神様だったアタシが、今はお貴族様で聖女様。
貴津
第1話 神様だったアタシが、今は病弱お嬢様。
野狐であった
「これで、アタシもやっと……」
淡い光に包まれ、明らかに今までの自分とは変わったことを実感した薔薇は、恍惚の表情で頭上に輝く光を見つめた。
そこに輝くものから、薔薇は今、神となるための資格を与えられた。
頭上に輝くものはこの国におわす
三百年は長かった。
生物としての生を終えた後も小さな社の神に仕え、どーでもいい神の雑用から、めんどくさい頼まれごとなどを懸命にこなし、やっとこさっとこなんとか神になるまで経験値を積んだのだ。
「これで! アタシも神様!」
薔薇はぐっとこぶしを握り締めると、つらかった日々を振り払うように叫んだ。
ここから先はもう、わがままな先輩神たちのお使いなどせず、優雅に人を騙くらかし、薔薇の神力で虜にした
憧れの傾国、神狐界のスーパースター・九尾の
人間からしてみれば傾国の神などが生まれるのはたまったものではないが、玉藻は薔薇には憧れの上級神だ。
白狐神の玉藻は、動物神の中でもかなりの高位にいる神で、人間界を幾度となく揺るがすような神力を見せつけ、その力の強大さと輝くような美貌のために人間たちの信心を集めている。
古来から物語にも多く語られ、古くは口伝や歴史書に物語が記され、科学とか宇宙の時代になった今でもその神秘性は
狐に生まれて神になった以上、白い毛皮に九尾の神狐を目指したいと言うものだ。
薔薇の
神狐になれる最低条件は二本の尾。神狐の中には五本以下のものも少なくはない。薔薇はそれだけ神通力が高い狐だと言う事だ。
薔薇は美貌もなかなかのものだと思う。
墨染の黒髪、透けるような白い肌、赤い唇と整った
格上の神様からも我が社にと呼ばれるほどの美貌の主だった。
だが、やはり傾国と呼ばれるほどの玉藻には及ばない。
しかし、それにめげることなく、薔薇は拳を振り上げて天に誓う。
「目指せ九尾! 目指せ傾国!」
そんな風に浮かれた薔薇は、自分の身に迫りつつある危機に気が付くこともできずに、ただ神になった喜びに震えていた。
そして、終わりは唐突に訪れた。
◇◇◇
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って! なにこれ!?」
薔薇は目の前に広がる光景に呆然とした。
目の前にはずらりと並んだ白妖狐たち、皆、上位神の力の宿った神刀を持ち、揃いの紋が入った黄金の武具を身につけている。
(
身につけた武具の紋を見るまでもなかった。
白妖狐の兵を従えている神様など玉藻以外にいない。
そんな妖狐兵が何故、下っ端新人の神様でしかない薔薇の社の前にいるのか。
「誰の許しがあって、
薔薇は内心ビビりながらも胸を張って声を上げた。尻尾が出てなくてよかった。出ていたらきっとボンボンに膨らんでいただろうから。
どんなに下っ端であっても、自分の社は自分の神域。許可無くば、如何なる者であっても侵入を許すことはできない。
無断で立ち入れば、それは――争いの火種となる。
「神狐……
先頭に立った兵士は淡々と告げた。
手には玉藻の紋章が入った命令書が握られている。
「堕神!? アタシがァ? なんかの間違いでしょ……」
堕神は罪を犯した神の総称。
ただ微罪ではそんな風には呼ばれない。
堕神と呼ばれる時、それは死罪に値するような大罪を犯した時のみ。
「観念しろ、薔薇」
先頭の兵士の声に合わせて、周りの兵士たちが一斉に刀を構える。
つい先日神に昇華したばかり、眷属もいない、信者もいない、目の前の高位神の眷属たちに比べたら力すらない――そんな無いない尽くしの薔薇に、成す術は最早なかった。
しかし――。
「……ッ! そんな簡単にあきらめてなるものかッ!」
だが薔薇は獣姿に変化する。銅色に輝く毛皮、黒い耳と鋭い爪の手足、背後に見える尾は七尾ある。
「神格に上がったアタシが、お前ら
新人とはいえ薔薇は神狐。尾の数は負けていても、気持ちまで負けるわけにはいかない。
叫び声も高らかに、薔薇は白神狐の兵たちへと躍りかかった。
◆◆◆
「きゃああっ!」
悲鳴を上げて飛び起きた。
心臓がバクバクと鳴り響き、額にも首にも背中にも嫌な汗が冷たく伝う。
もしかしたら熱もあるのかもしれない。カッと火照るような熱さと、汗が滴るたび気持ちの悪い冷たさに体が震える。
「は……はぁ……はぁ……」
しばらく荒い息を吐きながら、じっと困惑をやり過ごす。
夢見が悪かったのか、鼓動がなかなか治まらない。ここにはもう恐ろしいことはないと言うのに。
