あくまなウエイターがいるリストランテ魔窟にようこそ

麻麻(あさあさ)

1皿目 悪魔×疑心暗鬼 ①

夕暮れ時、人通りが少ない路地にあるまだ開いてはいない店内にその声は響いた。


「あ〜、もうお前そこはいいから看板書いて!」

男はイライラした様子で床にモップをかけようとしているウエイターを止めた。


「お前が早く降りてこないのが悪いんだろ」

時間ギリギリに2階の居住区間から下の店に降りてきてウエイターに文句を言われたのは、この店の店長、あきらだ。



「俺はギリギリに来ていいように事前準備はしてるからいいの。

ほら、代わった代わった。

ったく、お前にやらせるくらいなら俺がやった方が早えーよ」


そう言われるとウエイターはせっかくの好意に水を差された気持ちになり、黙っちゃいられない。

 

「〜〜ッ、ああそうかよ」


そうして持っていたモップの柄をパッと離すと側にいた明の手がパシッと彼の手に渡った。


「ちゃんと渡せよ!」


彼の叱責をウエイターは無視し、不機嫌そうに頭を掻きながら店の隅からスタンドボードを取り出しチョークを手に取りおすすめのメニューを描く。


イライラのせいでなかなか筆がのらない。


(いけねえーー。いい加減集中しねえと)


分かっているが中々怒りという感情は払おうとする度にまとわりつくのは何故だろうーー?





「怒り」


それはもっとも抱きたくない感情で一番扱いにくいものである。


しかし動物とは違い人間は怒りをコントロールできる。


人間は予想不可能だ。


彼らは時に怒りを糧にするし知恵も発達している。


昔々、神の教えに逆らい禁断の果実を食べ下界に堕とされた男女がいた。


それから壮大な時間が流れたのちにもう1人、楽園からではなく魔界から地球に堕とされた者がいた。 




ウエイターだ。


今こうして彼は日本という国のある店で怒りを抱く人間を接客しつつもてなし密かに観察している。



そうしてそこに訪れるお客がこの「物語」の「主役」なのかもしれないーー。




****************



冬の一日は短い。


特にそれが貴重な休みだと余計にそう感じてしまう。


窓を見るといつの間にか日は落ちていた。


給料が入ったのをいい事に一日中ショッピングを楽しんだ私はコーヒーを飲みながら外の景色を眺めていた。


(土曜だけど座れてよかった)


そうしてスマホを取り出そうとバッグに手を入れるとコツっと布の感触が手に当たった。


あえて入れておいたリングケースが当たったのだ。  


ケースが入ってる事を確認すると私は気を紛らわす為に適当にスマホのアプリを覗く。




「待たせてごめん」

周吾しゅうごは私に言ってこのケースを目の前で開けて

「俺とずっと一緒にいてください」という言葉でプロポーズを受けた。



最高にロマンチックで素直に嬉しいと思ったが次に自分が何を思ったかと思うのは恐怖の感情だった。


「びっくりした。綺麗!」と精一杯笑顔を作ると彼は私に指輪をはめてくれた。


私とは正反対に彼はよかった、よかった・・・・・・とプロポーズが成功したからか安堵した表情を浮かべた。私が彼を見て思った事は「羨ましい」だった。


そんなに安心しきっちゃって羨ましい。

私は不安でいっぱいいっぱいなのに。


そんな表情を察したのか彼は私に大丈夫かと問いかける。


「ちょっと気分悪くなっちった」


ごめんと謝り彼と別れ、帰りの電車で窓には指輪をつけた自分がガラスに映り込んでドキドキしている。


それから2週間私は一回も指輪を付けていない。

でも大切な指輪だ。


彼が好きだ。

だが結婚は好きだけで成り立つものなのだろうか。


結婚で変わる事が増えるのは断然女性側だ。


苗字から始まり、それぞれの相手の環境に順応しなければいけない。そりゃあ男性にも別の苦労があるのだろうが。


ーー世の中の夫婦は果たしていくらが思い描いている結婚生活を送れてるのだろうーー。


今年で31。


同じくらいの年齢の子は確かに今結婚したり産休中の子もいたりして焦りはあったもののプロポーズされて、他人事が当事者事になった途端怖くなってしまった。


素直にプロポーズを受け入れていたら今頃はネイルを施した人差し指に指輪をしっかりと付けているだろう。




職場では結婚したり子持ちの社員やお客様の旦那の愚痴を私は耳にする。


「上野さんは結婚とかされてるんですか?」

お客様の爪を塗りながら聞かれてまだと答えると

「意外です〜」と言われてしまい複雑な気持ちになった事はある。


お客様曰く他のネイリストよりもファッションやメイクが落ち着いているかららしい。


踏み込んだ話が出来るのはネイリストだからだろうか。



やれ結婚した途端相手に女がいたなどは幸い聞かないが、子供が出来たら家事育児全部私なんだや、義家族が酷くてと言ってきた知り合いの愚痴はとてもじゃないが悲惨に聞こえた。


