第2話 地獄

 法事中、家族の中で私だけが親戚に混じってバタバタと僧侶へのお布施の準備やら会食の配膳やらをして、やっと一息ついたときだった。


「ねぇ、まだ終わらないのー? つまんなーい」

「麗、あともう少しだから我慢しなさい」

「さっきからお父様はずっとそればっかじゃない。麗、もう疲れたから早く帰りたーい!」


 親類の白い目など気にしないで大きな声で騒ぐ麗。

 父はなんとか宥めようとするも、叔母は麗を窘めることすらせず、むしろ「そうよねぇ。毎度毎度大したことしなくてつまらないし、飽きちゃうわよね」と同調する始末で、さらに空気が張り詰めていた。


 __一体、何しに来たのよ


 __何もしないでただ座ってるだけのくせに


 __少しは黙っていられないのかしら


 __親はどんな躾をしてるんだ


(息が苦しい)


 悪意に満ちた空間にいることで、自然と胸が苦しくなる。誰も彼もが我が家に対し、悪意を持った瞳で見つめていた。


 けれど、それでも意に介す素ぶりすら見せない叔母と麗。

 それにとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、今回の法事の施主で父の姉である伯母が痺れを切らして前に出るなり口火を切った。


「やぁね、躾がなってなくて。来るだけ来て誰の手伝いをするわけでもなく、文句ばっかり。親も親で香典一つもよこさないでタダ飯食べに来るだなんて、卑しいったらありゃしない」


 伯母が大声で嫌味を言うのを皮切りに、一層空気が悪くなる。

 周りも伯母の言葉に同調するように我が家を糾弾する声が一気に上がり、居た堪れなくなったのか父は小さく身を縮めていた。


「しかも、見るからに姉妹差別してみっともない。それなのに箸遣いといい言葉遣いといい教養は天と地の差がついちゃって。母親の出来の問題かしら? 貴女のお姉様はよくできた方だってのに。姉妹でこうも違うだなんて」


(どうしよう。私にまで飛び火した)


 比較されることが何よりも嫌いな叔母は、伯母の言葉を聞くなり私をキッと睨みつける。

 けれど、今私が何を言っても藪蛇になることはわかりきっていたので、私は何も言わずにただただ俯いてやり過ごすしかなかった。


「素行がよくて気立てもよくて品もあって別嬪で。家を継ぐのに申し分ない長子がいるのに、その子を蔑ろにするだなんてどういう方針なのかしらね。そんなに真直さんを蔑ろにするなら、我が家で引き取ってもいいんですよ?」

「結構です! それから、麗のほうが華やかで美人ですし、いざというときはやれる子なんです! 今は身内のみだからと甘えてしまっているだけですからっ。我が家は我が家のやり方があるので、口を出さないでください!」

