圏外のはずの通話

怪物イケダ

圏外のはずの通話

 湖の近くにある山荘で、僕は一人、泊まっていた。


 祖父の遺した古い家だ。もう何年も使われていない。

 電波も届かない。スマホには「圏外」の文字が浮いたままだ。


 それでも、山の静けさが好きだった。夜の虫の声や、木々が風に鳴る音。

 ……その中に、妙なノイズが混ざったのは、夜中の一時だった。


 ピリリ、ピリリ……

 ――電話の着信音。


 スマホを見た。電波は圏外のままだったのに、なぜか画面が明るく光っていた。


 《着信中:母》


 指が止まる。


 ……母は、もういない。一年前の春、病気で亡くなった。

 電話番号も解約したはずだ。


 それでも、なぜか、着信は続いている。

 僕は、おそるおそる通話ボタンを押した。


 


 「……もしもし」


 


 ノイズ混じりの音声が、耳に飛び込んでくる。

 だけど、それは、たしかに母の声だった。


 


 『……夜、外に出ちゃダメよ』

 『あの子、また来てる』

 『……見ちゃダメ、絶対に』


 


 聞き覚えのある声で、母は何かを警告するように話していた。


 そして、突然、音が途切れる。


 スマホはまた「圏外」に戻り、画面は暗くなった。


 ……あれは夢だったのか?


 気味が悪くて、僕は布団をかぶった。


 だけど──


 朝起きると、玄関に誰かの足跡があった。


 しかも、小さな子どもの裸足の足跡がふたつ。


 山荘の周りには、そんな子どもが来るような家も道もない。


 その夜、また着信が来た。


 


 《着信中:母》


 


 出ると、また、母の声が聞こえた。


 


 『あの子、見てるの』

 『あなたの隣、ずっといるの』

 『名前、呼んじゃダメ。呼ぶと、振り向くから』


 ――その直後、スマホのライトが点いた。


 インカメラが勝手に起動し、自分の顔が映る。


 ……その左肩に、小さな白い手が置かれていた。


 ぶつ、と音を立ててスマホの電源が落ちた。


* * *


 翌朝、僕は下山してすぐにスマホを修理に出した。

 店員は「ウイルスかもしれませんね」と言った。


 けれど、写真フォルダに残っていたのは、僕が寝ている写真。

 何枚も、何枚も、寝顔が連続していた。


 そのすべてに、何か白い影が映り込んでいる。


 その中に、一枚だけ母の写真が混ざっていた。

 優しく笑っていた。スマホを見ているような目線で。


 ──そして最後の一枚。


 画面いっぱいにメモ帳が開いていた。


 「ほんとはね」

 「隣にいたのは、あの子じゃないのよ、ところで⋯」

 


 その下に一文。






 ──山菜おこわ、冷凍庫にあるからね。


 


 ……母さん、もう下山しちゃったよ。




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圏外のはずの通話 怪物イケダ @monster-ikeda0407

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