かみ様は必要です

命野糸水

かみ様は必要です

リビングでソファーに座りながらテレビを見ているとインターホンが鳴った。


誰だろうか。宅急便は頼んでいないため、インターホンを押した人物が配達員ではないことは分かる。男はソファーから立ち上がりインターホン前まで行き、ボタンを押した後どちら様ですかと声をかけた。


「あなたは、神を信じていますか」


どうやら宗教の勧誘らしい。インター越しには四十後半ほどの女が立っていた。あなたは神を信じていますかと聞かれて宗教の勧誘でなかったほうがむしろ怖いまである。


宗教の勧誘か。関わるとめんどくさくなりそうだ。男はインターホンを押して応対してしまったことに少し後悔した。


いや、待てよ。男は思った。宗教の勧誘にあうなんてよく聞く話だ。よく聞く話ではあるけれど、男は今まで経験したことがなかった。今回が初めてであった。


よく聞く話であるけれど実際には経験したことない話。案外貴重な体験になるかもしれない。せっかくのありがたい機会に巡り合えたと考えた方が良いのかもしれない。よし、めんどくさいと思わずに対応しよう。


さて、どう対応するか。相手の言葉に真面目に返して神様を信じていると答えるか。そうしたら最後まで相手の話を聞くことになるだろう。


その場合相手はせっかくのお話ですから、このようなインターホン越しではなく玄関で直接顔を合わせて話しましょうと言ってくるかもしれない。


それは嫌だな。知らない人を玄関まで入れるのは少し抵抗がある。


それに、もしも玄関まで相手を入れてしまったら相手のペースに飲まれてしまうかもしれない。


話を最後まで聞いてることに相手は俺が宗教に、いや神様に興味がある人間だと思うだろう。相手にとってはいいことだ。俺が入会すると言わないうちに勝手に入会したことにされてしまうかもしれない。


だってあなた最後まで話を真剣に聞いていましたよね。ここまで真剣に聞くってことは神様に興味があるってことですよって言われて、我が神の団体にようこそ、あなたも今日から私たちの仲間ですなんていう展開になるかも。


今日からあなたも私たちの仲間ですからと何か道具を勧められるかもしれない。例えば願いが叶うストーンとか壺とか。


今インターホン越しには女性がストーンや壺を持っているか持っていないかは分からない。画面外にあるかも知らない。


壺はさておき願いが叶うストーンならポケットに入るサイズだろうから。一つ〇〇円ですなんて言われて宗教グッズを買わされるかもしれない。


今ならお安くしますよなんて言われて。買わないと後悔しますよなんて言われて。持っていないのはあなただけですよなんて言われて。そうはなりたくない。


では早々に断るか。宗教に勧誘されるというせっかくの機会だが宗教グッズを買わされるところまではいきたくない。信じてません。俺は神様なんて信じてませんなんてインターホン越しに怒鳴りながら追い返すか。


いやー、それはそれでつまらないよな。その辺にいそうな凡人の対応みたいで。


なら、どうするか。男は腕を組んで考えた。深いところまでは行かずに浅瀬で楽しむことが出来る方法を。


考えた先に男は一つの良い考えを思いついた。そうだ、すれ違いだ。すれ違いをすればいいんだと。


相手に神を信じているかと聞いてきたことに信じていますと答える。しかし男が信じているのは神でも紙のほう。


神と紙による同音異義語すれ違いで会話を展開する。相手は男が神を信じていると勘違いしながら話す。男は相手の話に乗りながら楽しむことが出来る。良い作戦だ。


「えっと、はい、私は紙を信じています」


男がそう答えると女は目を見開いて笑った。こいつはいけるぞ。新たに信者を獲得するチャンスだぞと思っているのだろう。


「すばらしい。あなたはすばらしい。神を信じることは良いこと。


あなたが神を信じることで神もあなたに味方して、かけがえのない人生に導いてくれるでしょう」


そうらしい。信じていれば、信じるだけで無条件で神様が味方になりかけがえのない人生に導いてくれるらしい。それが本当ならどれだけいいことか。


実際に俺は神を信じている。多くの日本人のように初詣に神社に行って願い事をする。でも女性が言っている神は信じていない。どのような神かという具体的な詳細は聞いていなけど信じていない。この神よりは紙を信じている。


