あったか荘は今日もスープ日和

来 根来(きたりねごろ)

〜あぺりてぃふ〜

0-1

 ひっこめ、ひっこめ……ひっこめ!

耳から尻尾まで毛を逆立たせて、息を止めて顔を真っ赤にして。

今日も少女は変化(へんげ)の練習をする。

父の叱咤激励を受けながら毎日同じ練習を繰り返し、何度も失敗。特に今日は調子が悪い気がする。

変化の練習はいつだってキツい。苦しい。全身疲れるし、本当に大変だ。お腹も減る。なのに、不思議とやめる気にはならなかった。

成功して耳と尻尾が隠れて「人」になれたときは嬉しかった。


「その調子だ!」


 と嬉しそうな父の顔が嬉しかった。頑張ることが楽しかった。

時々ふと思うこともある。

どうして周りの人は何もしなくて「人」で居られるんだろう、どうして自分だけは頑張らないと「人」で居られないんだろう、どうして……自分には妖怪の血が混ざっているんだろう、と。

 そうやって心がトゲトゲワサワサしそうな時。支えてくれたのが、村人や友人など周りの「人」。そして、似た境遇の幼馴染だった。


父の友人の息子だという彼は、五歳頃からよく訪ねてくるようになった。よく隣に居てくれるようになった。自然と仲良くなった。

まるで本当の兄妹みたい。

時を共に過ごすうち、少しだけだった背の差はどんどん開いていき、気がつけば見上げるほどに。

でもそんな彼もある日、東京へ旅立っていった。

電車でせいぜい3時間程度、決して行けないほどの距離ではない。なのに何故か、とても遠くへ行ってしまった気がした。

出立の日、見送る電車の窓越しの笑顔は眩しかった。

幼馴染だけじゃない。少女の村の人間は、遅かれ早かれ都会へ旅立っていく。故郷が好きな少女には不思議だった。

だから調べた。東京ってどんなところ? 都会の何が良いの?

 そして調べて、知れば知るほど。「疑問」はいつしか「憧れ」に変わっていった。

 東京には「人」がたくさん居る。「人」が作ったモノで溢れている。自然と共にひっそり暮らす故郷とはあまりにも別世界。

 私もそこへ行きたい。その中に混ざってみたい。そうしたらきっと……。


 憧れを夢と定めて、少女はがむしゃらに道を模索した。

 道がつながるならなんでも良いと、必死に勉強した。

そしてたどり着き、出会った。

 寄宿舎(シェアハウス)『あったか荘』。

 バラバラな個性を持つ食材も、一緒に鍋で込んで一つにするような場所。スープみたいに中から優しく温める、そんな居場所だった。

 スープから始まる、あったかいけど少し変わった日常がそこにはあるのだ。


 ――あったのだ。


 重機が唸りを上げ、無骨なアームが軋む。

 冬の冷たい風から皆を遮ってくれた木製の壁も。皆の笑い声を空に帰さず包んでくれた瓦屋根も。毎日スープを生み出し、皆を一つにしてくれたあのキッチンも。

 鉄の腕の一振りで、あっけなくあっさりと粉々になる。

 ただの瓦礫の山と成り果てるまで、彼女は無言で見つめていた。そこにはもう、あんなにあった人の気配は無い。

 やがて作業の人々も消え、日が沈み、まん丸な月が上がっても、彼女はずっと立っていた。

 その後ろに、もう一つの人影。月の光を背から受けて顔に影を落とす。そして整った形の唇を薄く開け、彼女に問いかけた。


「寂しいかい?」

「……そうですね」

「名残惜しいかい?」

「……仕方ないです」

「キミは行かないのかい?」

「…………いえ、もう行かなきゃ。あなたは大丈夫なんですか?」

「はは、満月だからね。でももう行くよ。みんなのところへ」

「そうですか」

「先に行って待ってるよ」

「はい」


 優雅に手を振って、人影は闇の中に溶けて消えていった。

 彼女は振り返らず、ただ前を見ていた。

 あったか荘が、あったか荘だった頃を思い出しながら。

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