まどろみの繭

sui

まどろみの繭

ミナは、静かな光に包まれていた。

それは部屋の灯りでも、朝の陽ざしでもない。まどろみの奥から、ゆっくりと立ちのぼる、形のないぬくもりだった。


身体はもう重力を忘れ、思考も輪郭を手放している。ただ、心の奥で、小さく震える感情だけが、糸のように細く、たゆたっていた。


ここは、「どこでもない場所」。

風景もないのに、なぜか懐かしい。色は淡く、音は遠く、すべてがやわらかな膜に包まれている。ミナは、繭の中にいるような安心感に、そっと身を委ねていた。


意識の深い場所に、小さな部屋があった。

そこには、言葉にならなかった記憶がそっと並んでいる。読みかけの絵本の一頁。夕暮れに言いそびれた「またね」。泣きながら丸めたティッシュの感触。


どれも、あたたかく、少し切ない。胸の内側から、静かに光が差し込んでくるようだった。ミナは、ひとつひとつにそっと触れ、やわらかく抱きしめる。痛みではない。ようやく、深く息が吸えるような、静かな安堵だった。


まどろみは、音を溶かし、境界をほどいていく。

自分と世界。過去と現在。誰かと自分。

それらを隔てていたすべてが、やわらかな波になって、静かに広がっていく。


ミナはその真ん中で、ただ浮かんでいた。

「このままでも、いいのかもしれない」

何かにならなくても。誰かに何か言えなくても。

この透明な静けさの中に、身を置くことが、ちゃんと許されている。


やがて、遠くから現実の気配が近づいてくる。

まぶたの裏で光が揺れ、誰かの足音のような音が、かすかに聞こえた気がした。目覚めの時間が、ゆっくりとこの繭を溶かしていく。


でも、ミナは焦らなかった。

このまどろみが、自分の中にあったという感触だけを、そっと抱きしめる。最後のひと息を、静かに吸い込む。


そしてその光の中で、ゆっくりと目を開けた。

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まどろみの繭 sui @uni003

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