(大丈夫……大丈夫……)
頭の中でそう繰り返しながら、鼓動が治まるのをじっと待つ。
部屋の中一杯に暖かい日の光が差し込んでいるのを感じて、少しずつだけど落ち着きが戻ってくる。
何とか荒かった呼吸も落ち着いて、何となく光の方を観たくて顔を上げると――
「……ここ、どこ?」
大きな木枠の窓、美しいカットが施された柄ガラスがはめられ、ふんわりとした白い薄いレースのカーテンがかかっている。
壁は淡いクリーム色で、天井は白い。窓の向こうは明るく、ガラス越しに緑の蔓と白い花がたくさん咲いているのが見えた。
「私の部屋……」
自分の部屋だと思うのだけど、自分の部屋とは明らかに違う。
白塗りの壁、雪見障子で区切られた部屋、布団は同じ絹のような手触りだけど、ふかふかなのに軽くて……
「声が聞こえたが……大丈夫か?」
不意に声が聞こえた。
ぼんやりと天井を眺めていた目線を正面に戻すと、正面にあった扉から金髪の男が部屋に入ってくる。
「おい、どうした?」
男の姿は洋装だ。白いシャツ、ダークグレーのジャケットに同じ色のスラックス。髪は金色で、見つめてくる瞳は青い。
「あ……」
「大丈夫か? ロッタローゼ?」
ロッタローゼと男は呼んだ。
ロッタローゼ。自分の名前だと思う。
(でも、アタシの名前は違う……?)
銅色の毛皮? 黒い髪? 目に見えるのは白い肌、緩く踊る
「お兄様……?」
男の顔を見つめると、思わず口からこぼれた。
響くのはか弱く高い子供の声。
「おい、本当に大丈夫か? 主治医のゲーレマン先生を呼ぶか……」
ぼんやりとしたままの自分を見て、目の前にいた男は焦り始め、男に続いて部屋に入ってきた使用人たちに指示を出し始める。
(兄? アタシに兄なんかいない。でも、私にはお兄様がいる……)
(アタシ、私、わたくし……
ピントが定まらないような不安な気持ちが頭の中をぐるぐる回る。
「アタシは……誰?」
その行きついた質問の答えが浮かぶ前に、再び視界が暗く閉ざされてしまった。
次に目を覚ますと、部屋の中は少し陽が落ちかけてはいたものの、未だに十分に明るかった。
天蓋のついた
(私の部屋だけど、私の部屋じゃない……)
頭の中が混乱している。
思い出そうとするとゴチャつく。
この部屋が私部屋だと認識している記憶と、この部屋はアタシの部屋ではないと認識する記憶が二重になって混乱する。
部屋だけじゃない、すべてがすべて二重になる。
私はロッタローゼ、ロッタローゼ・フクス・シェーンベルグ。シェーンベルク侯爵の息女。数えで12歳。
アタシは
(頭が痛い……)
寝台に横たわったまま、頭痛を感じて手で髪をかき上げる。
その手は小さく、少女のようだ。
(アタシは七尾の神狐で……)
スラッと伸びた手足、豊かな胸と尻、長い黒髪、細い
(小さな手、柔らかな少女の手足、赤みがかった
人間たちが持っていた冊子や絵姿でしか見たことがないような異国の装いだ。
「どうして……」
混乱する記憶を振り払うように疑問を声にすると、すぐ傍からそれに応える声が聞こえた。
「大丈夫か? 薬を飲めば熱はすぐに下がるだろうとのことだ」
声の方を見ると、さっきの男が寝台の横に置かれた椅子に座ってこちらを見ていた。
男の背後には
男は声をかけ、硝子のコップに水を注がせる。
「ひどく汗をかいているな。たくさん水を飲みなさい」
「……ありがとうございます、お兄様」
この男はロッタローゼの兄、デヴィン・フクス・シェーンベルグ。シェーンベルク侯爵の子息。
子供の多いこの世界では珍しく、父は側室も持たず、子はデヴィンとローゼンロッタの二人だけだった。
ロッタローゼと年の離れたデヴィンは、半年前に亡くなった二人の父の跡目を継いで侯爵領を収める準備をしている最中のはず。
ゆっくりと体を起こして、メイドからコップを受け取り、ひやりとした水で唇を潤わせる。
「お熱のせいか……少し混乱してしまって……あと怖い夢を……」
「そうか、大丈夫だ。今日はロッタローゼ、兄がそばについていてやろう。怖い夢を見ないようについていてやるから、もう少し眠るといい」
「……ありがとうございます」
細い声で力なくそう言うと、再び寝台に横たわった。
さっとメイドが近づき、上掛けを直して、寝台の天蓋から下がる布を半分だけ下した。
「父上と母上が亡くなられてから、お前も気が休まることがなかっただろう。ゆっくり休みなさい。何も心配することはないからな」
デヴィンの言葉が心強い。
