第5話 初仕事

 薄暗い荒村の予想を裏切り、村はとても綺麗だった。

温かな春の日差しが降り注ぎそうな、のんびりとした空気。

大通りに沿って立ち並ぶ建物は白く、大理石のような材質だ。

まんまるのフォルムをした小さな生き物が、ビミョーン、ビミョーンと跳ね回っている。

 そんな穏やかな風景とは裏腹に、緊張の滲む少女が、隣を歩く青年に話しかけた。


『昴って凄く良い人だよね。優しく仕事を教えてくれるし、悪いところなんて一つも見当たらない』

『そうかい?僕の世界では皆こんな感じだよ』


 青年の顔は何の曇りもなく、それが当然だと、世の常識だとばかりに物語っていた。

 ふぅん。美緒は感心したような顔で呟いた。


『似てはいるけど、やはり違う世界なんだねぇ』


 幾ら深く考えない質とはいえ、他人ひとの言葉を何でも鵜呑みにするほど美緒も馬鹿ではない。

 しかしこれは、“言葉”ではなく“念”だ。

こんな何気ない嘘をつくために、細部まで作り込まれた世界観を一から考えるだろうか?

 何処かに存在する異世界では、本当に昴のような善人ばかりが暮らす人間社会が、当たり前に存在している。

確かにそう伝わってきたのだ。

 するりと、紐が解けていく。

 凝り固まった考えが解きほぐされていく快感に、

美緒は目を細めて息をついた。

「頭はいつも柔軟に。若人の足を引っぱる大人にはなりたくないもんね」


 廃村の半分辺りで、ふと昴が足を止めた。

【人間屋】

『え、にんげ…人間?ヒトを売るのか?』

 ブツブツと青い顔で呟き始めた昴を尻目に、外から建物を覗いてみる。

 影という概念がないこの世界だからこそ、灯りのない店内でも、はっきりと様子が見て取れた。

 天上から沢山の網がぶら下がり、椅子らしきものが置いてある。

目の荒い網から、先の丸い折れ曲がった棒…そう、まるでのようなものが見え、美緒はすばやく目をそらした。

『昴、少し移動し——


 世界の取り壊し工事でも始まったかと錯覚する、凄まじい轟音が鳴り響いた。

脳を揺さぶるような振動に思わず膝をつき、必死に周囲を見渡す。


「縺??ヲ?溘≠縲√≠縺ゅ≠縺ゑシ?シ√≧縺?▲縲」


 大きな音には慣れていないのか、美緒の感知できない別の何かがあるのか、昴は見ていて哀れなほどに錯乱していた。

 周囲を見渡してみれば、いっそ憎いくらい穏やかな街並みが変わらずにそこにある。

 ふと振り返れると、人も塵と見間違うような遠くから、何やら動くものがやってくるのが見えた。

 それが一つや二つでないことを視認した美緒は、慌てて立ち上がり、昴に駆け寄った。


『大丈夫…?あの、何か来てるんだけど、』


 哀れな青年は、焦点の合わない目から赤い涙を流し始めた。

 はわわ、と口元を押さえ、狼狽えて歩き回る少女は、道に目をやり見開いた。

 想像以上に速かったそれらが今や、細部まではっきり分かる所まで接近している。

麻のような布を纏った人間。

走ることに全振りした、獣のような様相で迫ってくる。

ヤヒメ界人特有の、あの奇怪な動きは一切なく、これがまた別種の異様さを感じさせる。

 狂人というものは、得てして健常者を怯えさせる存在だ。

例に漏れず、年齢にしては落ち着いた雰囲気を持つこの少女も、心臓が張り裂けるほど慄いた。

慄いて、脳の回路がぱぁんと弾けて、


美緒はなりふり構わず殴りかかった。


 この行動には説明が必要だ。

彼女は、襲いかかられれば目を瞑って蹲ってしまうほどの、極一般的な女子であったので。

当然、この時もそうなる筈だった。

しかし。

美緒の人間判定が相当シビアであった事、美緒は人外の躾に関して、酷く厳しくなる性質を持っていた事。

この二つが、いい方向に働いた。


 この可愛らしい少女は、半ば本能でこう思った。

“目の前の動物に、ナメられたら終わりだ” と。



 狂人は、存外勢いよく吹っ飛んだ。

ポーンとコミカルな音が聞こえそうな、綺麗な放射線を描いて吹っ飛んだ。

 美緒は暫し呆然として、襲いかかってきた狂人を慌てて迎え撃つ。

二ーつ、三ーつ、四ーっつ、五つ!

 見た目通り頭が働いていないらしく、六人いたそれらは、あっという間に全て片付けられた。


『流石だね!』


 目を向ければ、目の辺りを真っ赤に染めた昴が立っていた。


「大丈夫なの、?」

 動揺のあまり口に出したが、聞きたいことは伝わったらしい。


『もう大丈夫、安心して。小規模な異界ができていたみたいだ』

『異界ってそんなに危ないの?』

『ああ、本来関わらないはずの存在だ。これでも、僕ら外来生物は異界の空気に強い方なんだ』


『異界間を渡って大丈夫だったって事は、相当強いという証明になるからね』


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報告書

第三地区の旧☓☓村、行方不明事件について


調査員:ヤヒメ界支部特殊調査員No.051、No.060

 場所:ヤヒメ界第三地区☓☓村跡

 時間:二−二

 状況:近隣の住民三名が行方不明

   三名とも☓☓村へ行く、と残している


・小規模の異界を観測

・村人らしき生き物が六人

・正気を失っていたため、No.060が対処

・強い打撃により消滅

・神によるものと推測


追記:村に“人間屋”なる店を発見

  No.060は、異界との境目に強い

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ミオの不思議な異世界旅〜ヤヒメ編〜 マリー @mary5642

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