📖 第13話「音を合わせられない」

「この人が──?」


紗羽は、スタジオの入り口で思わず息を呑んだ。


長身。背筋が真っ直ぐ伸び、立っているだけで“舞台の重力”を持っている。

足先まで神経の通った姿勢。手の角度、首の傾き、視線の置き方──

そのどれもが「完成されている」人だった。


彼女が、雪村梨央。


バレエ界で名の知られた逸材。

AIR決勝でも注目されている存在。


なのに、その彼女が、紗羽をじっと見つめていた。


冷たいわけではない。

けれど、明らかに──評価している目だった。


 


「あなたが、羽田紗羽さん?」


「……はい」


声が自然に小さくなる。

梨央の雰囲気が、圧だった。

美しすぎるものを前にしたときの、あの緊張感。


けれど、梨央は言った。


「即興で一緒に踊ってみよう。団体パートの調整もあるし、

 どうせなら早く“合わせる”練習しておきたいから」


──“合わせる”。


その言葉に、胸の奥がざわついた。


 


スタジオのスピーカーに、即興セッション用のビートが流れる。


スロウテンポ。

電子音の低いベースに、かすかなリズム。


梨央は、先に動き始めた。

ターン、アームスイング、ステップ。


すべてが正確で、滑らか。

床をまったく蹴らないのに、浮いているように見える。


 


次の拍で、紗羽が動き始める。


──が、その瞬間、ズレが生じた。


音の“感じ方”が、あまりにも違う。


梨央は拍子の“頭”を捉えにいく。

紗羽は“間”に身体を落とす。


まるで二人が、別の曲を聴いているようだった。


 


梨央の動きが直線なら、

紗羽の動きは波だった。


梨央が前を見ているとき、紗羽は足元を見ていた。

梨央が指先まで制御しているとき、

紗羽は肩から風を受けるように動いていた。


一歩踏み出すたびに、リズムが解ける。

ふたりの距離が合わない。

目線が交わらない。

音が交差しない。


 


──合わせられない。


音が合わない、じゃない。

“感覚が、合わない”。


 


曲が終わる。

無言の空気。


紗羽は、自分の汗がいつもより冷たく感じた。


「……すみません。合わせられなくて……」


そう呟いたとき、

梨央は小さく息を吐いた。


けれど、怒っている様子はなかった。


「違うのよ。……あなたが“合わせようとしてない”だけ」


その言葉に、紗羽は顔を上げた。


「あなたは、“自分の拍子”だけで動いてる。

 私みたいに“構成”がないのに、どうしてそんなに“自信”あるの?」


「……自信なんて、ないです」


「じゃあ、どうして動けるの?」


 


紗羽は、答えられなかった。


けれど、

どこかでBEATSYNCの言葉が蘇っていた。


「あなたの動きは、評価のためのものではなく、

 本能的な拍子によって構成されています」


 


“本能的な拍子”。


自分ではわからない。

でも、それが、

“誰かと合わせる”ことの難しさなのかもしれなかった。


 


梨央は荷物をまとめながら、最後にこう言った。


「あなたと合わせるのは、難しい。

 でも──ちょっとだけ、面白いかもね」


 


その言葉が、なぜか少しだけ嬉しかった。

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