1-4:そうしないと負ける気がしたから

地上に降りて初日は、“何もさせてもらえなかった”。

三食、昼寝、監視つき。トイレすら申請制。

“実習室” って言ってたっけ、真っ白な無菌室で座学とオリエンテーション。

それだけの一日だった。

それを “安全” って呼ぶなら、たぶん私は安全なまま何も知らずに帰る予定だった。

……安全で、感動的で、何も起こらない。それが “供儀くぎの第一日”。


二度目の朝。

睡眠は記録班の管理下にある “休息舎” でとっている。

清潔で、安全で、落ち着かない。


カーテンの向こうで誰かが光の調整をしていて、室内が青白く明るくなった。

ヴァイス=3の声が聞こえた。


「本日は、供儀炉第3区画への訪問となります。集合時刻は午前九時です」

「起床支援として、白色光を十分に確保しています。起床をどうぞ」

「どうぞって、あんたが勝手にやったんでしょ……」


私は小さく文句を言いながら起き上がる。

寝起きで冷たい床を踏むと、“地上にいる” ことを思い出す。

地上の朝は、足からくるらしい。


記録班との合流地点に向かう途中、私はふと道を外れた。

ヴァイス=3の静止音声が後ろで流れたけど無視。

本当にまずいときはもっと大きい音が出る。まだ許されてる。……気に入らない。


通路と作業エリアの境界。

金網の向こうに、誰かが立っていた。作業員だろうか。

私と同じくらいの背格好だ。


マスク。防護服。ここでは誰が誰かなんてどうでもいいらしい。

時おり手を休めては、持っているスコップをまじまじと見ている。

私に気づくと、マスクだけがこっちを見た。

傾いたマスクが私の方を向きながら、何かを掻き出していた。


見たことない真っ黒な土、森林区域の土なんかより全然黒い。それに泥みたいに重そう。なに? あれ。

学校から配られた “供儀の手引き” でも昨日の説明でも言ってなかった。たぶん、わざとだ。


私は、どうしてもそのまま通り過ぎることができなかった。


「……おはようございます」


言葉をかけた瞬間、自分の声が想像以上に空気を裂いて聞こえた。

地上って音がこうも通るんだ。いや、マスクの中で反響してるだけかも。


相手は何も言わなかった。でも、ほんの少しだけ首を傾けた気がした。

呼吸のリズムも変わった。それが “返事” だったかどうかは、分からない。


それでも、私は勝手にそう受け取ってしまった。


「私は……供儀の天使って呼ばれてて……“観察” に来てます。三日間だけ。“上から”」


……来ました、って言いかけてハッとした。

何か、言葉を間違えた気がした。


「えっと……あの、“対話不能個体” ですか?」


言った瞬間、後悔した。さっきの違和感もそうだ。

自分の口が、借り物の言葉をなぞっただけだと分かった。

自分の意思でしゃべってる “つもり” だったことが、いちばん気持ち悪かった。

地面が、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。目眩がする。吐き気がする。


「……ごめんなさい、今の、忘れて」


返事はない。

でも、金網のこちら側の、私の手元を、一瞬だけ見た。……ような気がする。

支給された白い手袋。“供儀の天使” の証。

清潔で、無傷で、真っ白。


私は、その手袋にゆっくり手を掛ける。

その瞬間、ヴァイス=3が特大の警告を発した。


「手袋を外さないでください。供儀の天使は汚れてはいけません」


ヴァイス=3が近づいてくる。

とっさに手袋に掛かっていた手が止まる。反射的に手が止まったことが、悔しくてたまらない。


「……」


ヴァイス=3に見えるように両手を上げる。手袋が無事なことを確認すると、いつものヴァイス=3に戻った。

今度はヴァイス=3から見えないように手袋を外し、裏返してつけ直した。

そして、もう一度だけ作業員に会釈して立ち去った。

吐き気は治まった。


集合地点に戻ると、記録班の一人が待ち構えていた。

口元に “笑顔補助パッチ” を貼ったままの顔で、にこにこと近づいてくる。


「わあ、どこ行ってたんですか〜! 道、間違えちゃいましたか?」

「うん、ちょっとだけね」


私はそう答えて、少しだけ笑った。

自分の表情筋で、ちゃんと。そうしないと負ける気がしたから。


夜、ノートに書いた。


“対話不能個体” には会えた。

けど、あの人の目は、

“私を見ていた” わけじゃなくて、

“見ているふり” をする私を、見透かしていた。絶対そうだ。恥ずかしい。


下層炉に潜り込む隙は、まだ見つからない。

なんとかして、私は私の言葉を取り戻さないと駄目だ。

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