「本当ですか。実は私は小さいときから今に至るまで紙を使っておりまして」


「使う?神を使うとはどのようなことですか」


女はすぐに聞いてきた。崇拝している、信じているではなく使うと言ったから違和感を覚えたのだろう。


「あぁー、言い方というか伝え方が良くなかったかもしれませんね。神にお願い事をする。神頼みをして神様のパワーを借りていたというか貰っていたというか、利用していたというか。とにかく神様を信じています」


俺は小さい時から今に至るまで紙を使ってきた。それはチラシの裏側の白い所、折り紙の白い所、コピー用紙、お絵かき帳や自由帳。そこに字や絵を描いてきた。


もちろん義務教育内、高校や大学でもノートやメモ帳を使ってきた。今でも会社で紙は使う。人生において紙を使わなかった日より紙を使った日の方が多い気がする。


絵を描きたいとき、文字を書きたいときは紙に頼るしかなかった。


黒板やホワイトボードにも字を書いたことはあるが、紙に比べると圧倒的に少ない。文字を書く手段において紙は頂点に君臨するものである。


「それに実家では父も母も紙を大切にしています。紙をきれさせると母が怒るんです」


トイレットペーパーという紙がトイレから無くなったとき、新しいものを補充しないでいると母は怒っていた。


切らしたままにしない。次の人のことも考えて補充しておきなさいと。


「それはそれはご両親もすばらしい。私是非ともご両親にもお会いしたいものです。


さて、あなた様。我が神はどんな場所にも幸せを届ける万能神。


私たちの宗派に入会することであなた様にも万能神の御利益を受けられ、一生幸せに過ごせること間違いなしです。


是非私たちの宗派に入り御利益を受け続ける人生を手に入れませんか」


どうやらこの神は万能らしい。本当にいたらいいのにと思う。そう、本当にいたらの話だ。でも俺は残念ながらそのような神が存在しないことを知っている。全てにおいて効果がある神なんていくら神であってもいないのだ。


「ちょっと待ってください。その前に私の過去というか紙を大切にしてきた人生を聞いてもらえませんか」


話を変えてやった。このままではすれ違いがうまくいかない。相手に丸め込まれてしまう可能性があった。


「それは私たちの崇める万能神の御利益を放棄する、手に入れないということですか」


すぐにそういうことを言う。相手が否定したと思ったらすぐ諦めた、信じてない、放棄したと思う。こっちも話を聞いているんだ。少しは話させて欲しいものだ。まぁ話を聞いているのは俺の暇つぶし。すれ違い作戦をやるためだけど。


「そう捉えないでください。私は今まであなたの話を聞いてきた。話を聞くだけでもいいかもしれませんが、私もあなたのように紙を信じている者の1人。


私にも少し話をさせてほしいだけ。話を聞いてほしいだけです。ちゃんと神様に関係ある話ですから聞いていて下さいよ」


俺は話したいといったがそれはこの宗教勧誘の女性と話す時間を少しでも長く続けるための繋ぎとしての役目。


話したいとは特に思っていなかった。この状況を楽しむため。そのために話すのだ。


「私は先ほど両親も紙を大切にしていると話しました。私は一人っ子で三人家族なんですが、私たち三人には特に紙を大切にしていた場所がありました。あなたはそこはどこだと思いますか」


まぁこれは作り話、今繋ぎとして思いついた質問としては我ながらよくできていると思う。トイレットペーパーという紙を使う場所。それを大切にする場所は一つしかないけどな。


「そうですね。家族三人が共有する時間が長い場所ではないかと。すなわち私はリビングではないかと思いましたが」


リビングか、家族が一番共有する場所としては間違っていない。間違っていないのだが、リビングではトイレットペーパーよりも使う紙がある。それはティッシュペーパーである。またの名を箱ティッシュともいうが。