「そう言うのなら、もっと態度を改めてもらいたいのだけれど? 長男の嫁がこれじゃあ恥晒しもいいところだわ!」


 いつになく激しい応酬。

 悪意が渦巻き、盛んになって収拾がつかないほどの憎悪にみんなが包まれている。


 父は縮こまるだけで収めようともせず、自分の妻と姉の喧嘩をただただ見守ることしかしなかった。

 当事者である麗も面倒だとばかりに、あくびさえする始末。


 この状況を打破するためにはどうすればいいのかと考えあぐねるも、悪意の波に思考が邪魔されて、いい案は何も浮かばなかった。


「もしかして、伯母さん。麗が若くて美人だからってやっかんでるんです? 醜い嫉妬は見苦しいですよー」


 やっと麗が口を開いたかと思えば、とんでもないことを口走る。

 あまりにも突拍子もない発言に、私は呆気にとられ、父は今にも泡を吹いて倒れそうなほど顔を真っ青にしていた。


「はぁ!?」

「それから、年を取ると更年期ってやつになってイライラするようになるんだって。伯母さんはその更年期なんじゃないのー?」

「なっ! 違います……っ!」

「えー、絶対そうでしょ。ほら、今だって顔の皺すごーい! ずっと眉間に皺が寄ってるし、イライラしているのが丸わかり!」


 ケラケラと笑いながら言う麗の指摘に、同調してクスクスと笑う叔母。それに憤慨する伯母。父は青ざめながらも何も言わずに黙り込んだまま。

 まさに地獄絵図の状態だ。


「伯母様、麗が失礼なことを申し上げて申し訳ありません……っ!」


 とにかく謝らなければと、私は畳に額を擦りながら深く頭を下げる。叔母から怒られようが何しようがこの場を見て見ぬフリだけはできなかった。


「いいのよ、真直さん。貴女が謝る必要はないわ」

「そうよ、何を勝手に謝ってるのよ。私達が悪いみたいじゃない」

「はい? 貴女達は悪いに決まってるでしょう!」

「麗の言葉が図星だからって、私達に当たるのはやめてくださいませんか!?」


(あぁ、どうしよう……っ)


 さらにドツボに嵌っていく諍い。

 しかし、それに終止符を打ったのは他でもない伯母だった。


「もういい加減、我慢の限界です! 貴方達とは縁を切ります! 直能達は今後一切うちの敷居を跨がないように! 相続も鐚一文びたいちもんも渡さないよう手続きするから、そのつもりで!」

「えっ、それは待ってくれよ姉さん!」

「はい!? それとこれとは話は別でしょう!? それに、直能さんは長男ですよ!? そちらが勝手に相続がどうこう言う権利はないんじゃないですか!」

「だから! 何度も言ってるけど、直能は長男だけど我が露草家は長子相続なの。それで私がこの家を引き継いで毎度私が施主をしてるって言ってるじゃない。露草家の跡取りは私! 露草家の現当主は私なの!」


 今まで何度も散々言われ続けていたというのに、理解しようとしていないのか理解できないのかキャンキャンと噛みつく叔母。

 しかし、とりつく島もなく、そのまま問答無用で家を追い出されてしまった。


「信じられない! 直能さんは長男だってのに、相続からハブろうとするだなんて! 先に生まれただけのくせに! 揃いも揃って我が家を蔑ろにして!」


 __あぁ、忌々しい! 姉という生き物はいつも身勝手で傲慢で悪辣だわ! いっそ親戚全員死んでしまえばいいのに!!


 帰りの道中、ぶつくさと不満を口にする叔母。

 元はと言えば自分が悪いというのに、鬱憤が溜まっているからか、延々と文句や悪意のどちらも垂れ流し続けていた。


「寿子、謝ったほうがいいんじゃ……」

「絶対に嫌よ! そもそも我が家は悪くないでしょう? というか、こいつが勝手に麗のせいにして謝ったのが悪いんじゃない!」

「痛っ」


 背中を勢いよくバシッと叩かれて、思わず転びそうになる。


「あーあ、姉さんのせいだー」

「そうよ。あんなヤツらに褒められて調子に乗るんじゃないわよ。しかも、よりにもよって麗のせいにするだなんて。そもそも、姉なら妹のために謙遜して引き立て役になるくらいしなさいよ。役立たず!」

「それもそうだな。真直、謝りなさい」

「……申し訳、ありません」


 父に促され、謝る。

 なぜか全部悪いことは私のせい。

 毎度そう。だから私も諦めてただ謝罪の言葉を口にして、何も言い返さずに大人しく受け入れることしかできなかった。


「寒い……」


 その日の晩は当てつけかのように風呂の火を消され、入った風呂は冷や水。


 如月のまだ冬も抜けきらないほど凍える日に入った水風呂で私は体調を崩すも、誰が世話をしてくれるわけでもなく、体調を崩したからといって家事を免除されるわけでもなく。私は発熱した重たい身体に鞭を打ちながら、ひたすらに家のための労働を強いられるのであった。

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