半年前に二人は両親を事故で亡くした。
その悲しみに打ちひしがれ、寝込みがちになってしまったか弱い妹を案じる優しい兄。
見知らぬ男、優しいお兄様、その存在が影絵を重ねたように二重にぶれる。
そんな存在を隣に感じながら、目を閉じてふうっと静かに息を吐く。
(アタシは
どうしてこうなったのかは分からない。
考えても答えは出ない。
確かなのは、今は神狐の薔薇ではなく、幼い人間の少女ロッタローゼであると言う事だけ。
(何でこんなことになっちゃったのよ……)
心の中でぼやいても、事態は何も変わらない。
兄の庇護下で病弱な少女は寝台の中から美しい中庭を見つめるだけ。
(でも、薔薇でもある気がする)
か弱い少女となり果てた今でも、体の奥底に神狐としての神通力があるのは感じる。
しかし、今は圧倒的に身体はロッタローゼであることが強い――と思う。
今の状態では神通力を自在に使ったり、本性の神狐に変化をするのも少し難しそうだ。
ただ頭の中は殆ど薔薇であるようだ。
ロッタローゼとしての知識も記憶もあるが、感情や考え方は薔薇のまま。
(多分、アタシがこの身体を乗っ取っちまったんだ)
薔薇がロッタローゼとなったのはひと月ほど前のことだ。
その頃、体の弱いロッタローゼは酷い肺炎にかかり生死の境をさまよっていた。
熱にうなされ、口を開けば呼吸が苦しく、不安げにロッタローゼの顔を覗き込んでいるデヴィンの名を呼ぶこともできなかった。
このまま死ぬ運命。多分、少女はそれを悟っていたのだ。
もっと生きたい。
その強い願いが、暗闇を漂っていた薔薇に届いた。
同じ願いを持つ薔薇が、暗闇を手探りで少女を探し当てた時には、少女の命の炎は消えようとしていた。
(その身体をアタシに貸して! そうしたらいつかアンタに元気な体を返してやるから!)
薔薇は少女の手を取って叫んだ。
神狐である薔薇もまた死にかけているが、生き物の体に宿って休めば戻れる可能性がある。
玉藻の白妖狐たちに負わされた傷は致命傷だったが、何とかここまで逃げてきたのだ。
ここが何処かはわからないけれど、今、同じ願いを持つ少女に出会えたのだ。
少女は震える唇になんとか声を絞り出した。
「お願い……」
そして、見知らぬ部屋で目覚めた薔薇は、幼い異国の少女ロッタローゼ侯爵令嬢となっていた。
ロッタローゼとなって目覚めた世界は、不思議なことに薔薇が野狐として生まれるよりも前の世界だった。
薔薇の生まれた日ノ本に帰れば、神通力が戻るかもしれないと考えて、日ノ本への情報を探そうとしたが、携帯電話やインターネットなどの便利な道具は何もなく、いつ書かれたかもわからない古びた書物と瓦版のような世間の様子が載った印刷物だけが頼りの世界だった。
科学という言葉の馴染みも薄く、世は信仰によって動いている。
そう言ったところから察するに、現代日ノ本とは離れて近代西洋――ヨーロッパあたりの国。といったところだろう。
日ノ本へ帰っても薔薇の社も何もないだろうが、それでも異国の神の地にいるよりは、自分と同じ流れの神の元にいたほうが回復するかもしれない。
(せめて神通力が使えれば、もう少し何かを知ることができそうだけれど……)
しかし、病み上がりの体は屋敷の外に出ることすらできない。
中庭にあるバラ園で、午後のお茶を嗜むのが精いっぱいだった。
それに多少の記憶はあるものの、ここで目覚める前までを思い出そうとしても、それこそ霞がかかったかのように遠く感じる。
神狐であった自分、玉藻の眷属に囲まれて、そして――。
(多分、あの時、アタシは助かってないよね)
神狐の薔薇は玉藻の眷属に討たれて死んだのだろう。
堕神としての不名誉を負わされて殺された。
(どうしてこんなことに……)
それも考えても無駄だろう。
薔薇は死んで、アタシはロッタローゼになった。
それだけが事実だ。
(この先……)
人間の幼い少女になってしまった薔薇にできることは少ないかもしれない。
(でも、それでも……)
玉藻に討たれて死んだあの屈辱を忘れることは難しい。
やっとつかんだ神狐としての座と社。
それを訳も分からず奪われ、こんな人間の小娘に堕とされた。
(もう一度、戻れるならば)
薔薇の神狐としての神通力はまだ己の中にある。
もう一度、神の座に戻ることができるかもしれない。
(このままでは終わらせない)
必ず、もう一度、神の座に戻り、玉藻の前を――
―― 続
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