「あー、違いますね。では答えを言いますね。私たち家族が一番紙を大切にしていた場所。それはトイレです」


両親が紙をトイレで大切にしていたかは分からない。ねぇねぇ、2人はトイレでトイレットペーパーを大切にしていた?なんて質問はしたことないから。世の中にこのような質問をしたことある人はいるのだろうか。俺はいないと思っている。


トイレ自体を家族で大切にしていたのは噓ではなくる本当のことである。


トイレは汚さずに清潔に使うことを心掛けなさいと普段から言われていた。母親は二日に一回トイレ掃除を行っていた。


床をクイックルワイパーで磨き、スリッパをアルコールシートで拭き、便器をたわしで磨いていた。座る部分はアルコールシートで拭いていたと思う。最後にトイレットペーパーが補充されているか確認していたのを覚えている。


補充されていたら問題ない。もしも補充されておらず空だった場合は母親が補充する。そして補充されていなかったことを夕食中に話す。誰が補充しなかったのか犯人探しまではしない。それが我が家のトイレ事情だった。


母親のトイレをキレイに使いましょうという教育というか家庭環境で育ったため、俺は外出先のトイレを使うことが苦手である。外出先のトイレは家のトイレより汚いのは確実だからである。


今さら外出先のトイレに対しての苦手意識を治そうとは思わない。トイレを大切にしてきたことによって余計な苦手なものが一つ増えてしまったが、それはもうしょうがないと思っている。


「私はトイレには拭くがあると考えています。拭くが大事だと」


トイレで拭くことは大事である。母親が掃除の際にアルコールシートで便座を拭いていた。それも大事であった。そのほかにもトイレでは拭くことが大事である。大事というよりはやらないといけないことと言った方が正しいかもしれない。特に小をしたときではなく大をした時に。


大をした後に拭かないでそのまま下着を履いたらどうなるか。それは誰もが想像できるだろう。


答えは簡単だ。茶色いものが下着に着く。そしてそこから異臭が放たれることとなる。


「確かにあなた様の言う通りトイレには福があると思います。でも安心してください。我が神はトイレという一点の場所だけでなく全体に幸せを届ける万能神。


その福も強くすることが出来るでしょう。トイレに関しては今よりも福が多くなる。それは私が補償いたします」


福が多くなる。嘘をつくなよ。俺が言っている拭くを理解していないでよくそんなことが言えたものだ。


「拭くが多くなる?それはダメだ。それは良くない。本当に困る。なぜなら紙の使用回数が増えてしまうから。


そうなればトイレに流すときに紙が詰まって流れなくなってしまうリスクも高まる。紙代も今より高くなるに違いない。


すいません。ここまであなたの話を聞いておいてなんですが、あなたの宗派の神の恩恵を受けないことにします。いやー、本当に申し訳ない」


一応謝っておいた。謝っておいた方が本当に真剣に話を聞いていたという印象を相手に与えることが出来るから。


「万能神によって福が多くなるのですよ。それに何が不満なのですか。トイレに流す?あなたは今トイレに流すと言いましたよね。それに神が詰まると。あなたは何に対して不満なのですか。それに神はトイレに流さないでしょう。もしそんなことをしたら神に失礼です。」


神をトイレに流すなんて俺は一言も言ってない。まったく、早く気づいてくれよ。言葉の理解力についてはその万能神の効果を受けられないのか。


「不満だよ。拭く回数が増える。それは紙の使用回数が増えることを意味する。使用回数が増えると当然のことながら紙の消費が多くなる。紙代も増えるし流す回数も多くなる。流す回数が多くなると水道代も今より上がってしまう。何もかも増えてしまうんだよ。それは嫌だね」


俺が話し終えると女性はやっと何かを察した。この人は初めから神を信じていない。紙を信じていて、紙の話をしていた。やっとその答えに辿りついたのだろう。


女性は何も言わずにインターホンから離れていった。そして二度と男の前には姿を見せなくなった。

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