第13話 都市の陰に咲くもの

夜が明けた王都フォルトナは、何事もなかったかのように静かだった。


 けれど――その“静けさ”が、どこか“作られたもの”のように思えてならなかった。


 銀砂亭の朝は早い。

 僕たちは他の宿泊客たちと同じように、食堂で軽い朝食をとっていた。


 香ばしく焼かれた薄焼きパンと、木の実を練り込んだバター、ハーブ入りの湯。

 平穏な食卓。どこにも危険の気配はなかった。なのに、リリスの表情は晴れなかった。


 「……様子が変」


 パンをちぎりながら、彼女はぽつりと呟いた。


 「宿の通りの警備が減ってる。昨日は見かけた兵士の姿が、今日は見えなかった」


 「減ったんですか?」

 僕が思わず聞き返す。


 「警備を緩めたんじゃない。移動させられてるのよ。中心区か、あるいは……」


 リリスは口を閉ざした。

 その横でアルノが小さく頷く。


 「魔道庁側の通信塔、結界が“圧縮状態”に入った。外部との魔導回線を一時遮断している。

 何かを“囲う”準備が整ったということだ」


 僕は言葉を失った。


 クークでさえ、朝食の手が止まっていた。

 ふだんは黙っていられない彼女が、テーブルの端で耳をぴくぴくと揺らしながら、じっと何かを聞こうとしている。


 「街が……音を押し殺してる」


 その言葉に、誰もが視線を彼女に向けた。


 「さっきまでいたはずの鳥もいないし、屋台の音もない。

 風も……さっきから、一度も吹いてない気がする」


 僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 窓の外に目をやると、確かに市場通りは奇妙なほど静まり返っていた。

 人はいた。動きもあった。でも、“都市の呼吸”のようなものが、まるで止まっているように感じた。


 (いったい何が……?) 


 そのときだった。


 銀砂亭の扉が開き、ひとりの少年がふらりと中へ入ってきた。


 十歳くらいの人間の男の子。

 服は埃っぽく、旅人か街の子どもかは判別がつかない。けれど、その瞳だけはどこか“古い色”をしていた。


 少年はまっすぐ、リリスの方へ歩み寄った。


 「――あなたが、リリス・レーン?」


 その問いかけに、リリスは身を強張らせた。

 少し間を置いてから、淡く答える。


 「……そうだけど。あなたは?」


 「言伝てだよ」


 少年はポケットから一枚の白紙を取り出した。

 そこにはただ一言――


 「“空が割れる”」


 静かな声だった。

 けれど、その言葉が放たれた瞬間、室内の空気が一変した。


 クークが息を呑み、アルノが席を立ちかける。


 リリスは無言で立ち上がった。

 椅子の脚が床を擦る音だけが響いた。


 「……誰から?」


 「“あの人”から。リリスなら、わかるでしょ」


 少年はそう言い残し、振り返って扉を出ていった。


 僕は呆然と、その小さな背中を見送った。


 (空が、割れる……?)


 意味がわからない。でも、それが“ただ事じゃない”ことだけは、はっきりとわかった。


 リリスは、口をきつく結んだまま、僕たちを見渡した。


 「荷をまとめて。すぐに出るわ」


 「どこへ……?」


 「もちろん、王都の外よ。急いで。あと二時間もないわ」


***


 けれど、王都は“出る者”に対して、すでに鍵をかけ始めていた。


 門前の通りは通行規制が始まり、中央区から出てくる幹線は、兵士たちの盾で塞がれていた。


 「出口、塞がれてる……」


 クークが呟いた。


 「都市内の制圧ではない。これは、“何かを閉じ込める”動きだ」

 アルノが低く呟いた。


 リリスはすぐに引き返す判断をした。


 「中央広場から東門へ回る。時間がない」


 「間に合いますか……!?」


 「わからない。でも、“あれ”を見たくないなら、走ることね」


 そう言って、彼女は駆け出した。


 背後で、王都の高塔がきらりと光を放つ。


 まるで、これから空が割れ、何かが“降ってくる”ことを――都市そのものが、予告しているかのようだった。


***

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転移先が元魔王の部下用のシェアハウスだった件 華奢な出世魚 @pompom7

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