(大丈夫。彼が私の敵になるはずがない)


そう。狡い、卑しいけど「そんな素敵な彼」に愛されたいという自分がどこかにいた。


(大丈夫・・・・・・)


そう言い聞かせ私はコーヒーを飲みほした。


周吾との出会いはいわゆる職場のみんなでご飯に行こうとなった時、誘ってくれた友人が強引に誘ったのがそれだ。


てっきり友人と2人で行くつもりだったから気が乗らないがその時の周吾は色々気を遣ってくれたのを覚えている。



周吾は商業施設の旅行代理店勤務らしい。


だからか話しやすく、しかし物腰柔らかでスマートに見えた。


しかしその人も悩みはあるらしく愚痴もいいあったりして親近感を覚えた。


ネイルについても抵抗はないらしくどうやってこれ描いてるの?と聞くと友達が塗ってあげる♪と実演が始まる。


最初は驚いていた彼も友達がネイルを仕上げていく内に動揺が感心に変わったらしい。



さすがに帰り際除光液とコットンを渡した。


いつもの知り合いと行くご飯もいいが、たまには知らない人とのご飯もいいなと感じた。



それから3人やもっと大勢でを繰り返して2人でも行くようになり冷やかされながら悪くないかもと思っていたら彼から告白をされた。


付き合って3年。


今は11月。


もうすぐクリスマスだ。




その日を機に返事をすれば彼は喜んでくれるに違いない。


(けど、店は繁忙だし。

返事しなきゃダメかな・・・・・・?)



私は店が混み合って来たのでコーヒーを飲干し一旦早足でモールを後にした。


真冬の外は寒い。


そして日が暮れるのもあっという間だ。



帰る前に何か食べて帰ろうと思う。


モールでコーヒーだけですませたのは行き飽きた場所であるから。


(たまには違ったものが食べたい)


駅に行くまでの道になにかないかと思いスマホで調べる。


とその時電話が鳴った。「げ」母からの電話に一瞬引いてしまった。


まあ適当なとこで切ればいい。


通話ボタンを押しスマホを耳に当てたと同時に母の声が聞こえてきた。


『あら、出た』と自分でかけたくせに私がたまにしか電話に出ないせいか驚いているみたいだ。


「どうしたの?」と手短にというニュアンスで質問すると『いや、なんて事ないけど元気かと思ってかけてみたのよ。アンタ全然連絡したいじゃない』 


ケラケラ母は能天気に笑う。


「元気だよ。とくにないなら切るね」と言うと母はすかさず『最近、周吾さんとはどうなの?』と聞いてきた。


今は話題にしてほしくなかった。


「別に変わった事はないよ」と言うなり『そう‥』と母は消沈したような声色でため息をつく。


「何?」イラッとし語尾を強くすると母は『あんた達付き合ってどれくらいだっけ?』と聞いてきた。「3年」と言うと母は『周吾さんからは何も言ってこないの?』と聞かれやっぱり電話に出るんじゃなかったと後悔する。


『アンタもう31になったでしょ。お母さんの頃は25までお嫁にいかなきゃ心配されたわよ』言う。


(うるさいーー!!)


「お母さんの頃はね」と含みを込め言い返すと母は『まあ、長く付き合いすぎもなんなら他にいい人いないの?』

と訳が分からない質問をされた。


分かりたくもない。


(ふざけんな!!)


私は忙しいからなど取り繕うのも忘れて通話ボタンを切った。『他にいい人いないの』には絶句した。


ーー彼は物じゃない!!ーー


(ありえなさすぎる!)


ふうーっとため息を吐き壁にもたれかかる。


ここはどこだろう。


寒いから早く建物に入りたい。


歩きながら話していたけど駅に着く手前か、大通りから小道に入ってみたがどうやらここは店先の入り口。


だれもいない事をいい事に立ち止まったが。


ふとガラッと店の引き戸が空き中から定員が看板を店先に出すところだった。あ、と目が合いお辞儀をするが彼は気づかなかったのか中も言わず看板を立てると中に入っていった。


(カンジ悪っ!てかここは何屋?)


入り口の奥のガラスにはカウンター席があるが一応飲食店かかと思い入り口の看板を見る。


ristorante魔窟リストランテまくつ。いや、センス・・・・・・)

と呆れたがメニューを見てさらに唖然とした。キッシュ、ボルシチ、オムライス‥。


メニューの数が豊富だ。


でもキッシュはフランス、ボルシチはロシア、オムライスは日本料理だ。メニューに統一性がない。


でもあるメニューに目が止まってしまいそれが決定打となり魔窟に足を踏み入れる。


レストランでガラッと引き戸を引くのには違和感があった。

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