとも、君の“意識”だけが過去に遡って出来事を見られるのか?

 あるいは、”君自身”が時間を遡って、過去そのものをやり直せるのか?」


 語り口はあくまで丁寧だ。

 純粋に俺の能力を知ろうとしているのが伝わってくる。だからこそ、俺も素直に答えた。


クライス「……俺のギフトは、自身の精神だけを過去に保存したポイントに戻すことができる。物や他人には使えない」


 その瞬間、ボルグの表情が微かに揺らいだ。


 ゆっくりと目を伏せ、そのまま沈黙する。


 その仕草は、考えを整理するようにも、何かを確かめるようにも見えた。


 次に目を上げたとき――その茜色の瞳からは、先ほどまでの穏やかさは消えていた。


ボルグ「精神だけ、か……」


 その声は、さっきまでのものとは違った。


 嫌な予感が背筋を這い上がる。


ボルグ「その力で、何かを変えたことはあるのか?」


 問いかけの響きが、先ほどよりも一層低く、重くなっている。


 俺は一瞬、言葉に詰まったが、正直に答えた。


クライス「死んでしまったシロの兄貴を助けたくらいだ。その他には、特に何もしていない」


 そう言った途端、ボルグの眉がわずかに動いた。


 気のせいか、部屋の温度が一気に下がったような気がする。


 張り詰めた沈黙が訪れる。


 ボルグはゆっくりと目を閉じ、長く息を吐いた。


 そして、静かに、だが、底知れぬ覚悟を滲ませながら一言を告げた。


ボルグ「……残念だよ、クライス君」

クライス「え……?」


 言葉の意味を理解する前に、世界がぐらりと傾いた。


 視界が急速に地面へと落ちていき、顔面を打ちつけたかと思うと、今度はゆっくりと天井が視界に広がった。


 視界の端には、椅子に座ったまま痙攣している自分の体があった。


 そこに首はなく、切断面からは鼓動に合わせてドクンドクンと血が吹き上がり、空間をじわじわと赤黒く染めていく。


 意識が薄れゆく中、耳の奥では波のような音が響き、微かにボルグの声が届いた。


ボルグ「君のギフトは、この世界にとってあまりに危険すぎる――」


 その一言を最後に、俺の意識は完全に闇に沈んだ。

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